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弥陀釈迦の大恩
この世のどんな大恩でも、命を捨ててお返しできないものはないだろうが、親鸞聖人の恩徳讃は、「身を粉に」「骨砕きても」なお報い切れない大恩のあることを教示なされている。(2010.8.30)
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「真仮を知れ」親鸞聖人の教え
“真”とは「人生の目的」、“仮”とは、生きがいや趣味、目標など「人生の手段」のことである。「目的」と「手段」の水際のつかぬのを、「真・仮を知らざる」と言い、生命の大歓喜のないのを「如来広大の恩徳を迷失す」と言われている。(2010.8.20)
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仏法は聴聞に極まる
弥陀の18願(真)の救いは、「聞其名号」であるから「聞」で決する。「聞」は、「弥陀の呼び声」を聞く「聞即信」の「聞」である。「聞く」一つで決定する弥陀の救いだから、肝要は聞法であることは歴然だ。(2010.7.26)
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苦海の人生を乗せて必ず渡す阿弥陀仏の救助の大船
苦海に溺れる私たちを、必ず乗せて渡す救助の大船の厳存を教えられ、この船に乗ること一つが、万人共通の人生の目的だと親鸞聖人は教えられています。(2010.7.10)
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仏教の根幹・三世因果の教えと"今"を強調された親鸞聖人
三世因果の道理は、現在の自己を徹見せよ、現在の自分が明らかに知られれば、過去も未来も皆分かると教えられている。三世因果の道理を根幹に親鸞聖人は、弥陀の本願真実を「平生業成」「現生不退」「不体失往生」と開顕されている。(2010.6.14)
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三願転入は弥陀のお計らい
本師本仏の阿弥陀仏には、四十八のお約束がある。世に名高い、弥陀の四十八願といわれるものだ。その中で「あらゆる人を救い摂る」と誓われた願は3つである。十八・十九・二十の三願のみである。(2010.6.7)
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親鸞聖人の知恩・感恩・報恩
「親鸞は阿弥陀如来に救われた、親鸞は弥陀に助けられた」と親鸞聖人が『正信偈』に繰り返されているのは、多生にも値えぬ阿弥陀仏の救いに値えた大歓喜である。親鸞聖人ほど命の限り粉骨砕身、仏恩師恩の報謝に徹し抜かれた方はおられない。(2010.6.1)
親鸞学徒の本道で邪義を破る
私たち親鸞学徒が破らなければならない邪義(間違った教え)は数多い。その代表的なものが浄土真宗に3つある。親鸞会は、親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにする親鸞学徒の本道を、ひたすら進むのみである。(2010.5.31)
無上の幸福こそ人生の目的
「平生業成」とは、人生の目的が平生に完成する、ということである。しかもその人生の目的は徐々に完成するのではなく、何兆分の一秒よりも速い「一念」で成就するのだと、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に親鸞聖人は説かれている。(2010.5.11)
“難中の難”と“易中の易”
救われるのは他力だから楽だろう、お慈悲な阿弥陀さまだからただで助けてくださるはずだ、とみな思っている。だが親鸞聖人は「甚だ以て難し」とか、「難中の難」「これより難しいことはない」とまで仰っている。なぜそんなに難しいのか。(2010.4.22)
なぜ自殺は愚かなのか
昨年、日本の自殺者は3万2500人。12年連続で3万人を超えた。よほど苦悩の深いことであってのことだろうが、釈尊は自殺者を「愚か者」と説かれている。(2010.3.24)
親鸞学徒の本道の要諦
こうした重大な事実から知らされるのは、蓮如上人や覚如上人が示された親鸞学徒の本道をゆくとは、かくも困難な事である、という現実である。(2010.3.1)
二種深信でひらく『歎異抄』
「往生をば遂ぐるなりと信じて」を、ほとんどの『歎異抄』解説本は「弥陀の浄土へ往けると信じて」と解釈している。だが『歎異抄をひらく』では、「信じて」を使わず「疑いなく弥陀の浄土へ往く身となり」と、 他書と一線を画する。(2010.2.22)
異端か、正統か。『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月
これまでの歎異抄解説書は、各自の私見、信条、体験による自由奔放な解釈ばかりであった。しかし、親鸞聖人90年のメッセージは唯一つ、「弥陀の本願のみぞ真実」(『歎異抄をひらく』2部18章)であったのだ。(2010.1.12)
