浄土真宗講座(親鸞聖人の明らかになされた浄土真宗の教えを学ぶ)

聖人の見られた夢とは、どんなものであったのか

問い・浄土真宗・親鸞会 浄土真宗講座親鸞聖人には、夢の記録が多いと聞かされていますが、どのような夢であったのでしょうか。また、夢についても説明してください。

答え・浄土真宗・親鸞会 浄土真宗講座

夢は観念の作用であり、疲れた意識の乱舞であって、何の実在性も真実性もない幻だと簡単に言い切る人もあります。

しかしそれはあくまでも、夢覚めたあとの反省であって、夢の中では忽然として森羅万象が現れ、交通事故に遭ってもだえ苦しみ、宝クジに当たって跳び上がって喜んでいるなどは現実生活そのものであり、全く変わったところはありません。

観 念の作用といわれたり、意識の乱舞だといわれると、何の実在性もないように思われますが、事実としても厳然たる実在性をもって、夢の中の私たちを苦しめ、 悩ませ、驚かせ、悲しませ、ややもすれば覚めたあとの私たちの生活までに、大きな影響を与えることがあります。

たとえば、生々しい恐ろしい交通事故に遭った夢を見て、飛び起きた朝などは、今まで参ったことのない仏壇に三拝九拝して、神経質なほどのビクビク運転をするドライバーのいることも、否定できない事実です。

現今の心理学などでも、夢はいまだ解明されていないようですが、夢の不可思議とも思える神秘性を認めざるをえません。

そこで昔から夢は種々に分類され語り伝えられています。

仏や神、祖先から授かるといわれている霊夢。一般に正夢といわれている実夢。

思い続けていることを夢みる心夢。とりとめのないことを夢みる虚夢。種々雑多な雑夢。恐れをなしていることを夢みる懼夢などのだいたい6種があります。

ですから夢というものは、必ずしも正夢であるとか、逆夢であるとは限りませんが、情けないことには私たち凡愚の見る夢は、明けても暮れても借金とりに追い回される実夢ばかり。

「思いつつ  ぬればや人の みえつらん  夢と知りせば さめざらましを」

夢と分かっていたならば、さますのではなかったにと、消えてしまった夢の世界を惜しむ切ない虚夢も時にはあります。

しかし、
「斬られたる  夢のまことか ノミのあと」

夢か、うつつか戸惑うような懼夢が圧倒的に多いのは、あわれというも愚かなりといわねばなりません。

さて、夢の話はこれぐらいにして、お尋ねの親鸞聖人の見られた夢とはどんなものであったのか、順次ご紹介したいと思います。

昔から聖人に夢なしといわれますが、親鸞聖人は最も多く夢を見られたお方のようです。

それは20年間も山にこもって、勉学修行をなされたので生理的にも睡眠不足で夢を見られたとも考えられますが、聖人の不眠不休の求道に、御仏も感動し夢中にまで教導なされた霊夢としか思えないものばかりです。

その主なものを紹介して私の愚見も述べてみたいと思います。

建久2年9月12日といえば、親鸞聖人19歳の時ですが、求道に行き詰まられた聖人は、かねて崇敬なされていた聖徳太子の御廟へ参籠されて、生死一大事の救われる道を尋ねられたことがありました。

この時は13日より15日までの3日間おこもりなされたのですが、その間の模様を聖人自ら次のように書き残しておられます。

夢に如意輪観音が現れて、五葉の松を母に授けて私の出生を予告したという、かつて母から聞かされていた話を私は思い出し、観音の垂迹である聖徳太子のお導きによって、この魂の解決を求めて太子ゆかりの磯長の御廟へ参詣した。

3日間、一心不乱に生死出離の道を祈り念じて、ついに失神してしまった。

その第2夜の四更(午前2時)ごろ、夢のように幻のように自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中は、あかあかと光明に輝いて驚いた。

その時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉を、次のように記されています。

「我が三尊は塵沙界を化す
  日域は大乗相応の地なり
  諦らかに聴け諦らかに聴け  我が教令を
  汝が命根は、まさに十余歳なるべし
  命終わりて速やかに  清浄土に入らん
  善く信ぜよ、善く信ぜよ  真の菩薩を。
  時に、建久2年9月15日、午時初刻、前の夜の告令を記し終わった。仏弟子 範宴」

範宴とは若き日の親鸞聖人のことです。

この時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉の意味は、

「わが弥陀と観音、勢至の三尊は、
  このチリのような悪世を救わんと全力を尽くしていられる。
  日本国は真実の仏法の栄えるにふさわしい土地である。
  よくきけ、よくきけ、耳をすまして私の教えを。
  おまえの命は、あと10年余りしかないだろう。
  その命が終わる時、おまえは速やかに浄らかなところへ入ってゆくであろう。
  だからおまえは、今こそ本当の菩薩を深く信じなさい。心から信じなさい」

