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		<title>浄土真宗親鸞会 公式サイト</title>
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		<description>浄土真宗親鸞会の公式サイトです。
親鸞聖人は何を教えられたのか、生きる目的は何か、浄土真宗とはどんな教えなのか、親鸞会とはどんな活動をしているのか、ご紹介しています。</description>
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		<title>後生を問わぬ&quot;『歎異抄』信仰&quot;の破綻 〜大谷派住職の告白〜</title>
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		<description>　多くの人に親しまれながら、読み手の勝手な解釈で、浄土真宗を混迷させてきた『歎異抄』。
　しかし『歎異抄をひらく』のご発刊により、永い眠りの真宗界にも、心ある人々は立ち上がりつつある。

　その兆しを真宗大谷派のある住職からの手記で紹介する。
正依の聖教から『御文章』を削除

　このたび発刊された『歎異抄をひらく』を幾度も拝読し、弥陀の本願、善人悪人、信心、念仏などについて、親鸞聖人の本当のみ教えと、真宗大谷派（通称・お東）との違いがハッキリし、バラバラな解釈をしてきた宗門の愚かさ、恐ろしさを改めて知らされる。

『歎異抄』とは、「無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからず」と、蓮如上人が世に出すことを固く禁じられた書物である。
　それを大谷派の学僧、清沢満之（明治36年没）が、東大の図書館より見つけ出し、世に広めてしまったと聞いている。

　清沢は平素から、「死後の事は実験できないので、ここに述ぶることはできない」と言い、『歎異抄』に説かれる死後（後生）についても不問とし、他力信心を頭の中で作り上げた観念の遊戯にしてしまった。

　これが西洋から流入した哲学や科学主義に染まった当時の思想界に受け入れられ、彼の弟子、曽我量深、金子大栄、暁烏敏、安田理深らが作った教学（近代教学という）は、大谷派の主流となっていく。
　以来、大谷派は、後生を説かない宗風となったのである。

　しかし、蓮如上人の「後生の一大事」という教説と合致しないため、「蓮如教学は古い、我々は親鸞教学だ」と、両聖人の教えを分断し、さらに大谷派の宗憲（最高規則）で、正依の聖教から『御文章』を削除してしまったのである。
　蓮如上人によって、浄土真宗は日本中に広まったのに、これでもはや大谷派は、浄土真宗とはいえなくなった。

　近代教学で育った私が、その大きな誤りに気づいたのは、亡父の臨終の告白である。

　後生を説かずに、親鸞聖人の教えは絶対分からない。そう知らされた私は、同派内で後生の一大事を可能な限り訴えた。
根本の解釈がバラバラ

　これは大谷派の多数の僧侶に、「後生の一大事」の解釈を求めた際、寄せられてきた回答である。

■後生の一大事とは
⑴今から死ぬまでの一大事。つまり今どう生きるかの大事。
⑵後生が地獄とは脅しであり、悪行の戒めである。
⑶人は死ねば皆、浄土へ帰ることを言われたもの。
⑷蓮如上人の時代は戦国乱世でこの世は苦しみばかりだった。せめて死んだら安らかな極楽へ往けると、民衆を慰めるために言われたこと。
⑸人間は死ねば無に帰するから、後生の一大事は、今日死語に等しい。
⑹「前念命終　後念即生」（愚禿鈔）の後と生をとって作った略語。
⑺後生とは、我々の子孫が生きていく後の世のことである。
⑻後生を実体化するのではなく、飽くまで命の一大事ということ。

というように、親鸞聖人の教えを正確に伝えるべき僧侶自身が、後生の一大事という教えの根本においてさえ理解がバラバラなのである。

　これが大谷派の実態であり、近代教学というものが、いかに宙に浮いた教学かお分かりと思う。
後生の一大事を抜きに、親鸞聖人の信心は語れない

　仏語に虚妄なし。釈尊の説かれた言葉を信ずることなしに仏教は成り立たない。

　釈尊は前世、現世、後世の三世の存在を明らかにされ、この三世にわたって因果の道理が貫いていることを説かれている。
　罪悪深重、煩悩具足の私たちは、因果の道理に順じて後生は一大事と、釈尊は警鐘乱打されているのである。

　その釈尊の教説が信じられず、死後のことなど説明できぬとほおかぶりしたところに、近代教学の誤りの出発点があった。
　だから、蓮如上人が「後生の一大事」と叫ばれたことも、何とおりにも解釈してはぐらかし、死語同然にしてしまったのである。

