平成18年10月
蓮如上人の「白骨の章」を通して、「後生の一大事」の講演でした。
参詣された皆さんの声を紹介します。
白骨の章
夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、即ち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ。(蓮如上人)
聞かぬ心に聞かせる
東京都 男性
人間の一生がいかに速く過ぎゆくものか。切々と教えていただきました。
人間の命の速さを、お釈迦様は譬えで教えておられます。
「4人の弓の名人が、東西南北に矢を構え、それぞれの方向の彼方に的を定め、同時に矢を放つ。そこに大変足の速い男がいて、4人の名人の矢をサッと地面に落ちる前に拾ってくる。その男の足は大変速い。だが、それより速いのが人間の命である。」
長生きできたとしても、私もせいぜいあと30年か50年、夢幻のように過ぎ去るのだ、と思います。
一方で、「まだまだ生きておれる、明日も大丈夫」ということを大前提にして毎日を送っています。
命の短さを頭では分かりすぎるほどなのに、それに反発する心が自分の中にガンとしてあると感じます。
弥陀を深くたのむ身になり、この迷いを晴らして、真実の幸せにさせていただきたいと思います。
不意打ち食らった
千葉県 女性
「白骨の章」についてお聞きした翌日、知り合いで東京に住むおばあさんが、ホスピスに入所したことを知りました。ガンの再発が続いた末の決断だったそうです。
その方は、望んでも授からなかった娘の姿を、友人の孫である私に重ねて見ていたのだと思います。私がたまにプレゼントを贈ると、大変喜んでくれたものでした。その人が終末医療を受けることになったと聞いた時、私は不意打ちを食らったようなショックを受けました。
前日に蓮如上人から、私たちがあて力にし頼りとしているものは、皆「期限付き」で、最後には必ず離れていってしまうものだと教えていただきながら、とても受け入れられない気持ちになったのです。
蓮如上人が、「我や先、人や先」(※白骨の章)、まず死ぬのは自分が先で、他人が死ぬのはその後だと教えられている意味が、分かっていませんでした。死を恐ろしいと思うことはあっても、一時的な感情で、あとはケロリと平気な顔をしている。本心から恐れたことなどない私だと知らされました。いつの時代も変わらぬ人間の真実をどれほど聞かされても、「いつまでも死なぬ」といつも明日を計算しています。
死を他人事としか聞けない私だからこそ、いよいよ真剣に聞かせて頂きたいと思います。
まことの光に向かって。
私も必ず「煙」に
兵庫県 男性
「鳥辺山 昨日の煙 今日も立つ
眺めて通る 人もいつまで」
テレビや新聞で報道される死亡の知らせは、鳥辺山(火葬場)の煙が立っているのと同じと教えていただきました。
毎日毎日、煙が昇っているのに、他人事にしか思わず、明日、自分が死んで新聞に載るとは少しも思えません。
しかし、自分が思っていなくとも死は必ずやってくる。
この死という大問題がすべての人にあることを知らせ、その解決を教えたものが仏教と知った時、それまで葬式や法事をするための仏教と思っていた私には、大変な衝撃でした。
忘れられぬ3人の無常
大阪府 男性
人生のはかなさを教えていただき、忘れられぬ3つの出来事が脳裏によみがえってきました。
1つ目は祖母の死です。両親に代わって、私の面倒を見てくれた祖母が、火葬場で無残に散らばる白骨となって出てきた時、高校生だった私は、寂しさに声をあげて泣きました。
2つ目は救急救命センターでのこと。ある日、全身血まみれの40歳くらいの男性が搬送されてきたのです。建築現場で転落し、その衝撃で頭蓋骨が砕け、脳脊髄液が漏れ出していました。医師、看護師合わせて10名ほどが駆けつけ、必死に治療がなされましたが、医師は、「止血できない。お手上げだ」と言いました。なすすべもなく、その晩、男性は亡くなりました。泣きながら病室を出ていく奥さんや子供の姿が、今でも目に焼きついています。
その日の朝、今日が自分の死ぬ日だとは夢にも思っていなかった。いつもと同じように顔を洗い、家族に、「行って来ます」と言って、出られたのでしょう。だが、「朝には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり」(※白骨の章)この時ほど身にしみて思い知らされたことはありません。
3つ目は病理解剖の時です。冷たい金属台の上に死体が置かれ、病理医が無表情に黙々と作業を始めると、わずか1時間ほどで、すべての臓器がホルマリンにつけられてしまいました。
亡くなる前は家族もあり、家もあり、様々な肩書きも持っていた。しかし、裸で横たわる死体には、もはや何の権威も財産もありません。
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば、死出の山路の末・三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ(蓮如上人『御文章』)
家族も財産も、死ぬ時には持っていけない、一切を置いていかねばならないのだと、強く感じた出来事でした。
しかし、私はこれらのことを、完全に「他人の死」と見ていたようです。蓮如上人から、「とんでもない、次はおまえの番なのだぞ」と痛烈なお叱りを受け、ようやく目が覚めた思いです。