大乗院の夢告
磯長の夢告より9年たった正治2年12月上旬、28歳になられた親鸞聖人は目前に迫る一大事の後生に懊悩なされて、比叡山の南、無動寺の中にある大乗院にこもり切られるようになりました。
そして参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)如意輪観音が現れて親鸞聖人は再び夢告にあずかったことを記されています。
「善いかな、善いかな、汝が願、まさに満足せんとす。
善いかな、善いかな、我が願、満足す」
「おまえの後生の一大事、解決できる日は近いぞ。絶望せずに求め抜け、私の任務も終わろうとしている」
というもので、これを大乗院の夢告といわれています。
明けて29歳になられる親鸞聖人にとっては、比叡山時代の終わりに近いこの時は、まさに阿弥陀仏の絶対の救いは眼前に近づいていたのです。
この阿弥陀仏の絶対無二の救いに遇わせることが、一切の諸仏、菩薩の唯一の任務でありますから、如意輪観音もその使命を果たせる喜びを夢告したものと思われます。
比叡山の根本中堂から大乗院への道