「幸せをもたらす宗教だと、確信」
2 月 29, 2008 on 1:42 pm | In 社会 | No Comments
『毎日新聞』(2月14日)に、イスラム教からキリスト教への改宗を公言しているエジプト系アメリカ人、ノニー・ダルウィッシュさんの記事が載っていました。
→イスラムから改宗したエジプト系米国女性、決意の理由
イスラム教においては、「改宗は重罪」だそうです。だから、彼女のように、改宗を公言するだけで、ニュースになるんですね。
記事によれば、ノニーさんが子供のころ、父親がイスラエル軍に殺されました。弔問に訪れたナセル大統領(当時)に、イスラエルへの復讐を勧められた時、イスラムの教えに対する疑問や不信が芽生えたと、こう述べています。
イスラムは人を幸せにするのかどうかと疑問に思った。
また、モスク(イスラム礼拝堂)での説教はいつも、
ユダヤ人やイスラエルへの憎しみを教えていた。
憎しみは幸福につながらないと思った
憎悪の連鎖では、救いはないというのは、子供でも感じるのでしょう。
私の知人に、イラン系アメリカ人の方がいて、小中高と12年間、イスラム教の教育を受けたそうです。ノニーさんと同様、怒りや憎しみによって煩わされてばかりの人生に、どうしたら本当の幸せになれるのか、いろいろと悩んだそうです。
忘れられないこんな思い出があると言います。
イランイラク戦争の真っ最中のこと。生活物資は配給制で、牛乳は各家庭に1日2本と決まっていました。
ある日、母親が、牛乳ビンをテーブルの端っこに置いていたため、だれかが過って落として割ってしまった。
「貴重な牛乳を無駄にして!!」と、お父さんの、ものすごい剣幕で、夫婦喧嘩が始まりました。
幼かった知人は、牛乳を失ったことよりも、怒りの心の恐ろしさが刻まれる事件となったようです。
のちに家族とともに移住したアメリカで親鸞聖人の教えと出遇い、高森顕徹先生の『光に向かって』の中の、「悪人ばかりだとケンカにならない 一家和楽の秘訣」というお話を読んで、人生が大きく変わるほどの感動を受けたそうです。
悪い運命が自分に振りかかった時、その運命を自分に与えたと思われる相手をどこかに探し出し、その人を責めることで、自分を納得させようとするのが、世の人の常です。
しかし、それでは、本当の幸せにはなれない、と仏法は教えます。
なぜなら、自分の運命は、全部、自分の行いが生み出したものだからです。
これが、大宇宙の真理と言われる「因果の道理」です。
「『因果の道理』を説く仏法こそが、幸せをもたらす宗教だと、確信しました」
と、その知人は言っています。
(A)
【同朋の里】造成工事が進んでいます
2 月 28, 2008 on 2:27 pm | In お知らせ | No Comments
浄土真宗親鸞会「同朋の里」では、仏法を語り合うための施設(D館)や食堂などの宿泊施設の建設を進めています。
写真は今年1月30日の、杭打ちの様子です。
雪など、天候が心配される季節ですが、工事には影響なく、順調に進められており、すでに基礎工事に入っています。
同朋の里は、みるみるうちに、その姿を変えています。

2つのステッカー問題
2 月 27, 2008 on 1:22 pm | In 日記 | No Comments
最近、子供が誕生した。車社会の富山では、もちろんチャイルドシートが必須アイテムである。早速、購入。
そういえば、時々「赤ちゃんが乗っています」というステッカーを見掛ける。あれって、何だろう。張ることになっているのかと思って、ちょっと検索してみると、甲論乙駁、白熱した議論が展開されていた。
まさに「赤ちゃんが乗っていますステッカー問題」だ。
しかし、今回の話は、そのことではない。
「赤ちゃんが乗っていますステッカー」について調べていたら、妻が言った。
「そういえば、北海道に旅行に行った時、『女房が乗っています』っていうヒグマのステッカーがあったわよ」
本当か?
げらげら笑う私に、妻は続けてこう言った。
「おれの女に手を出すな、ってことかしらね」
違うだろう。ヒグマのようなわが女房ってことじゃないのか!?
同じステッカーを見ても、こんなに解釈が違うとは。
これも「一水四見」ということだろうか。
しかし、誤解のないよう最後に付け足しておきたい。
妻は大変優しい人である。
(M)
樹海の看板で命拾い?
