私も親鸞会会員に 八十八箇所 彷徨の果て
親鸞会の講演会で、親鸞聖人の「難度海」の譬えを聞いたとき、まさに水面で口をパクパクさせ、目の前の〝棒きれ〟(生きがい)にしがみついていたのが私だったと、思いました。
11歳で父を亡くし、親族同士の財産争いに神経をすり減らす思いをして、生きていました。
やがて遺産をすべて失い、自殺を試みましたが、死にきれず未遂に終わりました。
利益目的で仕組まれた結婚をしましたが、そこには幸せのかけらもありません。やがて、最初の夫と離婚しました。その後、愛した男性と再婚することができましたが、娘一人を残し、夫はガンでこの世を去っていったのです。
「娘を守るのは私しかいない」
涙を流す間もなく、ミシン工場で朝から晩までボロボロになって働きつづけました。苦しくて転機を求め、白竜と呼ばれる地元では有名な〝神〟に20年祈願しました。
阿含宗の修行も、高熱があろうと3年間休まず続けたものの、弟の病死や母の逝去と、荒波は相変わらずやってきました。
すがる思いで四国八十八箇所を回っていた昨年の春、チラシを見て、地元の親鸞会主催の講演会場へと足を運んでみたのです。
親鸞聖人の教えが、すーっと心にしみ入りました。
「苦しくとも、なぜ生きる」。
最も大事なこの問いを、生きるのに必死で気づかずにいたことに驚きました。
やっと真実に巡り合わせていただきました。「一向専念無量寿仏」が仏教の結論であるとは、親鸞会ではじめてお聞きしました。信ずべきは阿弥陀仏一仏。もうほかに迷うことはありません