アイ・ワズ・ボーン再考

4 月 10, 2008 on 1:15 pm | In 社会 |

生きる意味


 親鸞会発行の新聞を整理していたら、ある医学部生の投稿が目に留まった。

 保健所実習で、食肉加工センターを訪れた彼の見たもの──何百頭のブタが、一頭ずつ狭い通路の中を追われ、電気ショックで気絶し、肉の塊へと変わっていく光景が、つぶさに描写されている。
 まさに重い現実である。
 そして、それとコントラストをなすごとく、その日の午後に、三歳児健診の実習が行われた。

「同じように一カ所に集められてはいても、ここには、愛されはぐくまれる多くの命があります」

 子を持つ親の身となると、なおさらよく分かる。
 だが、生まれてきた子供たちの心はどうだろうか。

 私はふと、国語の教科書に載っていた詩を思い出した。

 多分、「アイ・ワズ・ボーン」というタイトルだったと思う。
 英語の授業で「アイ・ワズ・ボーン」という表現を習って、生まれるって、やっぱり受け身なんだよねと、あどけなく言う少年に、父親がかげろうの命の話をしてくれるのだが、世の中を恨んでいた当時の私には、「自分が望んで生まれてきたわけじゃない」という気分をうまく言い当てられた気がしたに違いない。
 その部分だけずっと覚えていた。

 しかし、親鸞会とご縁があり、親鸞聖人から、人間に生まれなければ果たせない、尊い目的のあることを知らされた今は、その記憶を修正することが可能だ。
 アイ・ワズ・ボーン。「よくぞ人間に生んでくださいました。お父さん、お母さん、ありがとうございました」と。

 きっと、その詩にもそんなメッセージが込められていたと思うが、ひとえに、人生の目的が分からなかったからだろう、当時は読み取れなかった。改めて、仏縁に感謝せずにおれない。

 同じ紙面には、病床から届けられた、ある親鸞会会員の方のお手紙が紹介されていた。

「……病気で、肉体はぼろぼろです。骨と皮ですが、心の葬式を済ませましたので、心残りなく治療に専念して残りの人生を全うします。ありがとうございました」
 (M)

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