仏教の方便とはどんなことか

問 なんでも、方便だ方便だという人がありますが、仏教で方便とはどんなことをいうのでしょうか。そんなに方便というものが必要なのでしょうか。方便という言葉で真実の教えが曲げられたりする危険性はないものでしょうか。お尋ね致します。

答 大変、大事なお尋ねだと思います。

方便という言葉の原語は「ウパーヤ」といい、目的に「近づく」という意味です。またそれから、目的に近づける為の手段も方便といわれます。

仏教では、私たちを真実に近づける手段をいいます。

例えば、動物園が子供の最も喜ぶ処であることを、よく承知していた親が、陽春の晴れた日、子供を連れて動物園行きバス停で待っている間に、子供の姿がみえなくなった。

捜すと後方の畑で草花摘みに夢中になっている。

バスの発車まで僅かしか時間がない。子供の好きにまかせておくと、動物園へはいけない。

「花子、そんな花摘みよりも、もっともっと楽しい動物園へ連れていってやるから、早くおいで」

どれだけ呼んでも動物園の楽しさを知らない子供は、一向に応じない。

そこで親は子供のために使うのが方便である。

先ず考えられるのは、子供と一緒に花を摘んで子供の両手いっぱいにすることである。

「これでよかろう。今度はお父さんのいうこと聞きなさいよ」

子供は機嫌よくついて来る。

動物園のあまりの楽しさに大事に持っていた両手の花が、つまらなくなり邪魔になり出した。

「お父さん、この花捨てようか」
「捨ててもいいよ、でも、そんな花になぜ夢中になって来なかったの」
「でも動物園って、こんなに楽しい処だとは知らなかったもん」

やはり一緒に花を摘むという方便が必要だったのです。

ところが、バス時間が切迫してそんな余裕のない時がある。

しかも子供は眼前の花に夢中で、親のいうことに従わない。そんな時の方便は、今と同等ではあり得ない。

子供の大事にしている両手の花をもぎ取り、大地に叩きつけ、引きずり倒してもバスに乗せねばなりません。

泣き通しであった子供でも、生まれて初めて味わう動物園の楽しさは、草花摘みなんかの比ではない。

「花子、大事な花をもぎとったお父さんを怨んでいるかい」
「ううん。怨んでなんかいない。こんな楽しい処へ連れて来てくれたもん。お父さん大好き」

と大満足である。

草花を摘んで貰った子供は親を愛情ある人だと感謝し、もぎ取られた子供は冷酷な親だと、その時は怨むでしょう。

しかし、ともに動物園へ連れてゆきたい親の愛情に変わりはなかったのです。

仏教では私たちを、絶対の幸福、無碍の一道という動物園へ連れてゆくのに、阿弥陀仏や善知識方は種々に善巧方便なされていると説かれています。

「蓮如上人仰せられ候。方便を悪しということある間敷なり。方便をもって真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。弥陀、釈迦、善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」(蓮如上人御一代記聞書)

弥陀、釈尊、善知識方の種々の御方便がなければ、私たちは真実の信心を獲て無碍の一道に出ることは絶対にできません。

真実に導くには方便は絶対に必要なものですが、真実を知らない者はそれに近づける方便も知るはずがありませんから、その点注意しなければなりません。

善財童子と呼ばれた青年が、53人の善知識を歴訪した時、26番目の婆須蜜という婦人を訪ねると彼女は、自らの10の本願を善財童子に示し、その第9願と10願に、

「自分と接吻したり抱擁した者はそうした関係を手がかりに、仏縁を結び悟道に入れたい」

と誓っていることが経典に説かれています。

如何にも情熱にとんだ青年を教導しようとする方便でありますが、こんなことを誰でもが自分の都合によって、これも方便だと真似ては大変なことになります。

あくまでも真実を体得した方でなければ、方便を駆使して真実を顕わすことはできませんし、それらの方々のどんな方便も悪いと嫌ってはならないことを、よく了承していなければなりません。

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