消え行く鐘の音……守るべきものは何か

除夜の鐘


紅白歌合戦が終わる頃、静寂な夜の町に響き渡る除夜の鐘。
年末恒例の風物詩です。
108回鳴らすのは、人間の煩悩の数に由来していると言われますが、寺によっては希望者が多くて108以上鳴らしているところもあるとか。

反面、その除夜の鐘の存続について、一つの記事が朝日新聞に出ていました。

無人で鐘を突く機械式の撞木(しゅもく)を採り入れる寺院が増え、今や全国約1600カ所に広がっている。住職が高齢化したり、過疎化で後継者がいなくなったりする突き手不足の中、地域の鐘の音を守りたい住民らの願いがのぞく。タイマーで動く撞木を唯一、製造しているのは奈良市の上田技研産業。日本人の「心のふるさと」を消すまいと、除夜の鐘を控えた年の瀬、駆け込み需要に追われる日々だ。
除夜の鐘、自動鐘つき機で「ゴ〜ン」? 後継難で急増(asahi.com)

寺院の後継者不足は、今に始まった話ではありません。
私の田舎も過疎地域にあり、後継者がなく無住になった寺が何カ寺か見られます。
また、鐘を突くことすらできない老住職で、無人鐘付き機も購入するお金もなく、やむなく鐘の音をスピーカーで鳴らしている寺もありました。

「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」
山間に響く鐘の音は、情緒豊かな日本人のこころの風景でありましょう。
朝日の記事の中で、電気メーカーの社長は「鐘の音は日本人の郷愁を呼び起こす。それを守っていく使命感を持ち続けたい」と話しています。それは素晴らしいことだと思いますが、本当に残していかねばならないのは、寺の鐘ではなくて、寺で説かれる「仏の教え」ではないでしょうか。

浄土真宗親鸞会は、一人一人の心に、本当の親鸞聖人のみ教えをお届けすることに、全力を尽しています。
親鸞会の法話会場では、
「仏教がこんな素晴らしい教えとは知りませんでした」
「寺の説教は世間話ばかりですが、親鸞会では親鸞聖人の教えを学ぶことができるので素晴らしい」
「子どものころから親しんだ正信偈の意味が、よく分かった」
など、喜びの声が沢山聞こえてきます。

私たち親鸞会会員は、今までも、そしてこれからも、親鸞聖人のみ教えを守り、伝えていく使命に生き続けます。

(H)

( Photo by (c)Tomo.Yun )


患者さんの立場に立った治療

親鸞会 同朋の里

寒い季節となりました。
親鸞会館のある富山県射水市では、もう積雪があってもおかしくない時期ですが、まだ雪の舞にお目にかかっていません。有り難いことです。

親鸞会の会員で耳鼻咽喉科の医師がおられます。
先日少しお話したところ、やはり今の季節は患者さんが多いとか。
病気も回復して、「聞こえるようになった」「うまく話せるようになった」「においが嗅げるようになった」という感謝の言葉をかけられることが、一番の喜びと語っていました。

しかし、外来の診察だけではなく、ガン治療といった命にかかわることにも携わる機会が多いそうです。
生命の尊厳……「生きる目的」を明らかにされた親鸞聖人のみ教えを、一人でも多くの方にお伝えするために、浄土真宗親鸞会は日々活動しています。
医師である彼も、「患者さんの後生を念じ、患者さんの立場に立って治療にあたるように心がけています」と、さわやかに話してくれました。

さて、平成19年も、もうすぐ終わります。
来年は、親鸞会結成50周年の、記念すべき年。
皆さんも、どうか風邪などひかれませんよう、よいお年をお迎えください。

(写真:浄土真宗親鸞会 同朋の里)


「一期の栄華 一盃の酒」……上杉謙信の辞世

武田信玄

NHK大河ドラマ「風林火山」が終了しました。
武田信玄を扱った大河ドラマでは、昭和63年の『武田信玄』があります。主演の中井貴一を始め、紺野美沙子や南野陽子など、お茶の間で馴染みのスター勢揃いという感じでしたが、今回の「風林火山」の配役は地味な割には番組そのものの人気は高かったとか。

NHK大河でも合戦シーンにCGを使い始めたのが7年前の「葵・徳川三代」でした。中井貴一演じる信玄の時では見られなかった、合成による迫力ある合戦シーンが「風林火山」でも演出され、楽しませてくれましたね。

ところで、番組の最後に上杉謙信の辞世の句が紹介されていました。

「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」

49歳でこの世を去った越後の龍も、過ぎ去った一生を振り返れば一眠りする間の夢のようだったと述懐しています。
天下に名を馳せた一代の栄華も、1杯の酒ほどの楽しみでしかなかった。豊臣秀吉の辞世の句にも通じるものがあり、人生というものを非常に考えさせられる内容ですね。

夢か幻のように、アッという間に過ぎ去るのが人の一生。今も変わらないこの真実を、戦国武将はまざまざと見せつけてくれていると知らされます。

夫れおもんみれば、人間はただ電光・朝露の夢・幻の間の楽ぞかし。たといまた栄華・栄耀に耽りて思うさまの事なりというとも、其れはただ五十年乃至百年のうちの事なり。
 もし只今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや。まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一も相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。(蓮如上人『御文章』)

(写真:http://www.railstation.net/


「若い人がこんなに……」 報恩講参詣の声

秋の親鸞会 会館周辺

 今年11月に催された、親鸞聖人報恩講の話題から。

 毎月、東京の講演会で聞法していた二人の方が、報恩講で初めて二千畳に参詣されました。
 「こんなに若い人たちが頑張っているなんて。浄土真宗の未来が明るくドンドン伸びていくのを確信しました」と、涙の止まらぬ様子。
 もう一人の方も、「聴聞に極まることがよく分かりました。これからも続けて聴聞します」と意欲的です。

 二人とも地元の講演会では椅子席でしたが、二日間とも正座で真剣に聞かれました。
 今回、勤行の本などを求め、「もっと勉強します。皆さんと信心の沙汰ができるようになりたいから」。帰りのバスでは疲れた様子もなく、東京までずっと仏法の話に花を咲かせていました。

(写真:親鸞会館周辺の紅葉)


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