　後生の一大事が分からずに、どうしてその一大事を一念で弥陀に解決していただく妙味が分かろう、また、いつ死んでも必ず浄土へ往ける金剛心が獲られようか。
　後生の一大事を抜きに、聖人の信心は語れない。

『歎異抄』で最も重要な第一章の「ただ信心を要とす」が読めるはずもないのである。 
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		<dc:date>2009-11-17T09:41+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/koe/091116tannisyou.htm">
		<title>「これこそ真の浄土真宗や」〜救われぬ近代教学〜</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/koe/091116tannisyou.htm</link>
		<description>　これは、「金子大栄、曽我量深先生以外の教えなど仏法ではない」と公言するほど近代教学を信奉していた大谷派住職Ｋ師が、臨終に信仰の破綻を告白した実話である。
「死後を説かないのは仏法じゃない」

救われぬ近代教学

　発端はＫ師の入院である。
　 胃ガンだった。

　昭和61年冬、その日を境にＫ師は一変。
「おれが一生やってきた教学が一切力にならん。どうしてくれる。おれは死んだらどうなるんや……」
　手術を終え、退院すると、別人のように、経典と真宗聖典に向かい続けた。

「仏法のことは何でも分かったつもりで、人前で話してきた。先生と言われていい気になっていた。恥ずかしい。大馬鹿者だった」

　突然のその懺悔が何によるのか、家族も当初は理解できずにいた。ただ、死に向かったＫ師の心に、大きな変化が生じたことだけは確かだった。

　部屋には「無上妙果不難成　真実信楽実難獲」の『教行信証』のお言葉が掛けられている。
「真実の信楽、獲ること難しじゃ。間に合わん」
　Ｋ師は何回も繰り返していた。

　その年の10月、親鸞会の講師が、本堂で説法をした。
　その時の「後生の一大事」の話を録音し、病床のＫ師に聞かせたところ、感極まった声で、
「そうや、こう説かないといかん。今はこういう説き方をせんようになったで、おかしくなったんや」
と言った。

　家族は耳を疑った。
　平素「親鸞聖人は、死後のことなど説いとらん」と言っていたＫ師が、「死後を説かないのは仏法じゃない」とまで断言したのだ。

「あれこそ真実の浄土真宗や。分からんかもしれんが、後生は一大事や。ええか、分かったか」
　Ｋ師の真剣な訴えに、家族は近代教学の誤りから目が覚めた。

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		<dc:date>2009-11-17T09:40+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091110jiriki.htm">
		<title>［現代に生きる仏説］自力とは何か</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091110jiriki.htm</link>
		<description>　ある新興宗教の者が、こんなことを言っていた。

「うちの先祖は真宗だが、寺では他力だからとあまり掃除もしない。こっちの宗教は、掃除、身の回りや身だしなみをきれいにして、徳を積むことを教えている。だから真宗からこっちに変えた」

　何と情けない話だろう。
　親鸞聖人の教えは他力だからと善の勧めを疎かにし、掃除さえもろくにしない寺が、門徒に愛想を尽かされて新興宗教へと迷っているのだ。

　親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」（自力を捨てて他力に帰せよ）以外にない。
「自力を捨てよ、捨てようとする心も自力だから捨てよ」と徹底して厳しいのは、自力を捨てなければ、阿弥陀仏の本願力（他力）に帰することは絶対不可能だからである。

　現今の浄土真宗は、捨てよと教えられるこの自力を、努力する行為そのものと誤解しているから、
「親鸞聖人に善の勧めはない」
「自力は捨て物ではないか」
「頭燃を灸うが如く努めてみても、雑毒雑修の善ではないか」
「そんな善を勧める必要がどこにある」
「善を勧めるのは大間違いだ」
と、やりたい放題、したい放題、言いたい放題。

　外道よりもあさましい生きざまをさらしてきたから、親鸞聖人の教えは悪人製造の宗教だとそしられ、冒頭のような惨状にまで至らしめたのである。

　無気力で、消極的、退嬰的な「善を勧めぬ浄土真宗」は、かくて崩落の一途を驀進しているのだが、当人たちは一向にその真因が分からず目が覚めない。
　捨てなければ助からぬ自力とは何か、全く分かっていないところにあるのである。　

