「無明業障の病」と名号の働き
新型コロナウイルスの感染拡大で、イベント自粛、一斉休校、人や物の移動が制限されて株価は大暴落し、世界全体を暗い影が覆っています。
目に見えないウイルスの脅威に、我々の日常が、いかに危うく脆弱なものか、まざまざと知らされます。
「致死率は高くない。そんなに恐れる必要はない」という声もありますが、「特効薬がない」「死ぬかもしれない」という恐怖からは、誰も逃れられません。
普段は意識しない死の問題を眼前に突きつけられた時、こんなにも人間は無防備なのです。
この喧騒も、特効薬ができるか、集団免疫で、やがては終息するでしょうが、無論、死ななくなったのではありません。根底にある死の問題は先送りされただけで、人類の暗い心は依然として晴れぬままなのです。
昨日、今日、明日、広くいえば去年から今年、そして来年へと、人生はどんどん進んでいきます。「生きる」とは、確実に「死に近づいている」ということなのです。誰にも止めようがありません。
やがて死にぶち当たります。さて、どこへ旅立つのでしょうか。誰も知りません。その先は、全くの闇なのです。
このお先真っ暗な心を仏教では、
「無明業障の恐ろしき病」と言い、次のような症状があると教えます。
「死んだらどうなるか分からない」
「生まれてきた喜びがない」
「科学の進歩で便利になったが、心から喜べない」
「何のために生きているのか、分からない」
「底知れぬほど、人生は寂しい」
「どんなに金や物に恵まれても、幸せを実感できない」
誰もが、うすうす感じている心ではないでしょうか。全人類が抱える、この「無明業障の恐ろしき病」は「無明の闇」とも言われ、万人の苦悩の根元と教示されています。
だからこそ大宇宙最尊の仏である阿弥陀仏は、「すべての人の無明の闇を破り、来世は必ず浄土へ往生できる、絶対の幸福の身にしてみせる」と誓われているのです。これを阿弥陀仏の本願といいます。そして弥陀は、本願の通りに救う力のある「南無阿弥陀仏」の六字の名号を、すでに成就、完成してくだされているのです。
この名号(本願力)の働きだけを他力といいます。
親鸞聖人は、名号(南無阿弥陀仏)の広大無辺な威神力を、次のように讃嘆なされています。
「無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう」
“阿弥陀仏が完成なされた名号には、果てしない過去から私たちを苦しめてきた無明の闇を破り、どんな人をも絶対の幸福にする、偉大なお力があるのだ”
※無碍光如来……阿弥陀仏のこと