孤独死する人、しない人
ズバリ老後の貯蓄は、いくら必要でしょうか。答えは、「他人に聞くものでない」でしょう。1人1人、家族の数も健康状態も異なるのですから、自分で計算するしかありません。
年金の受給は原則、65歳からですが、60歳に早めたら3割減額になりますし、75歳なら8割以上、増えます。何歳からが最善か、その計算は真剣そのものです。
しかし還暦を過ぎれば、ガンになる確率は急増し、70歳以上の半数が発症します。うち2人に1人は、治癒せず死んでしまうといいます。病気や事故、災害、無差別殺人など、死の縁無量です。後生は100パーセント確実な未来であり、しかもそれは明日かも知れないのです。
もらえるか怪しい年金や、遭うか分からぬ火災や地震のことでさえ、真剣に考えているのではないでしょうか。後生どうなるか、これ以上の大事はないのです。
ご自身の旅立つ先を親鸞聖人は、
「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰す」
と遺言されています。「安養浄土」とは、阿弥陀仏のまします極楽のことであり、大宇宙で最も清らかな、楽しみに満ちた世界をいわれます。「いよいよ親鸞、この世の終わりが近づいた。弥陀の浄土へ還るぞ」との確言です。
このように後生は浄土へ往けるに間違いなしと定まった大安心を「往生一定」といいます。今日の言葉でいえば、どんなことがあっても変わらぬ「絶対の幸福」といっていいでしょう。
弥陀に救い摂られた人は、この世は無上の幸福に生かされ、一息切れると同時に弥陀の浄土へ往き、仏に生まれさせていただけます。
ならば聖人は今、浄土で何をされているのでしょうか。ご遺言には
「和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ」
と続けられています。岸辺に寄せては返す波のごとく、一旦は極楽へ往くが、すぐさま還ると、無窮の往来を宣言されているのです。
弥陀に救われたならば、弥陀の無量の慈悲を賜るから、苦しみ悩む人が、娑婆に1人でもいる限り、極楽でジッとはしておれません。聖人ご入滅から750年が過ぎ、お姿を拝見することはできませんが、片時も休まれず、衆生済度に戻ってきてくださっているのです。
ゆえに私たちは、どんなに苦しい時も、悲しい時も、決して1人ではありません。そばに必ず、親鸞聖人がましますのですから。今も「頑張りなさい、もう少しだ」と押し出してくださっているからこそ、光明輝く浄土に向かって進ませて頂けるのです。如来聖人の洪恩に深謝しつつ、共に励まし、共に進ませていただきましょう。親鸞学徒に孤独はないのです。
「一人居て喜ばは 二人と思うべし、
二人居て喜ばは 三人と思うべし、
その一人は親鸞なり」
(御臨末の書)
(R3.12.15)