親鸞会 会員の声
私は仏法で自殺を思いとどまった
最愛の母を自殺で亡くした青木浩代さん(仮名)は、
仏法に出会い、人生の目的を知らされて、生きる力を取り戻しました。
青木さんの体験を紹介します。
『もしお母さんが死んだらどうする?』
ある朝、私は寝ぼけ眼をこすりながら台所にいるはずの母を捜しました。しかし、いくら呼んでも返事がありません。家の中には、みそ汁のいいにおいだけが漂っています。嫌な予感が胸をよぎりました。とうとう来るべき時が来た。
私の家は、物心ついたころから両親のけんかが絶えませんでした。ついに、母は家を出ていってしまったのです。
それでも残した子供が心配で、母は私と兄にこっそり会いに来てくれました。短い時間でしたが、母と一緒にいられることが、何よりの楽しみでした。
ある日、私をひざに乗せ、母は優しくささやきました。
「もしお母さんが死んだらどうする?」
私は大きな声で答えました。
「うん、もちろん私も死ぬよ。当たり前じゃない!」
そのとき母は笑っていました。
それから程なくのことです。母は列車に飛び込み、自殺しました。
凍る心、止まった時間
私が8歳の時の出来事でした。その日以来、私の心は凍り付き、死んだように止まりました。
「私の言った言葉が、母の自殺を後押ししたのではないか。もう少し大きければ母のSOSに気づくことができたのに」
それからは自分を責め続けました。
「私は生きていてはいけない」
どんな本を読んでも、どんな歌を聞いても、母のことを思い出し、心が痛むのです。この思いのやむ日は、40年たった今も一日としてありません。きっと死ぬまで消えることはないでしょう。
母の自殺が重荷となり、私は重度のうつ病となっていました。
母が自殺してから、死ぬことばかり考えていたように思います。
「よく今まで生き延びてこられましたね」
小学五年の時、手首をカミソリで切り、結婚してからもホースやロープを車に積んでただ一人、こっそり遠出をしたこともあります。
どの病院にかかっても病気はよくならず、医者に「あなたが治ったらノーベル賞ものだ」とまで言われました。
ある日、最後に行った病院で、初めてじっくり話を聞いてもらいました。
「よく今まで生き延びてこられましたね」
医師のねぎらいの一言で肩の力が抜け、すーっと体が楽になりました。
ちょうどそのころ、親鸞会とご縁を頂き、親鸞聖人のみ教えにあわせていただくことができたのです。「人生は難度海(苦しみの波の絶えない海)」の親鸞聖人のお言葉が胸に突き刺さりました。
なぜこんな環境に生まれたのか、なぜ私だけ、と他人を恨み通しの人生でしたが、「まかぬ種は生えぬ、刈り取らねばならぬ一切は自分のまいたものばかり」という仏教の根幹である、因果の道理を聞かせていただき、今までの自分の誤りを知らされました。
「絶対に自殺はしないで!」
同時に、どんなに苦しくても自殺してはならない、人生の目的を、親鸞聖人から
「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り未来永遠の幸福に生きることである。」と、教えていただき、
「人生には目的があった。この目的を達成するまで死んではならない、どんなに苦しくても自殺してはならない」と生きる力が胸にあふれてきました。
「絶対に自殺はしないで」
仏教によって本当の命の尊さを知らされた今、声を大にして叫びたいことです。生きる目的を知らず、苦から苦の綱渡りで真っ暗なところへ、自ら飛び込んでいく人たちが後を絶ちません。テレビなどで自殺の話題が出るたび、胃がキリキリ痛みます。
自殺は、自分が苦しむだけでなく、一生いえない心の傷を残された者に与えます。私たち家族が経験した苦しみは言葉に表せません。
4年前、46歳の若さで亡くなった兄は、生前、子供をもうけず、こう言っていました。「こんな不幸な子供は自分たちだけでいい」
人生の目的を知らなければ、本当に救いがないのです。
光に向かって幸せな人生を
幸いにも、私は「なぜ生きる」を知らされた。次第に、生まれてきた喜びも知らず、親の恩も感じられずに凍っていた心が解けていくのを感じました。
このような境遇になければ、本当の仏教を聞かせていただくことはできませんでした。
死ななくて本当によかった。これまでの苦しみが、真に報われる教えにあえたことを感謝せずにいられません。
自ら命を絶とうとしている多くの人たちに、親鸞聖人のみ教えを伝えたい。そしてかなうことなら、母にも聞かせたかった……。
生きる意味を知らされ、もう死ぬことは考えません。本当に救われた思いでいっぱいです。この喜びを胸に、光に向かって幸せな人生を歩ませていただきます。