親鸞会館で聞法していた サイデンステッカー教授
「なぜ生きる」の英訳に携わった、コロンビア大学名誉教授のエドワード・サイデンステッカー氏が、平成19年8月26日、都内の病院でなくなった。『源氏物語』や、谷崎潤一郎、川端康成の作品の優れた英訳で、日本文学を世界に広めた氏は晩年、親鸞会の大講堂2000畳を訪れていた。
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太平洋戦争の終わった直後のことである。通訳員として来日したサイデンステッカーさんは、長崎の佐世保に駐留。そこは焼け野原であった。
戦争に負けてもくじけず、瓦礫を片付け、家を建て直し、勤勉に働く。そんな日本人の精神は、本当に立派だと心を打たれたという。
そこから日本、日本人への興味が生まれ、
「ちゃんと日本語を勉強しよう、これは一生涯を懸けて勉強するに値する国だ」
と感じた。
サイデンステッカーさんの業績は、『源氏物語』をはじめとして、日本文学の高い芸術性を、優れた英訳で海外に知らしめた点であると言われている。
厳粛にして深淵な書
だが、氏の人生最後の大仕事こそ、親鸞聖人の教えで人生の目的を明らかにした『なぜ生きる』の英訳だった。
実質的な翻訳は、一番弟子の同志社女子大学教授カーペンターさんが担当したが、仏意を英語に移しかえるあまりの難しさに、何度も壁にぶつかった。そのたびに、サイデンステッカーさんが、
「簡単な翻訳ならいくらでもできる。これは、厳粛にして深遠なる本なのだから、難しくても、頑張りなさい」
と、繰り返し励ましたという。
「厳粛にして深遠な書」――。それは、翻訳に5年の歳月を要したこの英訳版の裏表紙に、氏の言葉として象徴的に記されている
サイデンステッカーさんは、好き嫌いが激しかったことでも知られている。これまで様々な仏教書の英訳依頼を断ってきたが、その中、親鸞聖人の教えの翻訳を、最も尊敬する弟子にまかせようと決めたのは、サイデンステッカーさん自身である。それだけ、この書への思いが深かったことが、うかがえる。
氏の訃報は世界中に報じられ、各紙は巨匠を惜しむ記事を掲載したが、デイリーJ(海外の経済関係のブログ)には次のような一文があった。
「サイデンステッカー教授の最後の一冊が仏教関係の本であったことは、師の人生にとって非常にふさわしい」と。
不滅の功績に感謝
サイデンステッカーさんが、親鸞会館で聴聞したときのことを、同行した関係者はこう語る。
「初めて参詣されたのは、平成17年の親鸞学徒追悼法要(於:親鸞会館)の時でした。会場を歩かれ、仏教の本を広げている親鸞会会員のおばあちゃんの姿に感心されたり、いろんな人を見て楽しんでおられる様子でした。
死んだら何もなくなる、と思っておられたんですが、『それならどうして墓参りに行くのですか?』と尋ねると、そういえばそうだなと何か心にひっかかるものがあったようです。
素晴らしい、本当に素晴らしい旅だったと、後になって何度も言われ、富山でのことをとても懐かしく思っておられました。
『春になったら、温かくなったらまた行きますよ』と、今年の降誕会参詣を心待ちにしておられましたが、不慮の事故のため、その願いは、かなえられませんでした。
『手帳にしっかり日にちを書いてあるから大丈夫』と親鸞会館参詣を子どものように楽しみにしてられた姿が印象的でした。
サイデンステッカー教授には、もっともっと親鸞聖人の教えを聞いていただきたかった。でもその不滅の功績を、私たちは決して忘れることはありません」