自力とは何か
親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」(自力を捨てて他力に帰せよ)以外にありません。捨てなければ助からぬ自力とは何でしょうか。(2009.11.12)
正しく聞けているか
親鸞聖人の「一実円満の真教」を正しく聴聞せずして、生命の尊厳は絶対に分からない。だから蓮如上人は仏法を語れ、信心の沙汰をせよ、と強く勧められている。(2009.11.2)
「雑行」が分からぬのは なぜか
自分の力で何とか後生の一大事解決しようとするのを「自力」といい、そんな心で「後生助かりたいとやる善」を「雑行」という。(2009.10.23)
『歎異抄』から流れ出る思想
常識で理解しがたい深遠な思想があるのだが、それでも多くの人々が、 『歎異抄』に魅了されるのは、 「人類を救う思想がある」と感じ取っているからだろう。(2009.10.14)
更に珍しき法を弘めず
聖人が「親鸞の伝えていることには、珍しい教えは何もない。釈迦の説かれた仏教を、皆さんにお伝えしているだけである」とおっしゃったのは、一体誰に対してであろうか。(2009.10.1)
底なしの悪人を救う本願
愚かさに底なしの悪人だから「凡愚底下の罪人」と親鸞聖人はおっしゃる。そんな極悪最下の罪人も、もらさず絶対の幸福に救い摂る弥陀の本願力不思議。(2009.9.16)
聞法の決勝点
「仏法は聴聞に極まる」と蓮如上人は道破される。では、どこまで聞けばよいのか。(2009.8.24)
弥陀の19の願意
阿弥陀仏が十方衆生を十八願の世界まで導くために建てられた十九の願意を開顕するために、釈迦は生涯、因果の道理から「廃悪修善」を説かれている。(2009.7.31)
『歎異抄をひらく』から1年5カ月の現状
今、『歎異抄』をめぐって不可解な現象が起きている。毎年十冊前後出ていた『歎異抄解説書』が、『歎異抄をひらく』発刊後1年5カ月経った今日もまだ、新刊が見られなくなったことである。(2009.7.22)
どこに向かって 泳ぐのか
日本一の金持ちになるよりも、ノーベル賞を獲得するより難しい人界の受生。なのになぜ、人間に生まれたことが喜べないのか。生命の歓喜を味わうことができないのか。(2009.7.16)
大宇宙の諸仏が絶讃する名号
仏さまですら「不可思議」と言われるほど、偉大な働きが「南無阿弥陀仏」の名号にはあるのだ。(2009.6.23)
諸行往生は本願にあらず
親鸞聖人の捨自帰他のみ教えの徹底に専心する親鸞会は、未だかつて、「諸善をすれば助かる」などと主張したことは一度もない。(2009.6.9)
「心の向き」がポイント 喜捨と税金
布施した人の功徳になるのだから、心から提供するということで、ご喜捨ともいわれる。まいた種は必ず生える。布施の功徳は幸せとなって必ず布施した本人に現れるのだ。(2009.4.30)
カンダタは誰の心か
人間が見ていようといまいと、因果の道理は厳然として変わらないのだから、まいた種の結果は、必ず本人に現れる。これに例外は一つもないと仏法では教えられている。(2009.4.5)
親鸞学徒の本道をゆく
まず親鸞聖人のお言葉を明示して、その正しい御心を徹底していく。浄土真宗と全人類の輝ける未来は、この一点にかかっていると言っても、決して過言ではないのです。(2009.2.2)
自由と平等
完全なる自由と平等の世界があるのだよ、との驚くべき親鸞聖人のメッセージだ。まさに、無碍の一道なのである。
洗いざらい語り合え
蓮如上人は、物を言わぬ者は恐ろしい人だ、とまでおっしゃっているから、信前、信後を問わず、仏法のことはハッキリと物を言わなければならない。
信心の沙汰をせよ
自分自身の心に仏法がコトッと落ちるまで、よくよく聴聞させていただくことが大事である。
徒にすぐる月日の多い私たちと宿善
"いたずらに すぐる月日は多けれど 法を求むるときぞ少なき" 私たちに、日常生活上の大事な心がけを明かされている。
伝えたいことがある
燃え滾る親鸞聖人のその御心が、840字、一字一涙の『正信偈』となって、今日の私たちに届けられている。
- 親鸞学徒は更に珍しき法を弘めず
- 「生まれる」のは、いつだ
- 魂の真の理解者
- 善の勧めを、なぜ絶賛されたか
- 偽なる者は甚だもって多し
- 造られた〝獲信体験〟
- 「ただ念仏して」の誤解を正す
- ただ信心を要とす
- 若不生者の誓い
- 運命の大転換
- 平成20年と平生業成
- 本当の人生の目的を知らないから、迷う
- 止まらぬ自殺と歎異抄
- 大きな時代の幕開け
- 真の知識との邂逅(めぐりあい)
- この世で弥勒と肩を並べる
- 仏教の至極(最も大切な御文)
- まことなるかな弥陀の誓願
- 大乗仏教の体現者
- 慢心が道を誤る
- 明るい日本をつくろう
- 出版ブームの「歎異抄」
- たくましき他力の信心
- 止まらぬ自殺、子供たちに真の「生きる力」を
- 妻を襲った突然の病 問わずにおれなくなった「なぜ生きる」
- 外された人工呼吸器
