Q.往生とはどんな意味でしょうか?
A.「往生」とは仏教の言葉です。
一般に、往生といえば、「困る」とか「死ぬ」という意味で使われています。
「今、来る途中、道が渋滞して往生した」とか
「山の中でエンジンが故障して往生した」とか、
「突然雨が降ってきて往生しました」など、
「困った」とか「弱った」ことを、「往生した」と言っています。
また「今朝、隣のお婆さん、往生したそうだ」とか「弁慶の立ち往生」など、死んだことを往生と言っております。きんさん、ぎんさんのように長生きした人が亡くなりますと、大の字をつけて「大往生」などと使っております。
このように、世の中では「困る」ことや「死ぬ」ことを「往生」と言っておりますが、これは大変な間違いです。
字の上からも分かりますが、「往生」の「往」は往くという意味、「生」は生まれる、とか、生きるという字でありますから、「困る」とか「死ぬ」という意味はどこにも見当たりません。それどころか、その反対です。
では、仏教で往生とはどんなことを言うのでしょうか。
「往生」には、二つの意味があります。
一つは、「生かされて往く」と読む往生と、「往って生まれる」という意味の往生です。
まず、「往生」を「生かされて往く」といわれる意味から話をしましょう。
私たちの人生は難度海といって、苦しみ悩みの波が次から次とやってきます。一つの苦しみを乗り越えたと思ったら、次の苦しみがやってくる。この坂さえ乗り越えたならば幸せになれると信じて上ってみると、そこにはもっと急な坂道が待っている。死ぬまで苦しみ続けなければなりません。
これでは私たちは、一体何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのか、分かりません。苦しみに耐えられず、「死んだほうがましだ」と自殺していく人も、日本だけでも年間3万人を超えています。
このような苦しい人生の海に、溺れ苦しんでいる私たちが、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、「よくぞ人間に生まれたものぞ」と生命の大歓喜を獲て、一息一息が明るく楽しい人生に生まれ変わったことを「生かされて往く」往生と言われます。現在ただ今、絶対の幸福に生かされて往く身になったからです。
もう一つの「往って生まれる」という往生は、阿弥陀仏の本願に救い摂られて、大安心大満足の身になっている人が、死ぬと同時に、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれさせて頂けることを言います。
このように往生ということには、現在の往生と、死んでからの往生と、二つありますが、現在ただ今、往生できている人だけが、死んで往生させていただけるので親鸞聖人は、生きているときの往生を急げ、と叫び続けていかれました。
その親鸞聖人のみ教えを、高森先生が詳しく教えてくださいます。ぜひお聞き下さい。
往生については、以下の記事も参考にご覧ください。
→往生 の間違った意味と使い方、正しい往生の方法