親鸞学徒の本道をゆく

 昨年、平成20年の親鸞会結成50周年大会
 海の内外のへだてなく参集した親鸞学徒で、二千畳は埋め尽くされ、一方の通路もふさがり、ついにロビーにまであふれました。
 かつてない大盛況の中で「五十の船出」を果たした本会は、今、雄々しく航海を続けています。

 アメリカ発の金融危機で世界経済が不況に突入し、大企業でもリストラが相次ぐ中、本会は今年、700人が宿泊できるF館を、同朋の里に建設する予定です。
 ここ数年、聞法ドメインが短期間のうちに充実整備されていく様を目の当たりにすると、目に見えない阿弥陀如来の大きなお力を、誰もが感じるでしょう。
 まさに今、大悲の風が吹いているのです。

 聞法ドメインは、なぜ必要なのでしょうか。
 疑問に思う人は、まずドメインに宿泊し、法友と思う存分、仏法を語り合ったらいいと思います。
 とことん疑問をぶつけ、議論し、一つでも納得するまで、腹を割って話し合うことです。
 何の遠慮もいりません。仏法を聞くために、お互いこの世に生まれたのではないですか。

 夜を徹してでも仏法を讃嘆する中で、大変な誤解に気づくことがあります。
 今まで聞き誤っていた。弥陀の本願、聞きぞこなっていた。危なかった。このままでは、未来永劫の一大事であったと知らされた時、「私一人のためのドメイン建立でございました」と、骨の髄まで喜べるでしょう。

信仰の深まりが報謝の活動に

 さかのぼれば500年前の蓮如上人時代も、信心の沙汰が盛んに行われていました。

「もとより我が安心の趣いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をいたすべき所に、心中を包みて有の儘に語らざる類あるべし。これを責め相尋ぬる所に、有の儘に心中を語らずして、当場を言い抜けんとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中を遺さず語りて、真実信心に基くべきものなり」
「信心決定の人も、細々に同行に会合の時は、相互に信心の沙汰あらば、是れ即ち真宗繁昌の根元なり」(御文章四帖目八通)

『御文章』に何度もご教導なされているとおりです。

 信仰の深まりは報謝の活動となり、かくて浄土真宗は、日本一の教団となりました。
 全国津々浦々にまで、親鸞聖人のみ教えは浸透していったのです。

 その100年後、石山本願寺の立ち退きを要求してきた織田信長を相手に11年戦っても屈せず、あの頼山陽をして、「抜き難し、南無六字の城」(日本外史)と驚嘆せしめたほどです。

 だが江戸期に入るとキリシタン排斥を狙った幕府は、防波堤として仏教寺院を行政組織の一環に組み込み、保護管理しようとしました。
 浄土真宗は、世智弁聡の権力者にすっかり籠絡され、世法の庇護を受ける立場に安住して、親鸞聖人のたくましい精神は徐々に骨抜きになっていったのです。

 やがて明治以降、浄土真宗の再興を願って、親鸞聖人に帰れと、熱烈な信仰運動を起こした者は5人や6人ではありません。
 近代教学を築いた者、東大の学生運動を率いた者、魂を揺さぶる弁舌に長けた者、今親鸞、蓮如の再来か、と騒がれた者もいます。
 一世の快男児とでも言いうる者もいました。

 だが、今日それらの活動は皆、跡形もありません。
 その人の死とともに、あれだけ燃えていると見えた信仰運動の火が、全く消えてしまったのです。
 どうしてでしょう。それらの者と、蓮如上人とは、どこが違っているのか。我々は、熟知しておかなければならないでしょう。

 振り返れば、それらの者たちは、共通して、自分の体験ばかりを語っていたことに気づかされます。
 いわゆる私事です。
「この何某は、ああだった、こうなった」という話ばかりであったのです。