2 月 26, 2008 on 1:13 pm | In 社会 | No Comments
読売新聞の記事から。
「借金で死ぬな!樹海の看板29人救う」
「借金の解決は必ず出来ます!」。
全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会(東京・神田)が、こう呼びかける看板を山梨県・富士山ろくの青木ヶ原樹海入り口に設置して1年余。
24時間の相談電話番号も併記して、自殺を図ろうとする人を瀬戸際で助ける試みだ。
これまでに少なくとも29人が救われたという。
経済的な苦悩から、自殺を考える人は少なくないようです。
その苦しみ解決のサポートをしようという志ですね。
「越えなばと 思いし峰にきて見れば
なお行くさきは山路なりけり」
といわれるように、一つの苦しみを乗り越えると、次には、さらなる苦しみの山が待っている。
そんな心境、だれしも経験があるのでは?
親鸞聖人は、
「人生は難度海」「生死の苦海」とおっしゃっています。
苦しみ悩みの波が絶えず、次から次とやってくるところが人生だからでしょう。
なぜ苦しくとも生きねばならないのか。
自殺してはならないのか?
その答えを知ることが、今回、命を助けられた29人の皆さんの、本当の幸せに通ずる道と思います。
(T)
次世代DVD競争は本当に終わったのか?
2 月 25, 2008 on 1:47 pm | In 社会 | No Comments
東芝がHD-DVD事業から撤退して、次世代DVDの戦いに決着が着いたらしい。
しかし、勝ったブルーレイ方式の会社が、いつまで喜んでいられるだろうか。
音楽はすでに、CDを買うのではなく、インターネットから1曲ずつ購入する方法が広まっている。インターネットの技術がもっと向上すれば、同じように映画もネット経由で買う時代が来るだろう。
携帯電話も競争が激化し、「王者」といわれたドコモが苦戦して、「ひとり負け」といわれている。こんな時代が来るとはと、関係者も驚いているようだ。
技術が進んでも、競争が厳しくなるばかりで、不安は増す一方なのではないだろうか。
(R)
あれが、私の運命の分かれ道
2 月 23, 2008 on 10:30 am | In 日記 | No Comments
先日の日曜日、2000畳の大講堂で、アニメ『王舎城の悲劇』を通して、「因果の道理」を詳しく聞かせていただきました。因果の道理とは、私たちの運命は、どうやって決まるのか、「運命のしくみ」を明らかにされた教えです。
だれしも、自分の運命ほど知りたいものはないのに、また運命ほど不思議なものもありません。これだけ科学が発達しても、運命がどうやって決まるのか、どんな大学者も分からないから、迷信や占いを信じる人がなくならないのでしょう。
「あと1秒早かったら……」
私の運命を大きく分けた1秒が、今から30年前にありました。
当時、中学生だった私は、自転車通学をしていましたが、その日は寝坊して、慌ただしく家を飛び出した。
大汗かきながらペダルをこいで、近所の踏切にさしかかると、遮断機が下りている。
「電車が通り過ぎるのを待っていたら、遅刻するー!!」
とっさに判断した私は、脇目も振らず、遮断機のわずかな隙間から踏切に進入した。
渡り終えた、その瞬間、特急電車が私の背後を風を切って通過したのです。
遅刻のことしか頭になかった私には、何が起こったのか、状況を深く理解することもなく、そのまま学校に向かい、普段どおりの1日を過ごしていました。
そのうちに、この1件も記憶の底に埋もれていきました。それが、今、因果の道理を聞かせていただくにつけ、
「あれが、私の運命の分かれ道だったなぁ」
と、つくづく思うこのごろです。
もう1秒、布団から出るのが遅かったら……。
制服を着る時、もう1秒長くかかっていたら……。
自転車のタイヤの空気圧が、もう少し足りなかったら……。
1秒の誤差が、私の運命を大きく変えた。
しかし、だれが、私のこの運命を決めたの??