後生助かろうとする心を捨てよ

　自力とは、「後生助かろうとする心」をいうのだ。
　だから「自力を捨てよ」とは、「善を捨てよ」「善をするな」ということでは絶対なく、「善で後生助かろうとする心」を捨てよ、ということである。

　因果の道理は宇宙の真理。善因善果、悪因悪果、自因自果は、仏さまでも曲げることはできない。
　もし、人間の努力そのものが自力なら、自力が廃って他力に帰すれば、全く努力しない人間になることになる。そんな馬鹿なことが、どうして考えられようか。

　親鸞聖人の救われてからの大活躍を見よ。
　世界の名著『教行信証』のご執筆は、一切経を何度も読破する努力なくしてありえただろうか。
　法友との三大諍論も、弥陀の救いを明らかにするための聖人の決死の精進努力の表れではないか。
　信行両座の諍論で、同じく信の座に入った法友で親鸞聖人と比較できる人があるだろうか。
　 聖人の努力は際立っておられる。

「自力を捨てよ」は「努力するな」「善を捨てよ」ということでは絶対なく、「それで後生助かろうとする心を捨てよ」ということなのである。

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		<dc:date>2009-11-12T09:46+09:00</dc:date>
	</item>
	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091101monowoie.htm">
		<title>［現代に生きる仏説］正しく聞けているか</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091101monowoie.htm</link>
		<description>　二千畳の正本堂は、いよいよ聞法者の熱気であふれている。

「一実円満の真教」を説き切られる高森顕徹先生の一言一言を、聞き漏らすまい、正確に聞き取ろう、とする真剣さがみなぎっている。

　それは、休憩時間、昼休みでもそうだ。法城のあちらこちらで、法友が熱心に話し合っている。

「あそこは、どう聞いた？」
「私は、こう聞かせていただいた」
「あのお言葉は、どういうこと？」
「こういう意味でしょう」
「いや、私はこう理解した」

　各自が、自分の理解に間違いないかを確認し、しっかり聞けなかったところを法友に尋ねる。
　ご縁の浅い人には、聞法歴の長い人が丁寧に説明する。それでもハッキリしなければ、講師に聞く。質問や疑問は、お互い真剣な聞法の勝縁である。

　人生は聴聞なり。仏法（弥陀の本願）を聞きひらくための、この命なのだ。

　それを釈尊は、
「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」
とおっしゃっている。

「信・不信ともにただ物を言え」

　親鸞聖人の「一実円満の真教」を正しく聴聞せずして、生命の尊厳は絶対に分からない。

　だから蓮如上人は、『御文章』にこう教えられる。

「在家無智の身をもって徒に暮し徒に明して、一期は空しく過ぎて、終に三途に沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて、わが信心は・ひとの信心は如何あるらんという信心沙汰をすべき用の会合なるを、近頃はその信心ということは、かつて是非の沙汰に及ばざるあいだ言語道断あさましき次第なり。
　所詮、自今已後はかたく会合の座中に於て、信心の沙汰をすべきものなり」

　仏法を語れ、信心の沙汰をせよ、と強く勧められている。

　何年聞いたといっても、聞き誤り、誤解、曲解が山ほどある。正しく聞いていないのだ。
　自分の迷った考えで聞けることだけ聞いていては、真実が心に入らないのである。

　蓮如上人は、「物を言え、物を言え」とも仰せである。

「物をいわぬ者は恐ろしき」「信・不信ともにただ物を言え」「物を申せば心底も聞え、また人にも直さるるなり。ただ物を申せ」

と、繰り返しおっしゃっている。

　分かったような顔をしていても、実はちっとも分かっていない。だから、迷った言葉にすぐ動揺する。
　そのまま死ねば、後生は一大事である。

　自分は、弥陀の御心を正しく聞けているか。
　 正しく話ができているか。
　 何度も何度も、信心の沙汰をしなければならぬ。

「罪の有る無しの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし」（蓮如上人）

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		<dc:date>2009-11-02T15:51+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/koe/091020honzon.htm">
		<title>真宗の正しい御本尊　〜南無阿弥陀仏の御名号〜</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/koe/091020honzon.htm</link>
		<description>「本尊」とは読んで字のごとく、根本に尊ぶべき、大事なものである。
　だからこそ浄土真宗の御本尊は、名号でも絵像でも木像でもどれでもよいといういい加減なものではない。

