この道こそ燃えられる
「冷めた子供」
子供のころの自分を端的に表している言葉。
幼稚園に通うころから、
「○○集会」と名のつく行事があれば、
「やって意味あんの。やらなくてもいいじゃん」
と思っていた。
小学生になっても変わらない。運動会といっても
「やんなくていいじゃん」。
音楽会も
「やりたい人だけやればいい。僕はやりたくない」。
しまいには、取り組み方が甘いために、先生から
「君たちは音楽会出なくていい」
と言われれば、一人で大はしゃぎする有り様。常に心は冷えていた。
「どーせやったって、何も得られないし、一生懸命やればやるだけむなしくなるって。それならやらないほうがいい」
口には出せないが、いつもそんな感じだった。
そんな私にも転機が訪れた。野球との出会い。兄の影響で、小学4年から野球を始める。
「野球なら燃えられるんじゃないか。冷めた自分ともおさらばできるのでは」
期待が膨らんだ。当時は野茂がメジャーに挑戦したり、イチローが活躍し始めたころで、
「僕もあの人たちと同じように、燃えてみたい」。
命を懸けて打ち込んでいるのが、うらやましかった。野球だけが僕の支えになった。
中学生の時は、運動会、音楽会など、冷めた態度が先生の目に触り数々の問題を起こし、高校でも、学校行事最大にして最も盛り上がる学校祭のクラス展や準備は、
「つまんないから」
とすっぽかし、合唱コンクールには、
「欠員がでると減点されるから、口パクでいいから出て」
とクラス代表に勧められたのでしぶしぶ参加。もちろん、口パクだった。
友達からよくこんな質問を受けた。
「おまえ、なんかやってて楽しいことあるの?」
冷めた態度が、友達の目には奇異なものに映っていたのだろう。
答えはいつも決まっていた。
「別に」
ずっと続けていた野球も、燃えようとすればするほど、冷めた心が見えてきた。
最後の夏の大会で、負けた時、チームメートは泣いていたが、僕は涙一滴も出なかった。9年続けた野球でも、だめだった。
次は受験、と打ち込んだが、受かったと同時に冷めた心が浮き彫りになり、
「一体この先、自分は何をしたら燃えられるのか、命を懸けて悔いなしといえるものは何か」。
求めずにおれない心と、
「どうせそんなものないよな。結局冷めた心を抱えたまま、生きるしかない、みんなそんなもんだろ」。
あきらめともとれる心を抱えたまま、大学に入学。そこで、
「人生の目的考えたことある?はっきりするからそれを教えられた親鸞聖人の教えを聞いてみないか」
と聞かれました。
「もしあるなら聞いてみたい」
という強い心と、
「しかしそんなものない。だいたい2、3歳しか違わない先輩に分かるはずない」
の疑いの心が同時にありました。
あるなら聞きたい。
そして、今度こそ、この命を燃やしたい。
斜に構えて聞いていた私に、懇切丁寧に話をしてくださる先輩、続けて聞かずにはおれませんでした。
やがて、親鸞会館で親鸞聖人のみ教えを、高森顕徹先生から聞かせていただきました。親鸞聖人の教えを知らされ、心は定まりました。
この道こそ、燃えられる。命懸けて悔いなしといえるものであると。
現在は、親鸞会会員となり。2000畳での親鸞会館のご法話に参詣しています。