ということでありました。

聖徳太子の御廟は、磯長(現・大阪府南河内郡太子町)にありますので、これを磯長の夢告といわれています。

では、磯長の夢告は何を予告し、どんなことを物語っているのでしょうか。

19歳の親鸞聖人が、磯長の夢告で最も深刻に受けとめられたところは、何といっても

「おまえの命は、あと10年余りしかないだろう」

という予告であったことは、想像に難くありません。

「その命が終わる時、おまえは速やかに浄らかなところへ入ってゆくであろう」

の夢告の意味も、時の聖人にとっては、不可解な予告であったに違いありません。
「だからおまえは、今こそ本当の菩薩を心から信じなさい。深く信じなさい」

と言われても、本当の菩薩とはだれなのか、どこにましますのか、聖人の謎は深まる一方だったと思われます。

しかし、これらの夢告の謎が一度に解ける時がやってきました。

親鸞聖人は、阿弥陀仏に救われた時に一度死んだ、とおっしゃっています。同時に無碍の光明界に飛び出させていただいた、ともおっしゃっています。『愚禿鈔』の、

「本願を信受するは前念命終なり、即得往生は後念即生なり」

とは、この体験を述べられたものです。

それが聖人29歳の体験でありましたから、まさに磯長の夢告から10年余りのできごとでありました。 「10年余りで死ぬ」 といわれたのは、迷いの心のことであったのです。そして、 「速やかに浄らかなところへ入ってゆく」 といわれたのは、一念で絶対の幸福に救いとられるであろうことを、予告なされたものでありました。

しかも、その弥陀の救いを親鸞聖人に説き切ってくだされた本当の菩薩は、法然上人であったことも同時に明らかに知らされたことでありましょう。

磯長の夢告より9年たった正治2年12月上旬、28歳になられた親鸞聖人は目前に迫る一大事の後生に懊悩なされて、比叡山の南、無動寺の中にある大乗院にこもり切られるようになりました。

そして参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)如意輪観音が現れて親鸞聖人は再び夢告にあずかったことを記されています。

「善いかな、善いかな、汝が願、まさに満足せんとす。
  善いかな、善いかな、我が願、満足す」

「おまえの後生の一大事、解決できる日は近いぞ。絶望せずに求め抜け、私の任務も終わろうとしている」

というもので、これを大乗院の夢告といわれています。

明けて29歳になられる親鸞聖人にとっては、比叡山時代の終わりに近いこの時は、まさに阿弥陀仏の絶対の救いは眼前に近づいていたのです。

この阿弥陀仏の絶対無二の救いにあわせることが、一切の諸仏、菩薩の唯一の任務でありますから、如意輪観音もその使命を果たせる喜びを夢告したものと思われます。

親鸞聖人にとって忘れることのできない第3の夢は、大乗院の夢告の直後さしせまる後生の一大事に苦悩せられた聖人は、比叡山を下りて京都のド真ん中の六角堂に100日おこもりになられたことがあります。

六角堂は聖徳太子の建立なされたものですが、その本尊の救世観音にわが身の救われる道があるかと、必死に尋ねられた時のことです。

その95日めの夜明けに救世観音が顔かたちをととのえ、りっぱな僧の姿を現して、真っ白な御袈裟を着て、広く大きな白蓮華の花の上にしっかりと座って、親鸞に次のように告げられたと、聖人自ら記されています。

「行者がこれまでの因縁によってたとい女犯があっても私(観音)が玉女の身となって、肉体の交わりを受けよう。
  一生の間、よく荘厳してその死に際して引き導いて極楽に生じさせよう。
  救世菩薩は、この文をとなえて言うには、 『この文は私の誓願である、一切の人々に説き聞かせなさい』 と告げられた。
  この知らせによって数千万の人々にこれを聞かせた、と思われたところで夢が覚め終わった」

この夢告の偈文は『御伝鈔』上巻第3段にも載せられていますし、親鸞聖人より5年も早く死んだ高弟の真仏が書写した文書にもありますので、親鸞聖人の真作として今日疑う人はありません。

行者とは、真実の救いを求め仏道修行していられた聖人を指していわれたのです。

それまでの仏教には、僧侶は一切女性に近づいてはならないという、厳しい戒律がありました。

しかし、色と欲から生まれた人間が、色と欲から離れ切れない絶対矛盾に突き当たって、悶え苦しんでいられた親鸞聖人に対して、

「もしあなたが女性の肉体と交わりを結ぶ時は、私(観音)が玉女という女となってあげましょう」

と告げられたのは、ありのままの人間として、男女が結婚して人生を荘厳できる阿弥陀如来の絶対の救済のあることを、救世観音は夢によって教導なされたものでしょう。しかも、

「この文は私の誓願である」

と断言しているのは、この阿弥陀如来の絶対の救済のあることを教えることこそが、諸仏菩薩の出世の本懐であることを告白なされたものです。

「一切の人々に説き聞かせなさい」
と言ったのは、

「この阿弥陀如来の救いを一切の人々に説き聞かせることこそ、あなたの唯一無二の聖使命である」

と救世観音は親鸞聖人にさとされたものでしょう。

「この菩薩の教えによって数千万の人々に、これを聞かせた」

とあるのは聖人の開顕なされた真実の正法によって、どれだけの大衆が人間あるがままの姿で、絶対の救いにあっていったであろうことを思えば、深くうなずかずにはおれないではありませんか。

世にこれを、 「女犯の夢告」 とか、 「救世観音の夢告」 といわれているものであります。

このほか、『御伝鈔』などにも種々の夢記がありますが、あまりに紙幅を超えましたので、今回はこれで一応擱筆したいと思います。

 

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