三部経読誦

建保2年、聖人42歳の時、東国上野国の佐貫という所に御滞在中のことでした。

「衆生利益」、つまり、多くの人々を何とか救済したいの思い止み難く、根本経典の三部経を1,000回読もうとなされたことがありました。

三部経とは『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3つのことです。

当時は、お経をまじないのように考えて経典を何回も読むことで、多くの人々が救われるのだということが常識になっていました。

ところが、聖人は4、5日読まれてから、

「これは何事だ。自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩、ではないか。そのほかに何の不足があって経典を読もうとしていたのか」

と叫ばれて、直ちに常陸に向かって布教に旅立たれたことが、『恵信尼文書』に記載されています。

「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」

というのは、善導大師の有名なお言葉です。

「自ら信じ、人に教えて信ぜしめることは、難きが中にうたた更に難し、大悲を伝えて普く化す、真に仏恩報ずるになる」
と読みます。

この意味は、
「自分が信心決定(阿弥陀仏の絶対の救済にあずかること)することが難しい。他人を同じく信心決定まで教え導くことはなおさら難しいことである。しかしその困難なことをやりとげてこそ、真の仏恩に報い奉る道である」
ということです。

当時は読経の功徳が非常に高調された時代であったのと、常に仏恩の深重なることに感泣なされ、何とか如来大悲の恩徳に報いたい、どうしたらどうしたらの聖人の御心が、ついつい、社会の伝統的因襲に引かされて一時的に惑われたわけですが、直ちにその過ちに驚かれたのです。

「これはいったい何事だ。私の為しうるたった1つの大事なことは、自分が阿弥陀仏に救われて絶対の幸福になり、その絶対の幸福になれる道を1人でも多くの人々に教え導くことではないのか。それだけが阿弥陀仏の洪恩に報いる道ではないか。だったら、布教伝道、破邪顕正だけでいいではないか。これが私のただ1本の道ではないか。生きる目的ではないか。ほかに何の不足があって経典を読もうと思っていたのか。おれは誤っていた、誤っていた」

と叫ばれて、決然として常陸国へ布教に旅立たれたのです。

当時は、経典を1,000回も読むということは民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。

しかし親鸞聖人は、それらを投げ捨てて人間の為しうる最高の行為である破邪顕正の為に、民衆の中へ飛び込んでいかれたのです。

 「承元の法難2」 「高熱で苦しまれる」

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