死にたいから死んだわけではない 〜求められる「生命の尊厳」〜
12 月 20, 2008 on 12:03 pm | In 社会 |
人が自ら死のうとする時、その胸中には、果たして、どのような思いが去来するのか。
政治学を専門にしている東京大学大学院教授の姜尚中氏が、『アエラ』(12.1号)で次のように書いています。
「自殺対策に取り組むNPO法人ライフリンクが世界保健機関(WHO)の『世界自殺予防デー』に合わせて9月に開いたシンポジウムに、パネリストとして参加しました。そこで感じたのは、自殺しようとする人は何とか生きようと必死なんだ、ということです。死にたいから死んだわけではない。生きたい願望が、最期の最期までありながら、自殺を選ぶ。本当に悲劇だと思います」
生物にとって、本能的に最も恐ろしく苦しいのは、死以外にないといえます。どんな小さな虫でも、捕まえようとすれば必死になって逃げるからです。
しかし、そんな死でさえも、「死んだほうがまし」と頭をよぎるのは、現実の深刻な苦悩があるからでしょう。
苦しくとも、なぜ生きねばならないのか。
割れたコップ、修理のきかないパソコンなど、価値のない物が捨てられるのと同様、自ら生きることを放棄するのもまた、生きるに値しないと生命の尊厳が感じられないからに違いありません。
浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人が明らかにされた「生命の尊厳」「生きる意味」を、一人でも多くの方にお伝えするために活動しています。
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