聖人一流の章

聖人一流章
  〜信心をもって本とする〜

聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候。
その故はもろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう。
その位を「一念発起・入正定之聚」とも釈し、その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と、心得べきなり。
(蓮如上人)

 「聖人一流の御勧化の趣は」 の冒頭は、 〝親鸞聖人九十年の生涯、教えていかれたことは〟 と言われている。

「蓮如、さらに私なし」

 蓮如上人はこのように、常に親鸞聖人の教えばかりを明らかにされた方であった。
 八十通の『御文章』すべて、長短はあっても親鸞聖人の教えの外は説かれていない。

「それ、当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは……」(二帖目十通)
「抑、親鸞聖人の一流に於ては……」(一帖目四通)
「抑、親鸞聖人の勧めたまうところの一義の意は……」 (三帖目七通)

など挙げればキリはないが、八十余年の生涯、蓮如上人の布教姿勢は一貫して変わらなかった。

「蓮如はこうだった」「ああだった」「私はこう思う」など一言も聞こえてこない。
  まさに親鸞学徒の鑑である。

弥陀の救いは信心一つ

「親鸞聖人の教え」といっても、仏教以外にないことは、 「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」 の常の仰せで明らかであろう。

 その釈迦如来の教え=仏教は、「弥陀の本願」ただ一つであったと聖人は、 「如来所以興出世  唯説弥陀本願海」 と『正信偈』に断言されている。

「本願」は「誓願」ともいわれ、約束のこと。
  本師本仏の阿弥陀仏が、 「すべての人の苦悩の根元である無明の闇を破り、 〝必ず浄土へ往ける〟大満足の身に救い摂る」 と誓われているお約束が、 「弥陀の本願」である。

「無明の闇」とは、「死後どうなるか分からない、後生暗い心」をいう。
御文章  一息切れたら「後生」である。全人類の百パーセント確実な未来であり、早ければ今晩かもしれぬ。私の吸う息吐く息と触れ合っているのが「後生」なのである。
 その「後生がハッキリしない」ほどの一大事はなかろう。行く先知らずに飛んでいる飛行機のようなもので、確実な未来が暗いまま、明るい現在を築くことは不可能だ。

 我々が苦から離れられない原因は、「金がないから」でも「病気だから」でも「こんな人と結婚したから」でもない。「後生暗い心(無明の闇)」こそ、すべての人の苦しみの根元と弥陀は見抜かれて、 「無明の闇を破り、往生一定の身に必ず救う」 と誓われているのである。

 この弥陀の誓願に救い摂られて、一切が浄土往生の碍りとならなくなった世界を「無碍の一道」とも「絶対の幸福」ともいわれる。

 では、どうすれば「無碍の一道」「絶対の幸福」になれるのか。最も知りたいことを親鸞聖人は、 〝信心一つ〟 と生涯、鮮明に説き続けていかれたのである。
  これを蓮如上人は、 「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」 と確言されている。

 他にも 『御文章』の至るところに、

「祖師聖人(親鸞聖人)御相伝一流の肝要は、ただこの信心一に限れり」(二帖目三通)
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」 (四帖目十五通)

など重ねて説かれ、 〝弥陀の救いは信心一つ。片時も急いで信心決定してもらいたい。この外に親鸞聖人の教えはないのだよ〟と、「信心為本」の聖人の教えをひらかれている。

  聖人の「信心」とは

 では、聖人の「信心」とは、どんな信心なのであろうか。
「その故は」と次に、 「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう」信心である、と説き明かされる。

「もろもろの雑行」とは、 「後生の一大事を助かろうとして、阿弥陀仏以外の諸仏や菩薩や神に仕えるなど一切の行為」をいう。
 この「雑行」ある間は絶対に助からないから、「なげ捨てよ」と蓮如上人は徹底して厳しい。
「もろもろの雑行」が廃って、 「私の後生の一大事救いたもう仏は、大宇宙広しといえども阿弥陀仏一仏であった」 と、弥陀に「後生の一大事」をうちまかせたことを、 「一心に弥陀に帰命」 と言われ、同時に、弥陀の不可思議の願力を「不可思議の願力であった」と知らされて、 「仏の方より往生は治定せしめたまう」 〝まったく阿弥陀仏のお力によって、往生一定・無碍の一道に救い摂られるのだ〟。

 これが親鸞聖人の明かされた「他力の信心」であると、蓮如上人は懇ろに教えておられるのである。

 ここで「もろもろの雑行をなげすてて」も、「一心に弥陀に帰命する」も、「不可思議の願力であった」と知らされた時も、「仏の方より往生は治定せしめたまう」も、文章では前後ができるが同時で、「弥陀に救い摂られた」ことである。

平生一念の救い

 その「弥陀の救い」を次に「その位を」と言われ、 「一念発起・入正定之聚」 と解説されている。
「一念」とは何兆分の一秒よりも短い時間、「正定之聚」は、さとりの五十二位中の五十一段、「間違いなく仏になれると定まった位」をいう。

 弥陀に救い摂られた一念に五十一段高とびさせられ、浄土往生間違いない「無碍の一道」へ雄飛させられることを、 「その位を『一念発起・入正定之聚』とも釈し」 と言われ、 「その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と、心得べきなり」 〝弥陀に救われてからの念仏は、浄土往生が決定した大満足の心から、その御恩に報いる念仏である〟 と結ばれている。

 親鸞聖人のみ教え、「唯信独達の法門」は、この短い「聖人一流の章」にすべておさまっているのである。

 

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