親鸞会結成50年の軌跡

法城落慶 全国に支部拡大

昭和63年春、富山県の小杉インター付近に、新しい親鸞会館(現本館・520畳)が建立された。これを機に、親鸞会はさらに飛躍していく。

親鸞会館(現・本館)落慶法要

本部会館落慶法要(昭和63年6月11、12日)

新会館落慶の直後、3カ月で日本中の全市に親鸞聖人の教えを伝える、という壮大な試みが発表された。我こそ、と思う積極果敢な親鸞学徒が参加し、翌月には実行に移される。新たな法城から全国に、阿弥陀仏の本願を伝えるときが来たのだ。

※阿弥陀仏の本願
「すべての人を、一念で、人生の目的である無上の幸福に救い摂る」という阿弥陀仏のお約束

出発前に、高森先生から激励の言葉が送られた。
「私の知る限り、浄土真宗史上かつてないことだと思います。苦悩にあえぐ群生海は、皆さんを待っています。弥陀の本願を伝える我々に、恐れるものは何もありません。思う存分、真実を伝え切っていただきたい」。
かくして法城から飛び立った親鸞学徒は、各地に法灯を点じ、多くの仏縁深い人々との出会いが生まれ、幸せの輪が広がった。親鸞会の支部は、こうして全国に拡大したのである。

30周年 実践は宗教の生命

全国の市に信火がともった昭和63年秋。30周年記念大会には、新たな法友が続々と集い、520畳の会館ははや、立錐の余地もない。落慶法要から5カ月後のことだった。

親鸞会結成30周年大会

30周年大会で、すでに会場は人であふれた。

表白文で高森先生は、「実践は宗教の生命」と明言され、

「地道に見える実践が、最も堅実であり、その一波が二波となり、やがて千波万波になって、無上甚深の妙法は、確実に十方衆生に浸透するでしょう」

と述べられた。

講演の冒頭に「平生業成」と大きく板書し、「『平生業成』以外に、親鸞聖人のみ教えはありませんから、私はこのこと一つを教え続けてきたのです。今日もこれ一つ話します」と切りだされた。

※平生業成とは、親鸞聖人の教えを漢字4字であらわしたもの。いわば浄土真宗の一枚看板です。「平生」とは死んだあとではない、生きている現在ということです。
「仏教」とか「親鸞聖人の教え」と聞くと、「死んでからのこと」と思う人が多いようですが、とんでもない間違いです。
生きている時のことを教えられたのが親鸞聖人です。
「業」とは、大事業。
秀吉や家康の天下統一や、松下幸之助や本田宗一郎の事業どころではありません。
人生の大事業のことです。言い換えれば人生の目的です。
「成」とは、完成する、達成するということ。
平生業成とは、現在ただいま、人生の目的が完成する、だから早く完成せよ、ということなのです。

この大会には真宗僧侶も多数参詣し、平生一念の救いを説き切るご説法に感動したある僧侶は、「800年の伝統にあぐらをかく本願寺が変わるには時間がかかります。しかし、このままで許されるはずがありません」と言い、死んだら極楽、死んだら仏、とばかり教える浄土真宗の現状を嘆いていた。

その後、40周年、そして2000畳の正本堂落慶と、親鸞会は着実な歩みを遂げ、浄土真宗の流れは大きく変わった。平成19年、ついに本願寺が最高法規の宗制で、本尊の規定を「本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)一仏である」と改正した。

親鸞会が、親鸞聖人のお言葉を明示して「真宗の正しい本尊は御名号」と訴え続けてきたことが、浄土真宗の歴史を劇的に変えたのである。

他流には名号よりは絵像、絵像よりは木像 といえり。
 当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といえり。(蓮如上人)

 

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