脱・ひきこもり
社会に居場所を失って、自室に引きこもる人たちは現在、150万人以上いると言われる。学校に行かせたり、仕事に就かせようと躍起になる周囲に対し、彼らは無言で問いかける。「なぜ学校へ行き、なぜ働かねばならないのか?」
現在溶接工場で元気に働く梶原悟さん(仮名)も、かつては引きこもりの青年だった。外へ出て生き生きと生活できなかった原因はなんだったのか?立ち直るまでの心の軌跡をたどり、社会問題化している「引きこもり」の提起する問題を、ともに考えてみたい。
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「学校なんかやめて、ロックバンドをやろう」
高校2年の秋に、悟は決心した。狭い教室に閉じこめられ、やりたくもない勉強で競争させられる学校がもともと肌に合わなかった。
幼いころから歌が好きで、ビリビリ頭蓋骨に響き、全身に震えが伝わるほど絶叫する快感は、面倒な人間関係も全部忘れさせてくれた。歌で生きるくらいなら勉強は要らない。成績不振で留年が決定した高3の冬、悟は中退を選んだ。
先のことは何にも考えていなかった。バイトで得たお金で音楽学校に通い、バンド仲間とライブで叫ぶのが最高の楽しみだった。夢によい、現実と向き合おうとしなかった。
それから4年が過ぎた。周囲の目も厳しくなっていく。
「本気で音楽で食べていくつもりなのか?だったら東京へ行ってこいよ」
煮え切らない悟に、仲間たちもいらだちを感じていた。思い切って上京するか?しかし、厳しい音楽業界で生き残れる個性も力もない。それは悟自身、よく分かっていた。
「頑張れよ」。叱咤激励する仲間の言葉も、優柔不断さを冷笑されているようで、かえって落ち込ませた。やがてバンドは自然消滅する。
引きこもるようになったのはそれからだった。ちゃんとした仕事に就いたり、専門学校に通うような時期を逸し、自分の居場所がどこにもないことに気がついた。楽しみだった音楽活動がなくなると、何をする気力も起きない。前へ進もうにも道がなかった。
引きこもりのはじまり
昼に目覚めて、テレビを見る。気分転換に散歩し、夕食を食べ、風呂に入り、そして寝る。ただそれだけの日々。
何もしない。それがこんなにもつらいこととは思わなかった。だが外へ出て、困難に立ち向かう勇気が出ない。必死で生きている人もいるのに、部屋でボーッと、飲み食いしている自分に、吐き気がするほど嫌気が差した。自己嫌悪するほど、気力が萎える。すべてが悪循環だった。
することがないと「お前は生きている価値がないのだ」という声なき声が、ぐるぐる頭を駆けめぐる。ベッドに横たわり、いつまでも天井を見つめて思った。
「地球も太陽もいずれ消滅する。おれなんかがいて何になる……」
ギターを手にし、好きな曲を口ずさんでも、心から燃えることはなかった。心は暗い雲に覆われ、生きること自体が重荷だった。すべてを投げ出したい。
「明日こそ死のう」
そう言い聞かせて、眠りに就いた。
転機は、親鸞会会員の姉から
そんな3年前の11月、夕食を済ませて部屋に戻ると、誰かがドアをノックした。7年間、ろくに口も聞かなかった姉・さゆりだった。
「これ、読んでみなよ」
優等生だったさゆりが、手渡した本には、「なぜ生きる」と書かれてあった。
「私、富山の親鸞会館まで、仏法を聞きに行っているの。人生の目的を教えられた親鸞聖人の教えについて聞かせていただけるのよ」。そう言うと姉は、少しぎこちない笑顔で部屋を出て行った。
訳も分からぬまま本を開くと、冒頭から、たちまちのめり込んだ。そこには言葉にならなかった悟の不安がズバリ表現されていたからだ。モヤモヤ混沌とした心の中が、言葉で表現されている。うんうん、そうそうと共感し、なるほど、そういうことかと心が整理されていく感覚に、ページをめくるのを悟は止められなかった。
とりわけ衝撃を受けたのは、この言葉だった。
――ラッセルが『幸福論』で「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、根本的な幸福の源ではなくて、現実からの逃避になっている」と言っているように、「趣味に熱中する楽しみ」とは、苦痛を一時的に忘れる時間つぶしといえるかもしれません。(「なぜ生きる」)
「そのとおりだ。おれは人生最大の悲劇である死から目をそらし、ごまかしていただけだった気がする」
一方、さゆりは心配だった。「あの本、ちゃんと読んでいるかしら」
姉と弟とはいえ、これまでお互いの悩みを語り合うこともなかった。ただ、悟の仏縁を念じ、幸せを願った。
悟は読み進むほどに、人間は結局、幸せになれないのだろうかという疑問と、本当の幸福があるならば知りたいという欲求に突き動かされていた。
そして、半月後のある日、
「姉ちゃん、富山のお話、今度はいつあるん?」
突然の悟の言葉に、さゆりは目を丸くした。まさか弟が、自分から「聞きたい」と言い出すなど思ってもいなかった。とりあえず、地元で開かれる親鸞会の講演会に一緒に参詣することになった。いわゆるニートの特権とも言うべきか、仕事はないが時間はある。日中毎日のように、地元での親鸞会の講演会に出かけるようになった。
そして翌年2月、初めて親鸞会館に参詣した悟は、親鸞会の会員となった。
「引きこもるプロセスはいろいろあるでしょう。でもそこから動き出せない根本は、なぜ生きるかが分からない。分からないのに、なぜ苦しんでまで学校へ行くのか、仕事をするのか、心の整理がつかないところにあると思うのです」
人生の目的が鮮明であれば、「そうだ、このために働くのだ」と、働く意欲が湧いてくる。
〝 労働意欲の一番の元は、人生の目的を知ることだ〟
悟は、こうして新しい人生のスタートを切った。
※参考資料
図 13歳~34歳の人口に占める非通学・非家事の非労働力人口比率
(平成2年~15年)
(※ 総務省 明日への統計2004より)
外部リンク