更新履歴(令和3年)
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孤独死する人、しない人
私たちは、どんなに苦しい時も、悲しい時も、決して1人ではありません。そばに必ず、親鸞聖人がましますのですから。それはどういうことか、聞かせていただきましょう。(R3.12.15)
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一生、金に困らぬ法
お金の心配を無くしたい。健康の次に大きな悩みが、金銭ではないでしょうか。(R3.11.15)
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ああ、不思議なるかなや 弥陀の誓願
明日のことさえ分からないのに、どうして死後の極楽浄土が、生きている今、ハッキリするのでしょうか。それこそが弥陀の救いであり、「弥陀の誓願不思議」と仰るゆえんなのです。(R3.11.1)
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信ずる心も与えて救う弥陀の大慈悲
阿弥陀仏は、十方衆生(すべての人)を、「信ずる心も念ずる心もない」煩悩具足の極悪人と見抜かれています。そんな十方衆生を弥陀はどのように救おうとなされているのか。弥陀の大慈悲を聞かせていただきましょう。(R3.10.1)
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あなたの救われない唯一つの理由
あなたの救われない唯一つの理由とは何か。そして釈迦弥陀・善知識の最も喜ばれることとは何か、聞かせていただきましょう。(R3.9.15)
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夢のあと、旅立つ先は?
すべての人は、最後の一息尽きたなら、火葬場で焼かれた後に残るのは、一つまみの白骨に過ぎません。懸命に生きてきたのは何だったのか。死んで旅立つ先はどこなのでしょう。ハッキリしないままでは一大事ではないでしょうか。(R3.9.1)
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一心に弥陀に帰命せよ
人生は、苦難、困難、災難の荒波の絶えない難度の海だと、親鸞聖人は仰せです。そんな難度の海を明るく楽しく渡す大船があると、聖人は断言されています。(R3.8.1)
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火急の一大事と解決の道
仏教は、全ての人の行き先である後生に一大事のあることと、その解決一つ説かれたものです。仏教一つ教えられた親鸞聖人からその解決をお聞きしましょう。(R3.7.15)
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「生きる目的」と「大悲の願船」
やがて必ず死なねばならないのに、なぜ苦しくても生きねばならないのでしょうか。この古今東西のすべての人が最も知りたい疑問に答えられた方が、親鸞聖人なのです。(R3.7.1)
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徹底せよ「宗の極致」
聖人90年の教説を、覚如上人は端的に、こう表されています。「真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする」(改邪鈔)(R3.6.15)
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ああ、不思議なるかな無碍の一道
「えー、そんな幸せが本当にあるの?考えられない」と誰もが驚き、耳を疑う永久不変の幸福を、親鸞聖人は「念仏者は無碍の一道なり」と宣言なされています。(R3.6.1)
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運命の不可解を説き明かす仏教
善い行いをすれば、幸福という善い結果が現れ、悪い行いをすれば不幸や災難が引き起こります。自分の運命は例外なく、自分の行為が決めるのです。この「因果の道理」が仏教の根幹なのです。(R3.5.15)
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人類最大の問い「人間とは何か」
「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか」これこそが、人類最大の謎なのです。親鸞聖人は、古今東西の人間の実相を『歎異抄』に喝破されています。(R3.5.1)
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『歎異抄』で「なぜ生きる」を全人類に
やがて必ず死ぬのに、なぜ生きる。親鸞聖人の教えはただ一つ、「人はなぜ生きる」の答えでした。『歎異抄』にどのように書かれているか、お聞きしましょう。(R3.4.15)
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人に依らず、法に依れ
臨終の迫ったお釈迦さまは、悲しみに暮れる弟子たちに、「人に依らず、法に依れ」と厳しく遺言なされています。(R3.3.15)
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仏教で最も重要な3つの言葉
数多くの仏語の中で、最も重要な3つを挙げれば、名号、信心、念仏です。しかもこの3つは、深い関連性のある言葉なのです。(R3.3.1)
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今日が聞法、最後の日
「仏法は聴聞に極まる」と言われるように、弥陀の救いは聞く一つです。その「聞く」とは、何をどこまで聞くことか、親鸞聖人からお聞きしましょう。(R3.2.15)
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「人生の目的」と「生きる手段」の峻別
目的があるから手段があります。 目的なしの手段はありえません。ところが、これが人生となると、途端に分からなくなってしまうのはなぜでしょうか。(R3.2.1)
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生まれ難い人間に生を受けた目的
生まれ難い人間に生を受けたのは、何のためか。いつ壊れるか分からない、刹那の快楽を追い求める人生は、常に不安が付きまといます。それでは、生まれてきてよかったという生命の歓喜は、望むべくもないでしょう。(R3.1.15)
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