かくて少年はニーチェを捨てた
与田 祐輔さん(仮名)
ニヒリズム(虚無主義)に陥り、世の中を斜に構えて見ていた学生が、両親も驚く好青年に生まれ変わった。
「自分の存在が透明であった時、生きる意味が分からず、ありがとうが言えなかった。今は素直に感謝できる自分がうれしい」。長く曲がりくねった道のりが、大きく変わった。その大転換はこうして起きた。
早熟な少年だった。
勉強せずとも、テストはできた。授業中にもかかわらず、堂々と小説を読み、小学6年の時には、業を煮やした先生に廊下へ引っ張り出された。
「なんであなたはそういうことをするの。授業を受ける気あるの!」。40代くらいの女の先生が、血管が浮き出るほどの剣幕で言った。
「あなたに教えてもらうことは何もない」
少年の一言に、先生の視線は宙をさまよい、口元はかすかに震えていた……。
中学時代の文集には、「哲学」と題した一文を寄せる。ギリシャ哲学から、デカルト、カントらの観念論を経て実存主義へと至る哲学の流れを要約し、「人間は欲と怒りの塊で、幸福にもなれなければ、生きる意味もない」と締めくくった。
「恐るべき中学生」と、だれもが畏怖する、はずだった。
現実は――完全な無視。
「だれも分かっちゃいない、だからバカは嫌なんだ!」
校舎の屋上から校庭を見下ろし、級友らにつくづく愛想が尽きた少年は、ニーチェ(独・哲学者)に傾倒する。学生服のポケットに、彼の代表作『ツァラトゥストラはこう言った』を忍ばせ、繰り返し読んでは哲学的思索にふけった。
「神は死んだ」の言葉が示すとおり、ニーチェは伝統的な価値観を引っ繰り返し、この世のすべては「無意味の連続」だと言ってのけた人である。それを悟らず、無意味な人生をだくだくと生きている人々を"畜群"と蔑視した。
「要するに彼は『愚者を愚者と言って何が悪い?』というゴーマンを絵にかいたような哲学者だったんです」
少年がニーチェに引かれたのは、そんな点ばかりではない。人は何をよりどころとして、苦悩に立ち向かって生きるべきか、それをだれよりも真剣に模索している人と思えたからだ。
〈苦しい生のただ中を生きる人間にとっては、自分たちが「なんのために生きているのか」、「なんのために苦しんでいるのか」という問いの答えが、どうしても必要なものになる。それがうまく答えられるなら人は大きな生の苦しみに耐えうるからだ。逆に、この問いがまったく答えられないなら生は耐えがたいものとなる。人間が、長い間「神」や「道徳」や「真理」を信仰し、求めつづけてきたことの根本の理由はここにある〉
(『ニーチェ入門』竹田青嗣)
苦しくてもなぜ生きる。
ニーチェは究極のこの問いを、キリスト教や道徳など、単なる思い込み、ごまかしの答えを排除して、槍の切っ先のようにして突きつける。
高校生となった少年の心にも、〝なぜ生きる?〟 なぞの疑問が呼び起こされ、渦を巻き、引きずり回し始めた。
「それが哲学の核心でしょう。でもそこは自分の入り込めない領域に感じました。たとえ自分で答えを出しても、ニーチェに鼻で笑い飛ばされるのが落ちでしょうから」
答えを求めつつ、得られぬもどかしさの果てに、ニーチェは風狂の人となった。
「答えが出せないなら、こんな世界、オレが破壊してやる!」。
少年はいつしか世界の破壊を夢想し始めた。
「生命を人工的に作り出せたら、人間に価値などないとハッキリする。そうすれば人生の意義も道徳も崩壊し、人はただ欲望のままに生き、世界は滅ぶ」。京都大学工学部工業化学科に入ったのも、動機はこんなシナリオを実現させるためだった。
■
大学卒業を目前に控えた与田さんは、今ではすっかり落ち着いた、親鸞学徒のまなざしをしている。将来は仏法精神を生かした医療制度の改革に取り組み、多くの人に笑顔をもたらす仕事がしたいと言う。そのための準備も着々と進行中だ。
何が自分を変えたのか?
与田さんは語る。
「大学で親鸞聖人のみ教えに出遇えたころ、先輩のそばを離れず、何時間でも教えを聞き続けました。
『噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたし』。
親鸞聖人の生命の大歓喜に触れた時の驚きは忘れられません。多生の目的ですからね。ああ、これが『なぜ生きる』の答えなんだと思いました」
最初はニーチェの哲学と比べながら聞いていた。
「彼の哲学は既成の価値を破壊してみせました。でも親鸞聖人の
『煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し』
のお言葉はケタ違いの破壊力です。
また彼の『超人』(新たな価値を創造する理想的人間像のこと)思想も、弥勒とこの世で肩を並べる現生正定聚の教え(※)と比べたら、随分つまらないこと言ってるなって感じです」
※
「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す(『教行信証』)
以前の自分を振り返り、「何か、熱に浮かされていたようなものです。いちばんの愚か者が自分だったと、仏教を聞くようになって気づいたんです」と自嘲する。「バカと気づけば肩の力も抜けて、今は感謝の心から、皆さんに何かをしたくて仕方がないんです」
かつてを知る友人からは、「あの与田が宗教にはまった」とひやかされもする。
「親鸞聖人の教えは、一般に宗教と呼ばれる作り話ではありません。それは微塵のごまかしもない、人間を徹見した教えだからです。どんな哲学者といえど、自己については真っ暗がりじゃないですか。わが身知らずに、聖人の教えをあれこれ言う資格はないと思います」。
穏やかになっても、舌鋒は相変わらず、である。