人界受生の喜び
親鸞聖人は、約千年前、日本で活躍なされた源信僧都を、
偏に安養に帰して一切を勧む(正信偈)
と讃え、そのご恩を喜ばれています。
これは、〈源信僧都は阿弥陀仏に救われて、弥陀より外に助ける力のある仏はおられないから、弥陀に一向専念せよと、一切の人々に勧められた〉ということです。
仏法の目的は弥陀に無碍の一道に出させていただく以外にありません。それ一つ説かれた源信僧都は、「横川法語」の中にこう仰っています。
まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり
“まず三悪道(地獄、餓鬼、畜生の苦界の三つ)を離れて、人間に生まれたことを喜びましょう”
釈尊は、“人間に生まれるものは爪上の砂とすれば、三悪道に堕ちる者は、大地の砂のごとし”と説かれています。
それは畜生界と比べても明らかでしょう。アリの数は2京ともいわれ、ハエやネズミの数など想像もできません。現在、地球上の生き物は3千万種を超えるといいますから、天文学的な数字となるでしょう。
それらの生き物を大地の砂に例えれば、80億の人類は爪上の砂に違いありません。人間に生まれることは、宝くじに当たるどころの確率ではないのです。
近年、芸能人をはじめ若者の自殺が相次いでいます。余程苦しい事情があってのことでしょうが、人間に生まれた喜びを知らないから、命を捨てようとするのでしょう。痛ましいことに、三悪道に逆戻りするだけです。
どんなつらい目に遭おうとも、畜生界よりましではありませんか。「虫けらのように殺される」「牛馬のごとく働かされる」などと言われるように、畜生界は悲惨です。
幾ら貧しくとも、一切の飲食を断たれ、骨と皮となった餓鬼と比べれば幸福ではないでしょうか。思いどおりにならぬ人間界でも地獄の苦には比較になりません。
まず人間に生まれたことを喜ぶことが大事な心掛けであると源信僧都は教導されています。
相対の幸福しか知らない私たちですから、三悪道と比較しながら、まず人間に生まれた喜びを知らせ、折れず曲がらず聴聞の一本道を進み、弥陀に救われ、善悪を超越した無碍の一道に出させていただきなさいと、源信僧都は勧めておられるのです。
有り難い人身を受けた喜びをかみしめて、寸刻も無駄にせず、光に向かって進ませていただきましょう。
(R5.8.1)