『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)の感想(2/6)
親鸞会会員が「歎異抄をひらく」を読んだ感想を紹介します。
越せぬ壁の内側から
一読して、数ある歎異抄本との本質的な違いを直感させられました。
世の解説本は、親鸞聖人のお言葉を掘り下げ、その背後にあるものをつかみ、真意に迫ろうとするものといえましょう。しかし、『歎異抄』のお言葉には、余人を寄せつけぬ高い壁があり、そこを越えることはあまりに難しい。
ところがこの「歎異抄をひらく」は、初めから壁の内側に立っているのです。しかも内側からその壁を乗り越えて、親鸞聖人の正意を自由自在に私たちに伝えてくださっているのです。まるで聖人の肉声を聞かせていただいているかのように、真実信心からあふれ出る明確で一貫したメッセージが届きました。この「歎異抄をひらく」を読んだ人は皆、そのメッセージを受け取ることでしょう。
さすればその真実信心とは何なのか、知りたい、そして頂きたいという心が、知らず知らずわいてくるのではないでしょうか。
まさに聖人の教えとの出遇いの書、入門書であり、同時に聖人のメッセージどおり、人と生まれし本懐を遂行させる人生座右の書、スタートからゴールまでのすべての役割を担う本だとおもいます。
心ザワつかせる
何のために生きるのか、必死に答えを求めた私の、手にした一冊が『歎異抄』でした。
しかしその時は、何一つ分からず、本棚の片隅でほこりに埋もらせてしまいました。その『歎異抄』に、人生の目的がハッキリと教えられていたとは驚きです。
多くの人が、『歎異抄』の魅力に引き付けられ、「何かある」と感じはします。そこで解説本を読んだりするのですが、そこには自己流の内容が多く、読めば読むほど『歎異抄』の魅力は薄れ、親鸞聖人もかすんでしまうのです。
『歎異抄』には私たちの心をザワつかせるものがあります。それは親鸞聖人がズバリ他力の信心を告白なされているからと思います。
この『歎異抄をひらく』は、読めば読むほど奥が深く、他力信心を他力信心のまま解説なされたと思わずにいられません。ですから心のザワザワ感は、いつまでも続き、何度読んでも落ち着きません。安易に妥協して、本を閉じることができないのです。
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