「往生の一路」を残した 法霖 自決の真相 (1/6)

親鸞会

往生の一路は平生に決す
今日何ぞ論ぜん死と生とを
蓮華界裡(れんげかいり)の楽を快しむに非ず
娑婆界(しゃばかい)に還来(げんらい)して群生(ぐんじょう)を化(け)せん

〔意訳〕
 人界受生の本懐、後生の一大事の解決は、平生にできている。
 娑婆に別れを告げる今日、今更死んだらどうなるか、後生のせんさくなど無用、生きてよし死んでよし、極楽往き間違いなし。
 だが、極楽浄土に往って百味の飲食たらふく食べて、
 応法の妙服を着、八功徳水の温泉につかって休もう、などとは少しも思っていない。
 何のために生きるかを知らず、悩み苦しむ人がいる限り、娑婆世界に、すぐ還って来て苦悩の人々を化導せずにおれないのだ。

 江戸時代の浄土真宗の碩学・法霖が辞世として詠んだ漢詩「往生の一路」は、詩吟としても大変有名である。
 しかし、この詩には、ある秘話が伝えられている。本願寺の正統なる歴史には決して出てこない秘話とは──。

並外れた才能
能化に抜擢される

 京都・大阪を中心に、芸能・学問などが花開いた江戸中期。

 法霖は、元禄6年(1693)、紀州海部郡関戸村(現・和歌山市関戸)に生まれた。身長7尺2寸と、大柄だったと伝えられる。

 17歳で鷺森別院で得度し、19歳で『選択本願念仏集』を講義して希代の奇才とうたわれた。

 27歳で本山の教育機関である学林に入り、3代目能化・若霖(じゃくりん)に師事し、講義や執筆に活躍の場を広げた。

 華厳宗の大学者・鳳潭(ほうたん)との法論は極めて有名である。比叡山の学僧だった時から異才を発揮した鳳潭は、京都に華厳寺を開いてからは、盛んに他宗を非難していた。享保15年(1730)、74歳の鳳潭が浄土真宗を批判した書物を発刊したのを受け、法霖は『笑螂臂(しょうろうひ)』5巻を1カ月で書き上げ、これを完膚なきまでに論破した。この時、法霖40歳。

『本願寺通紀』(*)には、
「実に開宗已来の盛事と為す」
と絶賛している。

 第4代能化就任は、この法論の4年後であった。

*『本願寺通紀』……本願寺が自らの歴史を書いた書物


>>本山の宗義の乱れを嘆き 重鎮たちに訓戒

     

 

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