親鸞会 親鸞聖人の恩徳讃の意味(動画解説)
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
(恩徳讃)
“阿弥陀如来の洪恩は、身を粉にしても報い切れない。その弥陀の大悲を教えてくだされた方々のご恩も、骨を砕いても済まない”
世界の光と多くの人々から讃仰されている親鸞聖人の七百五十回忌を機に、多くの人が親鸞聖人に関心を示しています。
90歳でお亡くなりになっている親鸞聖人ですが、その波乱万丈の90年を一貫している精神が、「身を粉に、骨砕きても足りない」の恩徳讃でした。
阿弥陀如来の広大無辺なご恩に、どう報いたらよかろうか。弥陀の本願伝えてくだされた師主知識(仏教の先生)のご恩、どうお返ししたらいいのか。これが親鸞聖人の果てしなきお悩みでありました。
31歳の親鸞聖人が、世間中から、堕落坊主、破戒坊主、悪魔、狂人とまで非難攻撃されながら、僧侶に固く禁じられていた肉食妻帯を断行されたのは、すべての人がありのままで救われる弥陀の本願であることを、身をもって明らかにされるためでした。
34歳の時、恩師・法然上人の元で、法友たちと激しい論争を三度もなさっているのは、弥陀の本願の聞き誤りを正されるためでした。
35歳で死刑の判決を受けられ、関白の計らいで越後流刑になったのは、阿弥陀仏以外に我らを救ってくださる方はないことを、徹底的に叫ばれたからでした。
配所で5年、その後、関東に赴かれ、仏法嫌いの日野左衛門の門前で、石を枕に雪を褥に休まれ、仏法に導かれたのも、白昼堂々、剣を振りかざして殺しに来た弁円にさえ「御同朋、御同行」とかしずかれ、親しく弥陀の本願を説かれたのも、弥陀の大恩に報いるため以外にありませんでした。
しかし、還暦過ぎて、生まれ故郷の京都へ帰られた後、84歳の老聖人にさらなる悲劇が待っていました。
長男の善鸞が仏法をねじ曲げていると知られ、何度も諌めの手紙を出されたのですが、一向に改めようとせず、断腸の思いでついに善鸞を義絶せねばならなくなったのでありました。我が子のために多くの人を地獄へ堕とすことはできぬと、親子の縁を切ってまで、親鸞聖人は弥陀の本願を護り抜いてくだされたのです。
一体、親鸞聖人は厳しい人か、優しい人か、冷たい方か、温かい方か。ご一生を見れば両面が渾然一体ですが、これらの親鸞聖人の言動のすべては、利害打算など全くない、自分はどんな非難を浴びてもかまわない、悪口雑言にも甘んじよう、ただ、いかにしたら阿弥陀如来と師主知識の洪恩に報いられるかの一心、「身を粉に、骨砕きても」の恩徳讃の御心から表れ出たものでありました。
阿弥陀如来からお受けした、それほどの大恩とは何であったのか。高森先生が詳しく講演されました。その内容の一部を、動画でご紹介します。
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