大河ドラマ「篤姫」で憶う、薩摩門徒の歴史

鹿児島 桜島


 今年は「鹿児島の年」でしょうか。
 NHK大河ドラマでは、薩摩藩の娘から徳川将軍の正室となった「篤姫」が放映されています。
 幕末を扱う大河ドラマは2004年の「新選組!」以来ですが、その前となると1998年の「徳川慶喜」までさかのぼります。

 昨年の「風林火山」や、その前の「巧名が辻」など、戦国時代を扱うドラマは、敵味方がハッキリしているのでストーリーも理解しやすいですね。
 幕末の動乱期は、個性豊かなキャラクターが多く登場して非常に面白いのですが、時代背景をよく理解しないとドラマとして楽しめません。そういえば、寝返りが多い南北朝時代を扱うドラマは、分かりにくくて視聴率も低いとか。

 それはともかく、鹿児島といえば忘れてはならないのは「薩摩門徒」の存在でしょう。

 鹿児島県は古くから浄土真宗の盛んな場所で、寛保のころ(1740年ごろ)、薩摩西北部では、9割の人が信者だったといわれ、天保年間(1840年ころ)には、鹿児島城下6割に及んだという伝承もあります。
 
 しかし、盛んなるがゆえでしょうか、薩摩藩によって悲しい弾圧事件があったことは、浄土真宗の歴史を語るうえで、欠かすことはできません。

 島津家は、徹底した浄土真宗の禁教に踏み切り、弾圧専門の役所を設け、役人を領内に残して、取り締まりを強化していきました。
 捕らえた者には、割り木責め、火責め、水責めなどという悲惨極まりない拷問を加え、結句は宗旨替え、いわば棄教を迫り、死刑、投獄、島流しの処罰をしています。

 そんな弾圧の中でも、藩役人の追及を逃れて、深山や人里離れた所に秘密の「聞法道場」を作ったり、隣の肥後の寺へ越境参詣したり、柱やまないたに御本尊を隠して礼拝を行いました。
 これらのことから「かくれ念仏」と呼ばれるようになりました。

 大河ドラマでは、薩摩藩の和やかな様子が描かれていますが、その裏では、まるでおとぎ話のような、信じられない弾圧があったのです。
 信教の自由が憲法で保障されている現代では、とても想像ができません。

 薩摩門徒は、なぜそこまでして親鸞聖人の教えを求めたのでしょう。浄土真宗の先達が命と引き換えに、私たちに残し伝えたいこととは何だったのでしょうか。
 歴史を通して、私たちが学ばねばならないことは、その「教えの真髄」にあります。

「阿弥陀さまのお慈悲に包まれているから、そのままでいいのだ」
「この世はどうにもならないが、念仏さえ称えていれば、死ねば極楽参り間違いない」
 そのような教えで、動かされた薩摩門徒だったのでしょうか?

 そうではありません。

 私たちの人生で、最も大切なことが教えられているのが、親鸞聖人の教えだからです。
 浄土真宗親鸞会では、本当の親鸞聖人の教えを一人でも多くの方に知っていただけるよう、日々活動しています。
 鹿児島だけでなく、全国各地で法話を開催しています。一度、ご参加ください。
(H)

>>各地の親鸞会サイト一覧

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