親鸞会 会員の声
今日はいちばん幸せな日
(東京都 学生)
私が、人生に対して漠然とした不安を持ち始めたのは高校時代でした。
中学から続けていた陸上の長距離でスランプに陥ったことがきっかけでした。練習しても練習してもなかなか記録が思うように伸びず、試合に惨敗した時、
「自分はいったい何のために走っているんだろう」
と考えたのです。それまで楽しかった陸上が、「何のために?」と考えだすと、途端にむなしくなってしまいました。
それからは、何をするにも、「何のために?」と考えるようになりました。
夢を抱いていた科学の道にも疑問を持ち始めました。「なぜ?」と考え始めると自分が科学者になって何を研究したいのか、目的がハッキリしないまま科学の道にあこがれていることに気がつきました。小さいころはあこがれであった科学者の人生を見ても、とても満足しているようには思えませんでした。
そして、「自分は何のために生きていくのか」「これ1つ果たしたら、わが人生悔いなしといえるものは何なのか」という問題にぶち当たりました。最初は少し考えれば分かることだと、なめてかかっていました。ところが、考えれば考えるほど自分の人生というものは漠然としすぎていて、つかみどころがなく、途方もない問題であることに気がつきました。
それまで無関心だった人生本といわれるような本も読みましたが、すべて的が外れていて自分の抱えている問題を扱っている本はありませんでした。周りの人を見ても、とてもこんな問題考えているようには見えませんでした。「このままの人生が過ぎ去っていくことに、誰も何の不安も感じないのだろうか」と不思議に思いました。
ある友達と将来のことについて語り合った時、初めて他人に、「何のために生きていくのか、分からない」という悩みを打ち明けました。その友達は、何でそこまで悩むの?という顔でしたが、「そういう問題だったら『ソフィーの世界』という本を読んでみたらいいかも」と哲学の本を紹介してくれました。
早速、読んでみると、最初のほうに、「哲学とはすべての人に共通して大事な『何のために生きるのか』という問題を扱うものである」というようなことが書いてありました。そして、歴史上の著名な学者の哲学が順々に紹介されている。
「この本になら答えがあるに違いない!」。大きな期待を持って読みました。ところが、読み終えても答えらしい答えは書いてありません。読み落としたに違いないと思い、読み返してみましたが結局答えは見当たりませんでした。この本にも答えは書かれていない、と知った時の落胆は激しく、一気に暗くなりました。
約3,000年もの間、優れた哲学者たちがこの問題の答えを探してきたのに、誰一人として答えを出していない……。そんな問題、自分が考えたところでとても答えなんか分かるわけないと絶望しました。
そうこうしている間に、大学受験が迫っていました。大学も気が進みませんでした。ただ、このままでは余計精神的に不安定になり、自殺してしまうかもしれないという危機感に襲われました。「こんな問題考えたって、分かるものじゃない。生きていけなくなる」と考えないようにし、わき起こってくる人生の疑問から目を背けて勉強しました。
何とか、大学に入学することはできたものの、心は晴れないままでした。
そんな時、親鸞聖人の教えと出遇ったのです!親鸞会とのご縁でした。
人生の目的と趣味・生き甲斐との違いを鮮やかに説明してくださるお話に驚きました。そして、納得せざるをえませんでした。多くの人は、この違いが分からないのです。そして「人生の目的はある!!」という断言。それまでの人生のどの言葉よりも重く、深く、衝撃的な一言でした。夢ではないかと疑いました。
「今まで生きてきた18年間の中で、今日はいちばん幸せな日だと思います!」と 言って、喜びとともに帰宅しました。
真実に巡り遇えたその喜びは、今も色あせないどころかますます深まるばかりです。
もし、あの時、声をかけてくださる方がいなかったならば、今ごろどんなことになっていたか。深く感謝せずにおれません。
人生に大切な目的があること、だからこそ自殺してはいけないことを、大切な家族はもちろん、多くの人にお伝えしていきたいと思います。