　親鸞聖人、蓮如上人の、御本尊についてのご教導を正しく知り、そのとおりに実行する人が続々と現れている。

阿弥陀仏の十八の願を心得る

　親鸞聖人、蓮如上人は、浄土真宗の正しい御本尊は御名号とハッキリ示されている。

「御名号」とは「南無阿弥陀仏」のこと。
　なぜ御名号が正しい御本尊なのか。蓮如上人は『御文章』で次のように教えられている。

「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり」 （五帖目五通）

　私たちが弥陀に救い摂られることを信心獲得という。
　人間に生まれ、仏法を聞く目的は信心獲得以外にない。

「すべての人は助かる縁手掛かりのない極悪人である。その悪人に、南無阿弥陀仏を与えて必ず絶対の幸福にしてみせる」
と阿弥陀仏が命懸けで誓われているのが十八願。
　そのお約束どおりに救われたことを「十八の願を心得る」と言われている。

　蓮如上人はそれをさらに、「南無阿弥陀仏のすがたを心得る」と教えられている。 
　弥陀の誓いどおり、南無阿弥陀仏には、無上甚深の功徳利益があったと知らされたことである。

「聞其名号」の一念に、仏凡一体、「南無阿弥陀仏」と私が一体になって救われるのだ。
　 御名号を正しい御本尊と教えられるのは当然なのである。

 

&quot;根本&quot;から教えどおりに

兵庫県　高木一郎

　蓮如上人の「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」のお言葉を、高森顕徹先生のご法話で初めて知った。
　先祖代々の本尊は絵像であり、それは親鸞聖人の教えに反する他流の本尊と知らされた。
　自分の代で替えてよいものか、戸惑ったが、「親鸞聖人の教えのとおりにしてこそ、皆が幸せになれると思ったのです」。
　お仏壇用の御名号本尊をお迎えすることを、妻も喜び、ともにその日を心待ちにしていた。

「毎日、正御本尊を礼拝し、家内と一緒に勤行できる幸せをかみしめています」 
　

名号の至宝 丸もらい

兵庫県　吉村田鶴子

　家の本尊は１００年ほど前から絵像であり、「できれば、ありがたい木像に替えたほうがよいだろう」と感じていたという。

「『阿弥陀仏の本願』も『名号』のいわれも全く聞いたことがなかったのです。親鸞聖人の本当の教えを説いてくださる先生と同じ時代に生を受け、ご縁に遇えたからこそ、正しい御本尊は御名号と知ることができました」

　正御本尊をお迎えする前日、いつも以上に念入りにお仏壇の掃除をし、仏具を磨いた。
「仏間が明るくなった気がしますね。南無阿弥陀仏の至宝を丸もらいする、信心獲得に向かって、聴聞の一本道、進ませていただきます」

 

（プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります）

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		<dc:date>2009-10-30T14:59+09:00</dc:date>
	</item>
	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091020zougyou.htm">
		<title>「雑行」が分からぬのは なぜか</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091020zougyou.htm</link>
		<description>　朝晩、拝読する『聖人一流章』には「もろもろの雑行をなげすてて」とあるが、浄土真宗の人たちは雑行が何やら全く知らない。

　自分の力で何とか後生の一大事解決しようとするのを「自力」といい、そんな心で「後生助かりたいとやる善」を「雑行」という。
　だが真宗門徒といっても名ばかりで、後生が少しも問題になっていないから、「自力」も関係なければ「雑行」も出ようがない。

　だから「雑行を捨てよ」を「善を捨てよ」と聞き誤り、諸善に向かわないから、邪教からも笑われる始末だ。

　仏教は後生の一大事に始まり、その解決で終わる。大宇宙の仏方から見捨てられた、地獄より行き場のない罪悪深重の我々は、本師本仏の阿弥陀仏によらねば絶対助からないから、釈迦は四十五年間、弥陀の本願ただ一つ説かれた。
　親鸞聖人はそれを『正信偈』に「如来所以興出世　唯説弥陀本願海」と教えられている。

　親鸞聖人も九十年の生涯、珍しい体験話など一切語らず、釈迦の教法を純正に伝えられたから、弥陀の本願以外、教えられたことはなかった。
　蓮如上人も弥陀一仏に向けと徹し抜かれ、「その外には何れの法を信ずというとも、後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」と説示されている。

