王舎城の悲劇とは
親鸞聖人は、「阿弥陀如来に救われると、イダイケ夫人と一味の世界に生まれ出る」と、『正信偈』に説かれている。
イダイケ夫人とは、この世で最初に、阿弥陀如来に救い摂られた人である。
そこには、どんなドラマがあったのか。『観無量寿経』に説かれている「王舎城の悲劇」といわれる物語が、それである。
この王舎城の悲劇については、以下の記事も参考にあげておく。
→ 王舎城の悲劇とは?あらすじと登場人物の正体
インド・ビハール州南部のパトナ県には、周囲を山に囲まれた王舎城跡が現存する。城址からは、悠々と延びる丘陵が見渡せる。
今から2,600年前、インドで、最強を誇っていたのは、都に王舎城のある、マガダ国だった。イダイケ夫人は、その支配者・ビンバシャラ王の妃であった。
国王夫妻は、物質的には何不自由のない生活を送っていたが、ただ1つ、悩みがあった。後継者の問題である。2人には子供がなかった。
「このままでは私たちの世継ぎはどうなるのかしら」
子宝に恵まれぬイダイケの不安が惑いを生み、占いの迷信へと走らせたのである。これがすべての悲劇の始まりだった。
修行者を殺害
占い師は言う。山奥にいる、ある修行者の命が尽き次第子が宿る。それまで5年を要するが殺せばそれは早まる、と。
「修行者を殺してまでは……」と重臣たちは止めたが、イダイケの説得に押された王は、300騎の兵とともに山に向かい、修行者殺害に及ぶ。
鮮血が散り、すさまじい形相で国王夫妻をにらみつける修行者。
「おのれ!この恨み……、必ず、晴らしてやる!」
凄惨な光景は、イダイケの脳裏に深く焼きつけられた。やがて、どうしたことかイダイケは身ごもったのである。
城内は、祝いに来る近隣諸国の使者でにぎわうも、夢の中で、酒宴の席で、襲い来る修行者の幻影に、イダイケは憔悴していく。夫にも胸中は理解されず、苦しみはまた、惑いを生み、再び占い師にすがる。
「実は……、この太子様……、ご両親に大変恨みをもって宿っておられます。成長されると、きっと親を殺されるお方になるでしょう」
占い師の言葉に、いよいよ追い詰められたイダイケは、ついに、世にも恐ろしい計画を立てたのである。
産室を2階に設け、下の部屋に剣の林を作る。ひと思いにそこへ産み落とすのである。ビンバシャラ王も、イダイケの必死の懇願に、共犯を担うことになった。
ところが、生まれた子供は右手の小指1本切り落としてすんだのである。
産声を聞き、もはや殺意失せた2人は、その子をアジャセと名づけ、蝶よ花よと育てるが、そのうち異常な凶暴性をあらわにしていく。
悪魔に見入られたごときわが子の暴虐に、この世の地獄へ転落していった2人は、釈尊のご説法に耳を傾けるようになる。やがて、ビンバシャラ王夫妻は、釈尊教団の強力な支援者となるのである。
提婆達多(ダイバダッタ)の策略
尊名、天下にとどろく釈尊をねたんだのが提婆達多である。釈迦に提婆。釈尊教団を乗っ取ろうと野心に燃える提婆は、釈尊を殺そうと策を練る。
1度目は、高所から釈尊目掛けて岩を落とすが失敗。足の小指から血を流されただけだった。
2度目、野象に酒を飲ませてけしかけるも、釈尊の偉大な尊容に触れた野象は、猫のようにおとなしく前足を折ってしまう。
やがて、提婆の目はアジャセへ向けられる。
釈尊の威勢はビンバシャラ王とイダイケにあると思った提婆は、巧みにアジャセに取り入り、絶大な信頼を得るようになる。時機をうかがい提婆はアジャセ出生時の小指の秘密を暴露する。「おのれー、そういうことであったのか!」
一切を聞かされ、怒り心頭に発したアジャセは、阿修羅のごとく飛び出し、ビンバシャラ王を七重の牢にたたき込んだ。
釈尊は、この王の苦しみを察知なされ、神通力第一の目連と、説法第一の富楼那(フルナ)を遣わし、説法を命じられる。
一方、イダイケは食べ物を牢へ隠し持ち、王は心身ともに命をつなぐのである。
これを知ったアジャセは激怒した。
「おれの敵に味方するやつは、母といえども敵だ、許さん!」
ついに殺母の剣は振り上げられた。その時、ガッシリと握る腕があった。側近の月光と耆婆(ギバ)である。
2人のいさめに、剣は鞘におさめられたが、イダイケはわが子、アジャセによって七重の牢にぶち込まれてしまう。
暗黒が光明の広海に
牢獄でのたうちまわるイダイケ。霊鷲山で『法華経』の説法をされていた釈尊に、イダイケの悲痛な心の叫びが届き、救済に向かわれる。
仏の慈悲は、苦しむ者にひとえに重い。『法華経』のご説法を中断されてのご決断は、釈尊出世の本懐中の本懐である、阿弥陀如来の本願を説くことにあった。
愚痴の限りをぶつけるイダイケに、ただ、釈尊は慈眼を向けられる。『観無量寿経』の有名な無言の説法である。
愚痴の行き場をなくしたイダイケが、五体を投地したのを見届けられた釈尊は、眼前に光輝く十方諸仏の国土と、阿弥陀仏の極楽浄土を照らしだされ、定善十三観と散善三観を説かれるのである。
実行して初めて、善のできない、地獄しか行き場のない者と知らされたイダイケは、深い苦悶に堕ちていった。
その時、「イダイケ、今よりその苦しみを除く教えを説こう」と釈尊が言われると同時に、お姿が消え、空中に金色輝く阿弥陀如来のお姿が現れたのだ。
阿弥陀如来を拝した一念に、イダイケの暗黒の苦悩は晴れわたり、歓喜胸に満ち、イダイケは光明の広海に浮かんだのである。
歓喜に一転したイダイケの様子に驚き、アジャセは母の手を取って牢から出す。
やがて、アジャセも真実の仏法を聞くようになり、永く正法宣布の強力な支援者となった。
かくて、仏教史上最大の悲劇は釈尊の妙手によりハッピーエンドを迎えたのである。