 ところが蓮如上人は、私事は全く語られていません。
「この蓮如は……」というような文章は、『御文章』のどこにもありません。

 ただ親鸞聖人のみ教えばかりを、仮名交じりで分かりやすく丁寧に、ひたすら教え続けていかれたのです。それでこそ、浄土真宗が日本全国に拡大していったのです。

 まさにこれが、親鸞学徒の進むべき本道でありましょう。

まず親鸞聖人のお言葉を明示して

 高森顕徹先生のご説法は、常に親鸞聖人のお言葉を示して、その意味を懇切に説き明かされます。そのスタイルは50年間、一貫しています。
 ベストセラー『なぜ生きる』(高森顕徹先生・監修)の「はじめに」には、こう書かれています。

「はたして人生の目的は、あるのか、ないのか。親鸞学徒として、親鸞聖人の言葉を通して迫ってみたいと思う」
「聖人の言葉をあげて、古今東西、変わらぬ人生の目的を明らかにした」 

 同じく、『歎異抄をひらく』にも、こう記されています。

「本書は、聖人自作の『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の真意の解明に鋭意努めたつもりである。親鸞聖人のお言葉を提示して、一石を投じたい」

 いずれも、まず親鸞聖人のお言葉を示す、という姿勢で貫かれているのです。

「私は、ああだった。こうなった」の私事を語る者たちの行く末は、明らかでしょう。
 私たちはあくまでも、親鸞学徒の本道を驀進します。
 そうである限り、浄土真宗親鸞会は無限に発展することでしょう。 

 50周年フィナーレのビデオには、次の言葉があります。
「まず親鸞聖人のお言葉を明示して、その正しい御心を徹底していく。浄土真宗と全人類の輝ける未来は、この一点にかかっていると言っても、決して過言ではないのです」 と。

