正信偈の意味が分かった
松井千枝さん(仮名)
私は、日本神道の家に生まれ、寺には全然縁がありませんでしたが、嫁いだ先が、浄土真宗でした。
平成2年に主人を亡くし、49日が済むまでは、仏間で休み、正信偈をあげるように寺の僧侶から言われました。
正信偈といっても、今まで一度も読んだこともなく、読んでもなんのことかさっぱり分かりません。
自分でこんな意味だろうかと考えてみても、次の行を読むと、意味があわない。
49日が済んだころ、寺へ行ったら、
「正信偈の意味なんて知らんでもいいわ、お寺さんも知らへんよ」
といわれ、がっかりしました。
すると、「こんなチラシが入っていたから、ここなら聞けるんじゃないの」と教えてくれる人がありました。親鸞会主催の御法話でした。
会場に入ってみると、正信偈の最初の二行が書いてあるではありませんか。ああ、ここで正信偈の話が聞けるんだと思うとうれしくて、泣けて、泣けてしかたがありませんでした。
富山県の親鸞会館で正信偈を教えてもらえると聞き、それならばと参詣いたしました。
聞けば聞くほど、聞かずにおれなくなり、続けて参詣しています。
先日は、主人の十七回忌を行い、高森顕徹先生の著書をおみやげに出しましたところ、親戚も喜んでくれました。
最近は、息子夫婦がお仏飯をあげてくれるようになりました。