『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)の感想(1/6)
親鸞会会員が「歎異抄をひらく」を読んだ感想を紹介します。
『歎異抄をひらく』で生まれ変わる『歎異抄』
『歎異抄』は何百年もの間、この『歎異抄をひらく』を待っていたと思います。二部に取り上げられた『歎異抄』の誤解を教えていただくほど、どの問題も、だれも解き開けぬ謎であり、親鸞聖人のメッセージを伝えんと、泣く泣く筆を染めた唯円の願いむなしく、『歎異抄』は聖人のみ教えを誤解させる書に甘んじてきました。
いかに広範な読者に迎えられ、親鸞聖人のお名前を世に広めようと、誤解曲解しか生まないとするなら、披見する者すべてを傷つけ殺す、手のつけられない悪魔の書でしかありません。
そんな『歎異抄』が、『歎異抄をひらく』によって真実の命が吹き込まれ、弥陀の本願念仏を弘宣する未曽有の書と生まれ変わったように感じました。オセロゲームで、たった一枚の白のコマが、ボード一面の黒をすべて白に変えてしまうように、『歎異抄』に深手を負ったすべての人が、この書によって真実を喜ぶのではと胸躍ります。
すべて弥陀のご方便
五木寛之氏の書いた『私訳歎異抄』を読んだことがありますが、けた違いの説得力と美しさを持つこの『歎異抄をひらく』が世に広まれば、一体、どんなことが起こるのでしょう。
『歎異抄』は日本で最も有名な古典の一つですが、聖人の教えを誤解させ、浄土真宗を衰退させる大きな一因ともなりました。
しかし、これからは違います。『歎異抄』の知名度が、この書を多くの人に読ませる契機となり、聖人の教えに対する誤解は、本当の親鸞聖人のみ教えを深く知るための手掛かりとなる、と思わずにおれません。
『歎異抄』のプラスの面も、マイナス面も、この書によってすべて生かされ、弥陀の本願を徹底する勝縁となると考える時、今日までの『歎異抄』にかかわるあらゆる出来事は、『歎異抄をひらく』によって、弥陀の大悲がより広く深く浸透するための、ご方便であったのではないかとさえ思われてきます。
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