 この教導を忘れず、今年も、親鸞聖人のみ教えをお伝えすることに全力を尽くしたいと思っています。

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弥陀の救いは 宿善まかせ
二度の弥陀の救い
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浄土真宗の極致とは
「仕事やめても聞くべきは仏法」と、なぜ言われたか
後生の一大事を心にかけて
聴聞とは何を聞くのか
どこが「おかしな話」なのか
「死ぬまで求道」と「平生業成」
「おかしな話」に終止符を
「真宗の極致」とは
「なぜ生きる」と親鸞学徒の使命
「聴聞に極まる」では頼りない心
苦しみの根元は「疑情一つ」
仏法は聴聞に極まる
大悲の願船と二度の救い
「往生を信じて」の誤解を正す
浄土真宗の極致は「捨自帰他」
去る者も追いかけて逃がさぬ摂取不捨の願心
弥陀の本願(名号)を聞くとは
「聞く一つで救われる」阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)
浄土真宗の肝要は一念往生
無条件の弥陀の救い
阿弥陀仏はどんな者のために本願を建てられたのか
親鸞聖人のただ一つ説かれた「なぜ生きる」の答え
善知識の説かれる教法
親鸞聖人の教えられた他力の信心とは
真の幸福になる因と縁
「なぜ生きる」を全人類に
遍照と摂取の如来広大の恩徳
仏願の生起本末に疑心あることなし
弥陀の救いと信疑決判
親鸞聖人の説かれた「信心」とは
「騙されても後悔しない」と仰ったのはなぜか
『歎異抄』の「ただ本願のみぞまこと」
名号を因とし光明を縁として
救われなかったら何にもならないのか
人生の目的は「往生一定」
億劫にも獲がたき真実の浄信
真の先祖供養とは――平生業成
「聴聞の一本道」とは「三願転入」
苦悩の根元は疑情一つ
誠なるかなや、摂取不捨の真言
平生業成は親鸞聖人唯一のメッセージ
死ねば誰でも極楽なのか
他力の信心から三世十方を貫く教えが説かれる
人生の苦海に大船あり
聞くだけで助ける「大悲の願海」
煩悩具足と弥陀の本願
無駄な努力は一つもない
弥陀の誓願不思議
運命は誰が決めたのか
本願寺門主「最後のメッセージ」
魂の葬式を急げ
「弥陀の本願まこと」は仮定ではない
疑情が晴れるまで
遠く宿縁を慶べ
「捨自帰他」が聖人の教えの命
弥陀は、ただ与えるためだけに
弥陀に起こさしめられる「欲生我国」の心
「雑毒の善」ならやらない方がいいのか
「仏法に明日はない」聞法の覚悟
燦然たる「世界の光」
弥陀の光明に遇う一つ
心の臨終と誕生
「聴聞」とは何をどう聞くのか
救われない原因は何か
大悲を普く伝える最高善
煩悩具足の凡夫と弥陀の本願
超世希有の大信心と出世の本懐
全人類は滝つぼに向かっている
多生にも値えぬ弘誓の強縁
まことに宿善まかせ
蓮如上人のご遺言
弥陀の救いは平生の一念
真剣な聞法の勧め
仏教の「因果の道理」と
弥陀の救い
「誠なるかなや」
親鸞聖人の大歓喜
仏教の目的は「抜苦与楽」
煩悩具足の全人類が
弥陀の救いのお目当て
弥陀の救いは多生の目的
仏の正意と善導大師
幾億兆年からの弥陀の救い
万人の目指す「無碍の一道」
自力の善では助からぬ
心も言葉も絶えた幸福
人生の目的と「無碍の一道」
昿劫多生の仏縁
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更に珍しき法を弘めず
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二種の廻向と『教行信証』
出世の本懐 果たす年に
我も人も、阿弥陀仏の
限りなき大悲の子
親鸞学徒の使命
平生の救いを明らかに
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最尊無上の弥陀の慈悲
「雑行を捨てよ」弥陀の遠大なご計画
自利利他の大道を往く
真仮みな是れ大悲の願海に酬報せり
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仏法者は因果の道理を深信する
弥陀の本願と親鸞聖人
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『正信偈』起草の目的は何か
弥陀の方便なくして
真実へは入れぬ
龍樹菩薩と弥陀の本願
親鸞聖人750回忌と親鸞学徒
聞き誤ってはならぬ「雑毒の善」
五劫思惟は誰のため
一切の滅びる中に
     滅びざるまこと
釈迦一代の教えは
 弥陀の方便の善なり
往生の大事
 一念に決する弥陀の救い
人類の迷信を破り龍樹菩薩殉教す
「煩悩の喜び」と「弥陀の救い」
弥陀釈迦の大恩
「真仮を知れ」親鸞聖人の教え
仏法は聴聞に極まる
苦海の人生を乗せて必ず渡す
阿弥陀仏の救助の大船
仏教の根幹・三世因果の教えと"今"を強調された親鸞聖人
三願転入は弥陀のお計らい
親鸞聖人の知恩・感恩・報恩
親鸞学徒の本道で邪義を破る
無上の幸福こそ人生の目的
“難中の難”と“易中の易”
なぜ自殺は愚かなのか
親鸞学徒の本道の要諦
二種深信でひらく『歎異抄』
異端か、正統か。『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月
自力とは何か
正しく聞けているか
「雑行」が分からぬのは なぜか
『歎異抄』から流れ出る思想
更に珍しき法を弘めず
底なしの悪人を救う本願
聞法の決勝点
弥陀の19の願意
『歎異抄をひらく』から1年5カ月の現状
どこに向かって 泳ぐのか
諸行往生は本願にあらず
「心の向き」がポイント 喜捨と税金
カンダタは誰の心か
親鸞学徒の本道をゆく
自由と平等
洗いざらい語り合え
信心の沙汰をせよ
徒にすぐる月日の多い私たちと宿善
伝えたいことがある
親鸞学徒は更に珍しき法を弘めず
「生まれる」のは、いつだ
魂の真の理解者
善の勧めを、なぜ絶賛されたか
偽なる者は甚だもって多し
造られた〝獲信体験〟
「ただ念仏して」の誤解を正す
ただ信心を要とす
若不生者の誓い
運命の大転換
平成20年と平生業成
本当の人生の目的を知らないから、迷う
止まらぬ自殺と歎異抄
大きな時代の幕開け
真の知識との邂逅(めぐりあい)
この世で弥勒と肩を並べる
仏教の至極(最も大切な御文)
まことなるかな弥陀の誓願
大乗仏教の体現者
慢心が道を誤る
明るい日本をつくろう
出版ブームの「歎異抄」
たくましき他力の信心
止まらぬ自殺、子供たちに真の「生きる力」を
妻を襲った突然の病 問わずにおれなくなった「なぜ生きる」
外された人工呼吸器
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