全くもって、不可解。
原因と結果の関係を明らかにされたのが因果の道理ですが、私たち人間の知恵で知りうる範囲は、ごくごく限られています。
ただ一つ、厳然としているのは、よい原因はよい結果を生み、悪い原因は、悪い結果を生むということ。これについては、万に一つも間違いはないと教えられます。
ちなみに、その踏切は、遮断機の「隙き間」のせいで、進入する人が後を絶たず、私の知っている限りでは、近所に住んでいたモルモン教の宣教師が、1人亡くなっています。何か考え事をしながら、自転車で進入したようです。
今、遮断機の隙き間はなくなりました。あれは、本当に悪い「縁」でした。
それにしても、私も危なかった。思い出すたびに、今でも冷や汗が出ます。
(A)
子は親となる、同じアニメ見る
2 月 21, 2008 on 2:06 pm | In 日記 | No Comments
今、月曜夜7時から「ヤッターマン」なるアニメ番組が放映されています。
そう、30年前に人気を集めたテレビアニメのリメイク版です。
タツノコプロの黄金時代を築いた作品の一つといわれますが、30年前と言えば私はまだ小学生でした。
子供の時に見慣れたアニメを、まさか自分の子供と一緒に楽しむことになろうとは、予想だにもしていませんでした。
いい作品は、心に残るもの。
懐かしさを求めて、いい作品は再び作り直されていくのかもしれません。
もしかしたら、今自分の子供が熱心に見ているアニメ「プリキュア5」なども、30年後にリメイクされて、孫が楽しむのかもしれません。
一休は「人生は食て寝て起きて糞たれて 子は親となる子は親となる」と、人生の実相を詠みましたが、その一休の言葉を借りるなら、さしずめ「子は親となる、同じアニメ見る」といったところでしょうか。
人生の本質を、垣間見た思いです。
それにしても、30年なんて、振り返ればアッという間ですね。
きっと、これからの30年も、アッという間に過ぎて行く。
30年後の日本が、果たしてどうなっているのか、知るよしもありません。
しかし、そんなアッという間の時間が、かけがえのない大切な「自分の人生」。
無駄にすることなく、悔いなく生きたいものですね。
聞かせていただきたい。
親鸞聖人の教えられた「生きる意味」。
(H)
「雪」……親と子で全く違う感じ方
2 月 20, 2008 on 1:38 pm | In 日記 | No Comments
温暖化の影響か、平年と比べてかなり遅い、本格的な雪の朝。
主人は早朝から除雪に出掛け、私は雪道の渋滞を見据えて、早めに出勤できるように、家事の時間配分を考えていました。
いつもなかなか起きない息子、ちゃんと目覚めてくれるかなあ……。
ところが、
「雪、たくさん降ったよ〜」
と言いながら起こすと、
「雪だるま、作れるかな」
と大喜びで飛び起きました。
♪犬は喜び庭駆け回り、猫は炬燵で丸くなる
という童謡もありますが、「雪」といっても、境涯によって受け止め方が全く違うものですね。
ここで、ちょっと唐突ですが、戦後、世界を風靡したドイツの大哲学者、ハイデガーのお話。
彼は、人間を「世界内存在」と規定しています。
「世界の内に在る、という有り方をしているものが人間だ」ということで、言葉を変えれば、世界は人間(私)の構成分の一つだということです。
私の身体も、目の前の机も、床も、家も、周りの景色も、すべて引っくるめたものが私だ、ということ。
なぜなら、目の前の机は、子供時代からの思い出をすべて含めて、慣れ親しんだもの、として私には見えている。
そういう見え方をしている机というのは、私の世界だけにあるもの。
その意味で、そういう机は、私の世界の一部であり、私という人間の一部、と言っていい、ということだそうです。
普通は誰でも、地球とか、宇宙とか、そういう世界がまず客観的実体としてあって、その中に自分がいる、と考えているのではないでしょうか。
私もそうでしたから、このハイデガーの思想に初めて触れた時は、目からウロコ、でした。
同じ雪でも、親と子では、感じ方が全く違うのも、哲学的にいえば、こんなふうに説明されるのでしょう。
こう言って20世紀の人々を驚かしたハイデガーでした。
お釈迦さまは、2600年前に、こんな例えを教えておられます。
「一水四見(いっすいしけん)」
水を天人は瑠璃(るり)と見、
人間は水と見、
魚はすみかと見、
餓鬼は炎と見る
(餓鬼は、水を飲もうとして口へ運ぶと、ぼうっと炎になり、どうしても飲めないからです)
同じ水でも、それぞれの境涯によって、全く見方が変わることを端的に表されたのでした。