　だが後生の一大事が分からなければ、〝後生助かりたい〟とも思わないし、それを助ける本願も分かるはずがない。
　これでは全く仏法が始まらないから、弥陀の本願に遇わせるのが目的だった釈尊は、四十五年間の説法ほとんどを、後生の一大事を知らせるためになされている。

仏法の出発点

　釈迦が弥陀の願意に従って、まず一切経ほぼ全巻を費やし教えたのが「因果の道理」である。
「仏教の根幹」と言われる。
「善因善果　悪因悪果　自因自果」の道理は三世を貫くから、現在の種まき（因）を見れば、来世の果報の善悪も分かると仰せだ。

　ここで「種」と言われるのは、心と口と身体の行為である。
　中でも口や身体を動かす元は「心」だから、仏法では心で思う行いを最も重視する。

　我々は今、何を思い、行っているか。人間の実相を、釈迦はこう説破される。

「心常念悪　口常言悪　身常行悪　曽無一善」　　（『大無量寿経』）

　一生造悪の自己を徹見すれば、後生に恐ろしい結果が惹起することは必定だ。
　この一大事に驚けば必ず、悪をやめ善をしようと「廃悪修善」の心が起きる。ここで初めて「雑行」が出てくるのだ。

　釈迦の大雄弁をもってしても、ここまで導くのは並大抵ではなかった。
　信仰が進んで後生が問題になった人でなければ、自力も雑行も分からず、雑行が廃って助かることもあるはずがない。

　捨てよと言われる「雑行」を知るには、まず後生の一大事を知らねばならないのだ。
　これが仏法の出発点である。

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		<dc:date>2009-10-23T13:32+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/koe/091010wonderful.htm">
		<title>［親鸞会 会員の声］素晴らしい仲間と過ごした 素晴らしき日々</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/koe/091010wonderful.htm</link>
		<description>「学生時代、何をやっていたの？」。就職後、そう聞かれるのがいちばん苦手でした。

　大学で仏法と出遇い、聞法に出掛けるようになりました。尊い教えと理解しつつも一筋になれず、自分にはとても求められないと、卒業を前に仏法から離れてしまいました。
　以来、友人にも家族にも仏法の話はせず、私にとっての学生時代は「空白の４年間」となりました。

　月日は流れ、出版業界に身を置くようになった私は、ある日、書店のベストセラーコーナーに並んだ本にハッとしました。
　それは懐かしい高森顕徹先生のご著書だったのです。

　今の時代、ベストセラーになるのがどんなに大変か、出版に携わる人間なら骨身にしみて分かります。
　それまで仏法のことがちらりと頭をよぎるたび、「真実ならばおのずと広まるはず」と不遜な態度で距離を置いてきた私のもとへ、高森先生がわざわざ出向いていらしたように思われました。
　これをきっかけに、かつてはご法話のポスターを見掛けると、逃げるように顔を背けていた私が、「いつかまた先生にお会いしたい」と思うようになったのです。

　さらに昨年、一緒に仕事をしたライター（文筆家）に何気なく、「最近、面白い人に会いましたか」と聞くと、彼女が口にしたのは何と大学時代に一緒に仏法を求めた先輩の名前でした。
「今度、東京に講演会に見えますよ。終了後の懇親会に出ませんか」と誘う彼女の陰に隠れるようにして会場を訪れると、そこにはもう一つの懐かしいMさんの顔があったのです。

　久しぶりの再会に、Mさんは開口一番、「妻の言ったとおりだ」——。何のことかと尋ねると、大学時代、一緒に聞法していたMさんの奥さんが、「瑞穂さんは東京のどこかにいるはずだから絶対に会える」と言い続けてくれたそうです。

　その後、奥さんにも会い、見せてもらった絵ハガキには、見たこともない二千畳の正本堂がそびえ建っていました。
　すごい勢いで真実が広まっているのが分かりました。
その時、心が叫んだ

　それから２カ月後の降誕会、あれよあれよという間に、私は絵ハガキで見た二千畳に座っていたのです。

　20数年ぶりの高森顕徹先生は、全くお変わりなく、全く同じ話をしてくださいました。
　そのお姿に、やっぱり真実だったんだ！と、心が叫びました。

　そのことが分かるまで、私には20年の歳月が必要だったのです。
　自分で切り開いたように思っていた人生もすべてご方便、お釈迦さまの掌の上の孫悟空だったのだと思わずにはいられませんでした。

