苦しみの根元を抜く弥陀の本願
釈迦一代のご説法も、親鸞聖人90年の教えも、明らかになされたことは、「阿弥陀仏のお約束(本願)」ただ一つでした。
約束には必ず相手があります。大宇宙最高の仏である阿弥陀仏は、「すべての人」を「必ず救う」と誓われています。老若男女、賢愚を問わず、認知症の人も、余命1週間と宣告された人も一切差別なく、対象とされています。こんな本願は他にはありません。世を超えた大慈悲ですから、聖人は、「超世の悲願」「希有の大弘誓」と称賛されています。
では、どんなお約束を、弥陀はなされているのでしょうか。
人は皆、種々の生きづらさを抱えて生きています。「お金が足りない」「人間関係が煩わしい」「子育てが難しい」「この人と一緒にもう暮らしたくない」などなど。しかし弥陀の狙いは、そんな一時的な、各人各様の苦ではありません。「万人共通の苦しみの根元を抜く」というお約束をなされているのです。
高齢の長寿社会でも、散りゆく命に変わりはありません。死ぬことを「旅立つ」といわれますが、行き先はどこなのでしょうか。「ポックリ逝きたい」「死んだら終わり」「千の風になる」などと言いながら、実地に踏み出してみると、死後は有るのか無いのか、有ればどんな世界か。全く真っ暗がりではないでしょうか。
この後生が不安で暗い心を「無明の闇」といい、これこそ、古今東西の人類の「苦悩の真因」だと説かれています。
なぜそういえるのか?と首をかしげる人もありましょうが、例えば、成田からロサンゼルスへ向かう飛行機にオイル漏れが見つかり、燃料は刻々と減っているとしましょう。太平洋の真ん中で、降りる所はどこにもありません。機長から緊急アナウンスがあります。「当機はあと30分しか飛べません。この間、機内食は全てお配りします。大変面白い映画も見ていただきますから、どうぞ、楽しんでください」。「まだ30分ある」と言われても、墜落必至を知った乗客は、どんなサービスも楽しむどころではないでしょう。
「未来」が暗いと「現在」が暗くなります。必然の「未来」の不安を放置したまま、幸せな「現在」を求めてもムダです。人類が何を手に入れても心から喜べぬ理由は、ここにあるのです。
あらゆる人生を不安で覆う、この「後生暗い心(無明の闇)」を一念の瞬間に晴らして「後生明るい心(往生一定)」に救ってくださるのが、弥陀の願力なのです。未来は、限りなく明るい世界(弥陀の浄土)だとハッキリすれば、現在も絶対の幸福となります。一切の煩悩は変わらぬままで、この無上の幸せになるために私たちは生まれてきたのです。
阿弥陀仏の救いは、この本願を聞く一つ。「本願まことだった」と自力の心(疑情)が廃るまで、弥陀のお約束を、真剣によくよく聞かせていただきましょう。