雪の中で、大はしゃぎの息子を横目に、出勤時間に遅れないかな〜と心配しつつも、いろんな思いが膨らみました。
(E)
(写真は親鸞会館の雪景色)
信頼していたからこそ、驚きが
2 月 18, 2008 on 1:16 pm | In 日記 | No Comments
4カ月ほど前に、生協を始めました。
安心安全な食材を求めてのことです。
注文用に届くパンフレットには、農薬は10パーセント削減とか、肥料には有機物50パーセント以上投入などと書かれてあります。
事業概要にも食の安全がうたわれていて、生協を全面的に信用し、以来、スーパーやコンビニなどで食料品を買うことはほとんどしなくなりました。
そんな矢先に起きた今回の冷凍ギョーザ騒動。
健康被害を訴える人まで出る騒ぎに、日本中が震撼しました。
「えっ、生協の製品に! まさか……」
驚きとともに、それまでの生協信心が崩れたのです。
その時、『歎異抄』の「火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無き……」のお言葉がふっと浮かび、この世のことは、いつどうなるか分からないのだな、と身をもって知らされました。
「ただ念仏のみぞまこと」と絶対に裏切らない真実を教えられる親鸞聖人のみ教えを、重ねて聞かせていただける幸せを、一層、かみしめずにおれません。
(T)
大河ドラマ「篤姫」で憶う、薩摩門徒の歴史
2 月 15, 2008 on 2:28 pm | In 日記 | No Comments
今年は「鹿児島の年」でしょうか。
NHK大河ドラマでは、薩摩藩の娘から徳川将軍の正室となった「篤姫」が放映されています。
幕末を扱う大河ドラマは2004年の「新選組!」以来ですが、その前となると1998年の「徳川慶喜」までさかのぼります。
昨年の「風林火山」や、その前の「巧名が辻」など、戦国時代を扱うドラマは、敵味方がハッキリしているのでストーリーも理解しやすいですね。
幕末の動乱期は、個性豊かなキャラクターが多く登場して非常に面白いのですが、時代背景をよく理解しないとドラマとして楽しめません。そういえば、寝返りが多い南北朝時代を扱うドラマは、分かりにくくて視聴率も低いとか。
それはともかく、鹿児島といえば忘れてはならないのは「薩摩門徒」の存在でしょう。
鹿児島県は古くから浄土真宗の盛んな場所で、寛保のころ(1740年ごろ)、薩摩西北部では、9割の人が信者だったといわれ、天保年間(1840年ころ)には、鹿児島城下6割に及んだという伝承もあります。
しかし、盛んなるがゆえでしょうか、薩摩藩によって悲しい弾圧事件があったことは、浄土真宗の歴史を語るうえで、欠かすことはできません。
島津家は、徹底した浄土真宗の禁教に踏み切り、弾圧専門の役所を設け、役人を領内に残して、取り締まりを強化していきました。
捕らえた者には、割り木責め、火責め、水責めなどという悲惨極まりない拷問を加え、結句は宗旨替え、いわば棄教を迫り、死刑、投獄、島流しの処罰をしています。
そんな弾圧の中でも、藩役人の追及を逃れて、深山や人里離れた所に秘密の「聞法道場」を作ったり、隣の肥後の寺へ越境参詣したり、柱やまないたに御本尊を隠して礼拝を行いました。
これらのことから「かくれ念仏」と呼ばれるようになりました。
大河ドラマでは、薩摩藩の和やかな様子が描かれていますが、その裏では、まるでおとぎ話のような、信じられない弾圧があったのです。
信教の自由が憲法で保障されている現代では、とても想像ができません。
薩摩門徒は、なぜそこまでして親鸞聖人の教えを求めたのでしょう。浄土真宗の先達が命と引き換えに、私たちに残し伝えたいこととは何だったのでしょうか。
歴史を通して、私たちが学ばねばならないことは、その「教えの真髄」にあります。
「阿弥陀さまのお慈悲に包まれているから、そのままでいいのだ」
「この世はどうにもならないが、念仏さえ称えていれば、死ねば極楽参り間違いない」
そのような教えで、動かされた薩摩門徒だったのでしょうか?
そうではありません。
私たちの人生で、最も大切なことが教えられているのが、親鸞聖人の教えだからです。
浄土真宗親鸞会では、本当の親鸞聖人の教えを一人でも多くの方に知っていただけるよう、日々活動しています。
鹿児島だけでなく、全国各地で法話を開催しています。一度、ご参加ください。
(H)
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