　ひたすら聞法のためを考えた会館のたたずまいにも感動しました。
　久しぶりに会う法友たちは皆温かく迎えてくださり、同窓会のような幸せなひとときを過ごしました。
　ずっと、「なかったもの」として封印してきたあの４年間の学生時代は、無駄じゃなかったんだ、私は素晴らしい人たちと素晴らしい時を過ごしていたんだと、この日、心から思うことができました。

　大きな阿弥陀如来の願力に導かれ、せっかくつかんだこのご縁を、今度こそ大切にします。
　

（プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります）</description>
		<dc:date>2009-10-16T09:38+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091012tannisho.htm">
		<title>［現代に生きる仏説］『歎異抄』から流れ出る思想</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091012tannisho.htm</link>
		<description>　『歎異抄をひらく』発刊後、新たな解説書がパッタリ見られなくなったと、「『歎異抄をひらく』から１年５カ月の現状」で報じた。

　その後も弁護士や文芸評論家など、門外漢の人たちによる『歎異抄』の私釈、感想文のようなものは一、二出ているが、正面から 『ひらく』に向かう内容のものは一向に見られない。

　これで、１年７カ月になるのだが、一体どうしたことだろう。

　日本を代表する哲学者、西田幾多郎や三木清、作家の司馬遼太郎をはじめ、『歎異抄』心酔者や愛好家は日本の思想界に数え切れない。
　著名な識者も相当数に上るはずだが、この沈黙をいつまで続けるつもりであろうか。

　あえて極端な言い方をすると、『歎異抄』から生まれた日本の思想の大きな流れが、これでは途絶えてしまうのではなかろうか。

　言うまでもなく、思想は、政治、経済、科学、医学、文学、芸術、倫理や道徳など、人間のすべての営みを生み出す本である。

　人生の価値を何に置くか、生きる意味をどうとらえるか。思想によって、ものの見方はガラリと変わり、世の中の在り方も大きく変化する。
　常に人類の歴史を作ってきた根底には、すべてのものの存在意義を問う人間の思想がある。

常識で理解しがたい深遠な思想

　人類の思想の流れは、大別すると唯心論と唯物論の二つになる。

　唯心論とは、世界の本体を精神（心）を中心に考える立場で、その代表格はプラトン、カント、ヘーゲルらである。

　それに対し、物質から離れた霊魂、精神、意識を認めず、物質の根源性を主張するのが唯物論である。
　古代インドの六師外道の中にもあったし、中国にも見られた。
　西洋では、古代ギリシャの哲学者以来、近世の機械論的唯物論やマルクス主義の弁証法的唯物論を経て、今日の脳科学に基づく唯物論に至るまで、様々な形態をとりながら絶えず現れている。

　また、自由を求める思想は、自由市場原理に基づく資本主義となったが、自由競争は格差社会を生み出し、その反動から、平等を目指す共産思想も生まれた。
　二十世紀は、米ソに代表される自由主義と共産主義の両陣営が、世界を二分する冷戦で対峙した。

『歎異抄』に語られている親鸞聖人の教えは、唯心論でも唯物論でもない。
　 単なる自由主義でも、平等主義でもない。
　そこには常識で理解しがたい深遠な思想があるのだが、それでも多くの人々が、 『歎異抄』に魅了されるのは、 「人類を救う思想がある」と感じ取っているからだろう。

　その思想の流れが今、なぜかせき止められたような状態である。
　たまりにたまった満水が、激流となり、果たしてどこへ怒涛となるのだろうか。

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		<dc:date>2009-10-14T11:26+09:00</dc:date>
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		<title>［親鸞会会員の声］凄いことを聞いていたんだ</title>
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		<description>　学生時代、熱心に聞法しながらも、社会の荒波に仏縁を遠ざけた法友もある。
　だが無上仏の無辺の願力は、離れても十重二十重に友を包み、再び二千畳へと引き寄せる。そのドラマの一つを紹介しよう。

　昭和56年、大学に在学中、親鸞聖人の教えとのご縁を結ぶ。大学時代は多くの法友に恵まれ、朝から晩まで仏法と学業に明け暮れた。

　卒業後、電気部品製造会社に就職。
　30歳を過ぎたころより仕事の責任が重くなり、そのうえさらに仏法を聞くことに無理を感じた。「もうやめたい……」。心の中の糸が切れた。

