「千の風」がはやるワケ
5 月 7, 2008 on 5:09 pm | In 社会 |
駒沢大学名誉教授の佐々木宏幹氏は、中外日報に、<日本人の「あの世」>と題して、次のように述べています。
調査してみると、日本人の「あの世」イメージは決して一定不変ではない。
死者とくに異常死を遂げた人は死場所におり、一般には墓所におり、家の仏壇におり、寺の位牌堂におり、さらに十万億土の浄土、仏国土、仏界にいる。
多くの人びとは「あの世」を一カ所に限定することなく、コンテクストにより、多重・多様な「あの世」いずれかに関わっている。
「千の風」が流行するゆえんである。
したがって日本人の「あの世」イメージは「あの世観」よりも「あの世感」と表現する方が相応しい。
このことは仏教を含む日本宗教についても当てはまるだろう。
それは二者択一の手法では理解できない領域である。
「千の風になって」とは、2007年度の年間オリコン順位1位を獲得した、テノール歌手・秋川雅史さんのシングル曲です。
♪私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています♪
「この歌詞に励まされた」と言う人が大勢いるのを、佐々木教授は、
多くの人びとは「あの世」を一カ所に限定せずに、
多重・多様な「あの世」のいずれかに関わっている。
その多重・多様な感覚と
「千の風になって」の歌詞が合うからだ、
と分析しているようです。
大切な肉親や友人と死別した時、「風になって自分を見守っていてくれる」と聞けば、慰められ、心が救われるように感じます。
それで、「死に対するイメージが変わった」という人もあるのでしょう。
でも、「励まされる」「慰められる」といっても、ほんの一時的なものではないでしょうか!
私たちの感情によって、「あの世」が、クルクルと変わるものではないはず……。
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
と、禅僧・一休は歌っています。
老後のない人はあっても、死と無関係な人は一人もありません。
一日生きたということは、それだけ死に近づいたということ。
世界の時計を止めてもそれは、止まらない。
死ねば、どうなる?
死んだ後は有るのか、無いのか。
有ればどんな世界なのか。
楽しいところなのか、それとも……、やっぱりハッキリしない、分からない。
この後生暗い心を、仏教では「無明の闇」と説かれ、これ一つが苦悩の根元なのだと、親鸞聖人は断定されています。
(T)
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今日はかなりの時間をかけて
人生の目的についてのコラムを
見させていただきました。
本当に読み応えのある素晴らしいものですね。
http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/
Comment by 職人.com櫻井慎也 — 2008/5/19 月曜日 #