無碍の一道に出でよ
『歎異抄』第七章の仰せ
念仏者は、無碍の一道なり。
そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。
歎異抄第7章の全文については以下にあります。
→歎異抄第7章・無碍の一道
『歎異抄』7章には、「念仏者は、無碍の一道なり」と親鸞聖人は断言されています。
「念仏者は無碍の一道である。皆さんも早く、念仏者になって、無碍の一道に出てください。人生の目的だから」とおっしゃっているのです。
これが、親鸞聖人の生涯ただ一つの願いだったのです。
無碍とは、碍りがない、ということです。みんな、いろいろな碍りで苦しみ悩み、不安になっているのですが、一切が往生のさわりにならなくなった世界を、親鸞聖人は
「無碍の一道」とおっしゃっています。絶対の幸福といってもいいでしょう。
この世のすべては、人生の目的を果たすためのものです。
政治、経済、科学、医学、これらは皆、生きる手段であり、私たちを幸福にするためにあります。資本主義や社会主義など、いろいろな社会体制が試されるのも、幸福を求めてのことです。
しかし、いまだ人類は真の幸福を知りません。物は格段に豊かになり、かつては自転車しかなかったのに、今は一家に何台も車を持つようになりました。
昔は大家族で、嫁と姑のいざこざが絶えなかったが、今は核家族でそれは減ったが、相変わらず、自殺者は毎年3万数千人。人間の苦しみの実態は、少しも変わっていないことが分かります。
みんな本当の人生の目的を知らないのです。
親鸞聖人の教えられる無碍の一道、絶対の幸福こそ人生の目的であることを、まずよく知らねばなりません。