　以来、休日には会社の上司と飲み歩き、遊びにお金を湯水のごとく使った。仏法を忘れようと必死だった。

衝撃的な死

　だが、いつもおごってくれた上司が、やがて金をせがむようになる。 貸せば大概、踏み倒された。何度も催促して、ようやく返してもらったこともある。
「借りる時の恵比須顔、返す時の閻魔顔」。かつて説法で聞かされた、人間の本性についての話が思い出された。
　気まえよく見えた上司も、結局、名誉のために、皆にいい顔をしてみせただけで、実態は違っていた。

　夜勤もある仕事はきつく、休日は、高校時代の友人と一緒に過ごすようになる。夜遅くまで３人で酒を飲んだ。

　友人の１人が酒を飲みながら「足が痛い、のどが渇いた」とたびたび言ったが、その時はあまり気にも留めなかった。
　やがて友人は、糖尿病から余病を併発し、医師より、足を切断との宣告を受ける。

　その数日後だった。出勤して来ないのを案じた同僚が家族に電話をすると、新築したばかりの家で、彼は首をつっていた。

　それ以来、飲み友達と店に行っても、お通夜のようにシーンとすることが多くなった。

　半年後、なじみの店のママから、携帯電話に着信があった。
「話があるので、いつでもいいから来てください」
　いつもとは違う、強い口調に、夜10時過ぎ店を訪れた。
　ママさんから、勤めていた女性の死を聞かされた。彼女はお風呂で手首を切って自殺していた。元気だった時の姿がまぶたに浮かぶ。まさか自殺するとは思わなかった。

　原因は金銭トラブルらしかった。
　もともと、金遣いが荒く、ママさんに何度もお金を借りてはすぐ使い果たし、最後は無一文になっていた。

なぜ伝えなかった

「なぜ自分は、彼らに仏法を伝えなかったんだ……」。自責の念がつのった。
　飲み屋からの帰り道、足取りが重かった。乗っていった自転車を、のろのろと押して帰った。

　１人、家で茫然とした。

　本棚に掛けられた額の高森先生のお言葉が、ふと目に留まった。
「真実の仏法者にとって、命かけて護らねばならぬものは（中略）ただ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけである」
　これまで聞かせていただいていたことの重みを感じた。

　本屋へ行き、『なぜ生きる』と『歎異抄をひらく』を求めて拝読した。
「どんなに苦しくてもなぜ生きる──。実は、自分はすごいことを聞かせてもらっていた。全然分かってなかったんだな」と思った。

自分と向き合う

　昨年５月、再び聞法精進することを決めようと、比叡山に登った。
　親鸞聖人の求道の出発点となったゆかりの地である。
　アニメ『世界の光・親鸞聖人』にも描かれていた、聖人の真剣な求法のお姿が髣髴とした。

　自分に本当に再スタートが切れるのか？聖人も眺められた琵琶湖の水を、じっと見つめ続けた。挫折したかつての自分とやっと向き合うことができた。
　眼下に広がる琵琶湖の青さが、目にしみた。
　今度こそ人生の目的達成に向かって生きよう。決意を固めた。

　愛知担当の親鸞会講師に電話をして、ご法話の日程を確認する。昨年６月、富山の親鸞会館へと向かった。

　眼前に初めて仰ぐ正本堂。声が出なかった。離れていた15年の間に、真実の教えは驚くべき勢いで広まっていた。

　それから毎月参詣を欠かさない。
「長いブランクも阿弥陀仏のご方便だったのだと思います。会社の人間関係の苦しみも仏説まことを知らされるご縁となりました。今までもったいないことをしていました」</description>
		<dc:date>2009-10-08T11:11+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.or.jp/koe/091002tannisho.htm">
		<title>『御文章』と『歎異抄』　御心は一つだった　真宗大谷派住職からの投稿</title>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/koe/091002tannisho.htm</link>
		<description>『歎異抄』を都合よく解釈してきた真宗界にとって、『歎異抄をひらく』のご発刊は、動物園からトラが逃げたようなもの。
「今までの解説本は何だったのか？」との大衆の声は、勝手な解釈をしてきた者たちの責任を問う。
　トラの&quot;被害甚大&quot;、園長が放っておけるはずがない。これはある真宗僧侶からの投稿である。

