更新履歴(2019)
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釈迦と弥陀の善巧方便あってこそ
「聞く一つで助ける」弥陀の本願ですから、釈迦も親鸞聖人も、火の中かき分けて聞けと「仏法は聴聞に極まる」と教えられています。善知識方の教示は、一貫して変わりません。しかし、どうしても聞けない時はどうすればよいのでしょうか。(2019.12.4)
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弥陀の救いは 宿善まかせ
どうか皆さん、命のあるうちに、信心決定してもらいたい。これ一つが蓮如の願いです、と蓮如上人は仰っています。信心決定できるか否かは宿善による、と教えられています。詳しくお聞きしましょう。(2019.08.30)
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二度の弥陀の救い
親鸞聖人、生涯教えられたことは「阿弥陀仏の本願」ただ一つ。「その弥陀の救いは一度でしょうか、二度でしょうか」の問いにどう答えられているか、お聞きしましょう。(2019.08.21)
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悪人こそ救う弥陀の本願
「悪人こそ救う」と約束された阿弥陀仏は、私たちをどのように救おうとなされているのでしょうか。聞かせていただきましょう。(2019.08.16)
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親鸞聖人が明らかになされた信心
大海のごとく広大にして深遠な親鸞聖人の教えの全てが、簡潔な文章で記されている蓮如上人の『聖人一流の章』。その冒頭に「親鸞聖人90年の教えは、信心一つであった」と信心為本が明示されています。それは、どういう信心なのでしょうか。(2019.07.22)
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苦しみの根元を抜く弥陀の本願
阿弥陀仏の狙いは、一時的な、各人各様の苦ではありません。「万人共通の苦しみの根元を抜く」というお約束をなされているのです。その弥陀のお約束を聞かせていただきましょう。(2019.06.11)
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浄土真宗の極致とは
親鸞聖人の明かされた真実の仏教、浄土真宗には何が教えられているのでしょうか。『改邪鈔』という本に一言で尽くされています。(2019.05.02)
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「仕事やめても聞くべきは仏法」と、なぜ言われたか
どうすれば阿弥陀仏のお約束通り、絶対の幸福に救われるのでしょうか。「聞く一つで」救う、と弥陀は誓われています。その聞法の覚悟をお釈迦さま、親鸞聖人、蓮如上人が教えられています。(2019.04.22)
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後生の一大事を心にかけて
蓮如上人は有名な『白骨の御文章』で人の命の儚さを切々と訴えられています。その最後に、どう仰っているのか、聞かせていただきましょう。(2019.04.08)
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聴聞とは何を聞くのか
阿弥陀仏の本願に救われ絶対の幸福になるには、どうすればよいのでしょうか。阿弥陀仏は、聞く一つで救う、と誓われている、とお釈迦さまは仰せです。では、何を聞くのでしょうか。(2019.04.03)
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どこが「おかしな話」なのか
映画『なぜ生きる』の中で、蓮如上人が言われている「おかしな話」とは、どこが「おかしな話 」なのでしょうか。(2019.03.04)
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「死ぬまで求道」と「平生業成」
「死ぬまで求道」、そんな道しかないのなら、苦しむために生まれてきたことになってしまいます。しかし、ただ一つだけ、完成のある道があるのです。親鸞聖人の「平生業成」の教えを聞かせていただきましょう。(2019.02.15)
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「おかしな話」に終止符を
映画『なぜ生きる』の中で、蓮如上人は、問われています。私たちは生まれると同時に「どう生きるか」に一生懸命で、やがて必ず死ぬのに「生き方」しか考えていない。「おかしな話」ではありませんか、と。(2019.02.07)
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「真宗の極致」とは
釈迦の一切経も、親鸞聖人の『教行信証』も、覚如上人、蓮如上人の全ての著作は、この「真仮廃立」一つを明らかになされたものです。「真宗の極致」はこれしかないのです。(2019.01.25)
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「なぜ生きる」と親鸞学徒の使命
親鸞聖人は生涯、「なぜ生きる」の答えを明らかになされました。主著『教行信証』六巻に記されていることは、それ一つなのです。(2019.01.21)
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