信後も「惑い」(煩悩)はある 平成20年7月ご法話
能発一念喜愛心
不断煩悩得涅槃
能く一念喜愛の心を発せば
煩悩を断ぜずして涅槃を得
(『正信偈』)
7月、親鸞会館の定例の法話で高森顕徹先生は、上の正信偈2行に関連し、親鸞聖人42歳の時、報恩の惑いから、浄土三部経を千回読誦しようとなされたことを、説法された。
聞法は、信前信後大切に
聖人42歳、東国の佐貫という処にご滞在中のこと。大飢饉の余りの惨状に衆生済度を願って、浄土三部経を千回読もうとなされたことがある。
ところが、2、3日経てから、
「自信教人信
難中転更難
大悲伝普化
真成報仏恩」(善導大師)
「何を惑うか親鸞、弥陀の大悲を伝える以上の衆生済度もなければ、仏恩報謝もないのだよ」と教える善導大師に覚醒され、「われ誤まてり、誤まてり」と叫ばれて、急遽、常陸国に布教に出立されている。
信心決定すると、真実の教えに明るくなり、聖教にも詳しい人になるのではないか。摂取不捨の利益に預かったら、もう教えを聞いたり学んだりは要らないのだろう、とさえ思っている人がある。
とんでもない間違いだ。信心獲得しても煩悩具足の身は、少しも変わらないし仏教の何もかもが分かるわけではない。
煩悩は無くもならなければ減りもしないから、過ちを犯さない無謬人間になるのではない。
最後まで常に真実のみ教えの光を浴び、誤ちを反省し、言動の修正を怠ってはならないのは当然である。
大心海化現の善導
神奈川県 大林 芳郎さん(仮名)
今まで救われた方は、必ず親鸞聖人、蓮如上人のように布教に突き進まれるのだと思っていましたが、それは誤解と知らされました。
信後の人には共通して、燃える恩徳讃の心がありますが、善導大師の「大悲伝普化 真成報仏恩」のみ教えによらねば、その最大の仏恩報謝は「真実信心を伝えること」と、明らかにならなかったと知らされます。
もし聖人が、「阿弥陀仏がいちばん喜ばれるのは、念仏を称えること」と教えられていたらどうなっていたでしょう。今の私の仏縁はなかったかもしれません。
善導大師のみ教えがなかったならば、今日まで幾億兆の人の仏縁もなかったのだと思います。「大心海化現の善導」(極楽浄土から人間の姿となって現れた仏さま)と聖人が絶賛されることが、少しでも知らされました。
また、その善導大師の教えにひたすら従われ、弥陀の大悲を伝えられた生涯、聖人は、まさに「世界の光」です。
教えによらねば
大阪府 寺田 辰也さん(仮名)
親鸞聖人のみ教えのすべては、『正信偈』におさまるとお聞きしますが、『正信偈』のわずかな文字の中に、大変深い御心が込められていて驚きました。
「不断煩悩」について、救われても煩悩はなくならないので、惑うことはあると聞かせていただきました。「信心決定したら、欲や怒りの心はなくならずとも、教えの分別はつくようになる」という思いは誤りと分かりました。救われたからといって、どのお経に何が書かれているか、分かるわけではありません。教えによらねば正しく進めず、教えを学ばねば正しく伝えることもできない、教えを学び正確に理解することがいかに大切かを知らされます。
煩悩を断ぜずに
石川県 杉守 伸一(仮名)
すべての人は幸せを求めて生きていますが、今日さえ幸せなら明日からどうなってもいいという人は、一人もいません。どんな人も永続する幸せを求めており、それこそ万人共通の人生の目的です。
しかし、底無しの欲を満たそうとしても満たし切ることはできませんし、だからといって煩悩を断ち切ることもできません。
幸せ求めて生きていても、煩悩に振り回され、苦悩絶えないのが現実です。
そのように苦しみ続けている煩悩具足の私たちを、弥陀は一念で絶対の幸福にしてみせると約束されていると、教えていただきました。
「不断煩悩得涅槃」、煩悩あるがままで本当の幸せにしてみせるという弥陀の本願。
『正信偈』の最初の2行は、その驚くべき救いにあった聖人の喜びの告白であると、強く知らされました。
最大の仏恩報謝
千葉県 杉山 郁美さん(仮名)
「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩(自ら信じ人に教えて信ぜしめることは 難きが中に転た更に難し 大悲を伝えて普く化す 真に仏恩を報ずるに成る)」の善導大師のお言葉が、身に迫ってくるようでした。
だれかが困っている時、目先の問題を解決してあげたいと思います。それはもちろん大事ですが、阿弥陀仏がいちばん喜ばれるのは、その人に弥陀の本願をお伝えすることだと教えていただきました。
「財は一代の宝、法は末代の宝」です。「すべての人を必ず絶対の幸福にしてみせる」と約束された弥陀の誓願を聞かせていただくことこそ、相手にとって最も幸せになる道なのです。
親鸞聖人が真実の教えのままに、最も困難なご恩返しの道を歩まれていると知らされ、ありがたく胸がいっぱいになりました。