　これまで大谷派（通称お東）は、「念仏称えたら救われる」と簡単に言い、「この世でハッキリするものではない」「救われても喜べなくて当たり前」とも教えてきました。
　それでは浄土宗も浄土真宗も変わらないではないかと、ずっと煩悶してきましたが、それら布教の根拠のすべては『歎異抄』だったのです。

　ですから蓮如上人の『御文章』は、『歎異抄』の教えと正反対なものとして遠ざけられてきました。

　例えば『歎異抄』には、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」とありますが、『御文章』には随所に、「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず」とあるからです。

　また、弥陀に救われても
「踊躍歓喜の心おろそかに候」と『歎異抄』にはあるのに、蓮如上人は、「今こそ明かに知られたり」「うれしさを昔は袖に包みけり、今宵は身にも余りぬるかな」と、鮮やかな救いを説かれています。

　また『歎異抄』といえば悪人正機。悪人ほど往生できるとありますが、『御文章』には、「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」と教えられています。

『歎異抄』から見ると、『御文章』は親鸞聖人の教えとまったく違ったものに見えるのです。
先代住職は「後生の一大事」に赤線

　しかし、先代の住職だった父が亡くなり、遺品を整理していた時、父が何度も読み込んだらしい『御文章』が出てきました。
　父は臨終に、大谷派の教学では後生暗い心は何ともならないと感じたのでしょう。何カ所も「後生の一大事」という言葉に赤線が引いてありました。

　大谷派の教学が身についた私には、『御文章』が一体どういうものなのか、分からなくなってしまいました。

　それが高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』を読み、『歎異抄』の「ただ念仏して」も「踊躍歓喜の心おろそかに候」も「悪人正機」もすべて、『御文章』に書かれた御心と矛盾するどころか、そのものであったことがハッキリ分かったのです。本当にうれしく思いました。

『歎異抄』から『御文章』を読むのではなく、『教行信証』の要が収まる『御文章』から読まなければ、幾ら「歎異抄、歎異抄」と言っていても、『歎異抄』は絶対に分からぬと知らされました。

　大谷派の中にいては何もできないのが悔しいですが、こんな素晴らしい本が書店に置かれ、多くの人に読まれていることを知ると大変勇気づけられ、自分も頑張らなければという気持ちになります。

 
『御文章』を排した&quot;近代教学”

『御文章』はいかにして書かれたか、『山科連署記』にはこう記されている。
「教行信証文類、六要抄、表紙のやぶれ候ほど御覧じ候て、その後御文を御作りなされ候、これ千のものを百にえり、百のものを十にえり、十のものを一にえりすぐりて、凡夫直入の金言をいかなるものも、聞き易く、やがて心得候うようにあそばし候」
　蓮如上人は『教行信証』を表紙が破れるほど読み込まれ、その中の大事なことを、千の中から一つ選りすぐるようにして『御文章』をお書きくだされた。まさに凡夫往生の手鏡なのである。

　その蓮如上人の懇切なご教導を、「古臭い」といって排斥するのが現在の真宗大谷派である。

　彼らの信奉するのは、明治初頭の学僧、清沢満之とその弟子たち（暁烏敏、曽我量深、金子大栄ら）が提唱した〝近代教学〟である。
　清沢は、「自分にとっての三部経とは『阿含経』『エピクテタスの語録』『歎異抄』だ」と語り、「来世の幸福は、私はまだ実験しないことであるから、此処に陳ぶることは出来ぬ」「地獄極楽の有無は、無用の論題なり」など、仏教の根幹たる三世因果をまるで認めず、後生の一大事を歪曲した。

『歎異抄』をベースに西洋哲学を混入した彼らの教学は、西洋思想崇拝の時代の風潮にも乗って大いにもてはやされたが、お聖教とかみ合わず、特に「後生の一大事」と多く書かれた『御文章』は都合が悪かった。

　曽我量深は、真宗同朋会の席で、蓮如上人を一段下に位置づけ、「親鸞聖人のみ教えを一層明らかに」と発言した。
　ある人が、「親鸞聖人、蓮如上人のみ教えはすでに定まっていて、一つであると思っていましたのに」と質問したところ、皆で嘲笑したという話も残る。

　昭和5６年、真宗大谷派は蓮如上人の『御文章』を、宗憲（大谷派の最高法規）の「正依の聖教」の項目からついに外している。 </description>
		<dc:date>2009-10-06T10:06+09:00</dc:date>
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