後生を問わぬ"『歎異抄』信仰"の破綻
〜大谷派住職の告白〜
多くの人に親しまれながら、読み手の勝手な解釈で、浄土真宗を混迷させてきた『歎異抄』。
しかし『歎異抄をひらく』のご発刊により、永い眠りの真宗界にも、心ある人々は立ち上がりつつある。
その兆しを真宗大谷派のある住職からの手記で紹介する。
正依の聖教から『御文章』を削除
このたび発刊された『歎異抄をひらく』を幾度も拝読し、弥陀の本願、善人悪人、信心、念仏などについて、親鸞聖人の本当のみ教えと、真宗大谷派(通称・お東)との違いがハッキリし、バラバラな解釈をしてきた宗門の愚かさ、恐ろしさを改めて知らされる。

『歎異抄』とは、「無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからず」と、蓮如上人が世に出すことを固く禁じられた書物である。
それを大谷派の学僧、清沢満之(明治36年没)が、東大の図書館より見つけ出し、世に広めてしまったと聞いている。
清沢は平素から、「死後の事は実験できないので、ここに述ぶることはできない」と言い、『歎異抄』に説かれる死後(後生)についても不問とし、他力信心を頭の中で作り上げた観念の遊戯にしてしまった。
これが西洋から流入した哲学や科学主義に染まった当時の思想界に受け入れられ、彼の弟子、曽我量深、金子大栄、暁烏敏、安田理深らが作った教学(近代教学という)は、大谷派の主流となっていく。
以来、大谷派は、後生を説かない宗風となったのである。
しかし、蓮如上人の「後生の一大事」という教説と合致しないため、「蓮如教学は古い、我々は親鸞教学だ」と、両聖人の教えを分断し、さらに大谷派の宗憲(最高規則)で、正依の聖教から『御文章』を削除してしまったのである。
蓮如上人によって、浄土真宗は日本中に広まったのに、これでもはや大谷派は、浄土真宗とはいえなくなった。
近代教学で育った私が、その大きな誤りに気づいたのは、亡父の臨終の告白である。
後生を説かずに、親鸞聖人の教えは絶対分からない。そう知らされた私は、同派内で後生の一大事を可能な限り訴えた。
根本の解釈がバラバラ
これは大谷派の多数の僧侶に、「後生の一大事」の解釈を求めた際、寄せられてきた回答である。
■後生の一大事とは
⑴今から死ぬまでの一大事。つまり今どう生きるかの大事。
⑵後生が地獄とは脅しであり、悪行の戒めである。
⑶人は死ねば皆、浄土へ帰ることを言われたもの。
⑷蓮如上人の時代は戦国乱世でこの世は苦しみばかりだった。せめて死んだら安らかな極楽へ往けると、民衆を慰めるために言われたこと。
⑸人間は死ねば無に帰するから、後生の一大事は、今日死語に等しい。
⑹「前念命終 後念即生」(愚禿鈔)の後と生をとって作った略語。
⑺後生とは、我々の子孫が生きていく後の世のことである。
⑻後生を実体化するのではなく、飽くまで命の一大事ということ。
というように、親鸞聖人の教えを正確に伝えるべき僧侶自身が、後生の一大事という教えの根本においてさえ理解がバラバラなのである。
これが大谷派の実態であり、近代教学というものが、いかに宙に浮いた教学かお分かりと思う。
後生の一大事を抜きに、親鸞聖人の信心は語れない
仏語に虚妄なし。釈尊の説かれた言葉を信ずることなしに仏教は成り立たない。
釈尊は前世、現世、後世の三世の存在を明らかにされ、この三世にわたって因果の道理が貫いていることを説かれている。
罪悪深重、煩悩具足の私たちは、因果の道理に順じて後生は一大事と、釈尊は警鐘乱打されているのである。
その釈尊の教説が信じられず、死後のことなど説明できぬとほおかぶりしたところに、近代教学の誤りの出発点があった。
だから、蓮如上人が「後生の一大事」と叫ばれたことも、何とおりにも解釈してはぐらかし、死語同然にしてしまったのである。
後生の一大事が分からずに、どうしてその一大事を一念で弥陀に解決していただく妙味が分かろう、また、いつ死んでも必ず浄土へ往ける金剛心が獲られようか。
後生の一大事を抜きに、聖人の信心は語れない。
『歎異抄』で最も重要な第一章の「ただ信心を要とす」が読めるはずもないのである。
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