黒い心、暗い心とはどんな心をいうのか

問い・浄土真宗・親鸞会 浄土真宗講座人間には、黒い心と暗い心とがあるとお聞きしましたが、どんな心でありましょうか。また、救われると、その心がどのように変わるのでしょうか。

答え・浄土真宗・親鸞会 浄土真宗講座

黒い心といいますのは、仏教では衆生性得の機といわれている心で、死ぬまでなくならない心です。 いわゆる煩悩心です。なければないで欲しい欲しい、あればあるでまだ欲しいまだ欲しいと思う欲の心とか、その欲が邪魔されると腹が立って来ますが、その怒 りの心とか、ネタミ、ソネミ、ウラミ、ニクシミなどの愚痴の心、あるいは、うぬぼれ心や他人や、物を疑う心、あの人はスリでなかろうか、これは本当のダイ ヤだろうか、ひょっとしたらガラスではなかろうかなどと疑う心などを黒い心といいます。

これは阿弥陀仏に救われても臨終までなくなりません。信心決定しても少なくもなりません。信前信後、通じて変わらない心です。

もちろん、信後は余計に見えてきますから懺悔となり歓喜のもとになりますが……。

次 に、暗い心といいますのは、仏教で自力計度の機といわれているもので、死にたくないいっぱいの自我意識が、どうしても今死なねばならぬと一歩後生と踏み出 した時に現れる、暗い心をいいます。信心獲得した人たちの喜ぶ姿を見るとうらやましくもあり、自分の後生はと考えると、そのような喜びもなければ、かえっ て暗い地獄へ堕ちそうな、底の知れない淵の上を泳いでいるような感じがする心です。

本当に阿弥陀さまは助けてくださるのだろう か。ひょっとしたら堕ちるのじゃなかろうか。自分の信心はこれで大丈夫だろうか。臨終に真っ暗になってきたらどうしようか。そんなにハッキリするものでは なかろう。これくらい聞いておれば、めったなことはなかろう。しかし、ツユチリの疑いもあってはならぬとおっしゃるでなァ。

あげればキリがありませんが、何しろ後生と踏み出すと、「どうも?」と首をかしげる、このハッキリしない心を暗い心というのです。この心が微塵ほどあっても信心決定していないのです。救われてはいないのです。

この暗い心は、信心獲得するとツユチリほどもなくなります。救われた人には、思ってみようとしても出てこない心です。しかもこの心はアッという一念で晴れ渡るのです。その時を信の一念とか、タノム一念とか、帰命の一念とかいうのです。

この心が晴れ渡ると、死んでよし生きてよし、浮かんでよし沈んでよし、この世へ生まれたのは、これ1つであったと日本晴れの心になって大満足します。そこまで求め抜きましょう。

 

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