『歎異抄』で「なぜ生きる」を全人類に
親鸞聖人の教えはただ一つ、「人はなぜ生きる」の答えでした。
コロナ禍で日本人の、特に女性の自殺が急増し、緊急事態と目されています。日本では永らく自殺者が減っていましたが、昨年は11年ぶりに増加に転じました。中でも小中高生は、過去最多となっています。
どんなに苦しくても、なぜ自殺してはいけないのでしょうか。「なぜ生きる」の開顕は、親鸞学徒にしかできない、人類永遠の救済です。
やがて必ず死ぬのに、なぜ生きる。こう問われて最も多い返答は、「人生の目的は分からない」というものです。
「分からないから、考えないようにしている」と開き直る人までいますが、順境で悩まずに済んでいるだけでしょう。不況で仕事を失ったり、災害で無一文になったり、重病や大事故で不自由な体になったら、どんな人も、生きる意味を考えずにはいられなくなります。
人生の目的は「死ぬまで分からない」とか、「ない」などという主張は、何の救いにもならないのです。
「目的は人それぞれ」という意見も多くあります。たしかに、大学合格や結婚、出世、マイホーム、記録などの目標に向かい、達成した時は充実感を味わえます。ですが、その喜びは、どれだけ続くでしょう。若くして起業に成功し、使い切れぬ大金を手にした直後、末期ガンを宣告され、後悔で世を去った青年もいます。今日あって明日ない幸福では、「このために生まれてきた」という生命の歓喜は、味わえません。
人生の目的ほど大切な問題はないのに、どんな哲学・思想・文学も答えられないでいます。なぜ、誰も生きる目的が分からないのでしょうか。それは、人生の目的を分からなくさせる、暗い心のせいなのです。この闇の心を、仏教では「無明の闇」といいます。
この闇は、肉体の生まれるより、はるか過去からずっと続いてきた、迷いの根元であり、真宗宗歌には「永久の闇」と形容されています。この根深い黒闇のために、すべての人は生きる意味が分からず、苦から苦への綱渡りをしているのです。
苦悩の根元「無明の闇」を晴らしてくださるのは、阿弥陀仏の本願だけです。弥陀の不可思議の願力によって、この闇が破られたら、どうなるか。
「永久のやみよりすくわれし 身の幸何にくらぶべき」
と歌われていますように、どんな幸福とも比較にならない最高無上、絶対の幸福に生かされます。同時に、「人間に生まれたのは、これ一つのためであった」と、人生の目的がハッキリするのです。
この無類の至福を『歎異抄』1章には、「摂取不捨の利益」と讃嘆されています。人生の目的をひらく『歎異抄』をすべての人々にお伝えすることは、親鸞学徒の急務なのです。