「命」と「才能」、どっちが大事?

7 月 8, 2009 on 1:09 pm | In 社会 |

スポットライト

 マイケル・ジャクソンさんの突然の死は、熱狂的なファンのみならず、世界中の各界に大きな衝撃を与えました。

 オバマ大統領も議会の場で彼の死を悼み黙祷を捧げ、日本でもテレビ・ラジオで特番が組まれ、多くのアーティストが悲しみのコメントをしています。

 その中で、ある有名バンドのドラマーが発した一言に、思わず「ん?」と首をかしげてしまいました。

「彼の『命』よりも、『才能』が、この世から永遠に失われてしまったことが、残念でなりません」

 天才への熱烈なリスペクトを表現したかった気持ちは、よく分かります。
 彼をスーパースターの座へ導いたといわれる、あの「スリラー」の音楽とダンスと映像には、素人の私でも度肝を抜かれます。
 まして一流アーティストの目に、彼の「才能」がどう映るかは、想像に難くありません。

 しかしそれは、「命」よりも、価値あるものであったのでしょうか。
「才能」が有るか、無いかによって、その人の「死」が「残念」であったり、無かったりするのでしょうか。

 ちょっと怖い気がするのは、このような、「命」よりも「才能」に価値を置く発言には、「じゃあ才能の無い人は死んでもかまわないのか」という声が聞こえてきそうだからです。

 仏教では、「男女、老若、才能の有無や健常者・障害者、国籍や肌の色」など一切の差別なく、どんな人の「命」にも、共通して、「地球よりも重い」価値がある、と教えられています。
 それは一人一人が、「地球よりも重い」目的をもって生まれてきたからであり、その目的を果たすための「命」だからなのだと、お釈迦さまはおっしゃっています。

「人身受け難し、今已に受く。
 仏法聞き難し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」

 才能の有る人も、無い人も、ともに、本当の幸福になれる。この人生の目的を伝えることが大切なことと知らされました。

(G)

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