中身の濃い日々
6 月 27, 2008 on 2:49 pm | In 日記 | No Comments
詩人の茨木のり子さんに「自分の感受性くらい」という一編があります。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
と始まるその詩は、最後、
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
と結ばれます。
まさに、ガツンと頭を殴られるような作品です。
「ぱさぱさに乾いた心」に、もがいている人なら、なおさらでしょう。
かつて、神戸で小学生殺害事件を起こした少年の、「僕の存在は透明だ」という言葉に、共感を覚えた人は少なくないといわれます。
そんな、「ぱさぱさに乾いてゆく心」を「ひとのせいにはするな」と言われれば、確かにそのとおりかもしれません。
でも、その乾いた心を潤す「水」とは何でしょう。
どこにあるのでしょうか。
映画、音楽、旅行、演劇、読書、スポーツ、稽古ごと……毎日あなたが忙しくしていることも、「水やり」というよりは、むなしさをごまかす努力になっていないでしょうか。
そんな私が、ひときわ胸を打たれたお話を、次に紹介しましょう。
親鸞会会員のKさんは夫婦で仏縁を結んで2年目、ご主人を亡くされました。
ご主人との自宅療養中の様子を、このように語っておられます。
「6時半の起床と同時に『親鸞聖人の御歌』を流し、私がお仏飯を盛っている間、主人はお仏壇の前でじっとお歌を聞いているんです。
7時に勤行をし、主人の好きな『恩徳讃』を最後に必ず歌いました。
朝食後、講演会に参詣しない日は、10時から二人きりで、親鸞聖人のアニメ上映会をよく開いたものです。
一緒に勤行をしたり、仏法を語り合ったりできることが、旅行などよりずっと楽しくて、2年間ですけど、30年分くらいの中身の濃い日々でした」
何十年と忙しく生きてきても、「からっぽの人生だった」「振り返れば何も残ってない」という人生もあれば、「2年間ですけど、30年分くらいの中身の濃い日々でした」と感じられる、濃密な時間もありえる。
「親鸞聖人のみ教え」という清らかな「水」の注がれた心は、こんなにも豊潤で、愛にあふれるのですね。
(M)
海の向こうのレディーたちにも大好評
6 月 25, 2008 on 3:13 pm | In 聞法ドメイン | No Comments
降誕会には、海外からも大勢、親鸞会館に参詣されました。
ハワイから初めて参詣したMさん(ミャンマー人女性)は、
「刺し身は苦手だけど、魚は大好きよ」
と言うので、
「それなら、富山が気に入るでしょうね。魚がとてもおいしいところだから」
と会話していた翌日、Mさんは、サンキューを訪れ、ニシンソバを注文。
同行した法友も口々に、「じゃ、私も」ということで、皆、ニシンソバを賞味されました。
サンキューのニシンソバは、軟らかいニシンの身に、ほどよい甘みのある出汁。
トッピングの薄切りのカマボコも、また美味と評判です。
Mさん、「とってもおいしい!」と、朗らかな顔が、一層、明るい表情になっていました。
Hさん(日系ハワイ人女性)は、お土産にと、サンキューでミックスナッツを20袋、購入。
テーブルで、一袋試食したHさんは、
「小魚と松の実が入っていて、ヘルシーね」
とご満悦。
もちろん、二人は食後にサンキュー自慢のコーヒーを堪能し、大満足して店を後にしたそうです。
海の向こうのレディーたちにも、サンキューは大好評です。
(A)
その人の心に寄り添いたい
6 月 21, 2008 on 12:03 pm | In 参詣者の声 | No Comments
臨床心理士として活躍している親鸞会会員Tさんからメールを頂きましたので、紹介します。
病院の精神科でカウンセリングをしています。
具体的には、言葉や絵や人形、遊具で表現されるその方の心情を、ひたすらともに感じ、相手の自己治癒力を支える、ということを目指しています。
といっても私はまだこの仕事は数年目の初心の者で、至らぬところばかりですが、最近知らされたことがありました。
それは腹痛がどうもうまく治らず、とても困っている方と何回となく面接をしていた時のことです。
過去の苦々しい体験などもあり、根深いものであることが分かってきたのですが、どうしたら腹痛が治まるのか、2人でいろいろと話し合ってみても、一進一退、2人で途方に暮れることもよくありました。
なかなかお役に立てなくて、申し訳ないな……と思っていたある日の面接の帰り際、その人から、
「自分なんかのことをこれだけ真剣に、時間かけて分かろうとしてくれる姿勢がうれしい」
と言われ、こちらもうれしくなりました。
確かに専門職としての知識や技能も必要ですが、最も大切なのは、それらの中に込められるはずの、何とかその人の心に寄り添いたい、分かりたい、という人情なのだな、と知らされました。
同時に振り返ってみると、教科書やデータで相手を分かったつもりになって、的外れなことを言っていたことが今までどれだけあっただろうと、反省もさせられました。
仏法を知らない人は私を通して仏法を見る、と思うと人格を磨いていくことがとても重要だと感じます。
少しでも、情の深い、慕っていただける臨床心理士を目指したいと思います。
ヒマラヤを越えるジェット機並みの鳥
6 月 20, 2008 on 1:31 pm | In 日記 | No Comments
「アネハヅル(姉羽鶴)」というツルがいます。
このツルは秋になると、チベットからヒマラヤを越えてインドに渡りをすることで知られています。
地上1万メートル以上は「成層圏」といわれ、ジェット機が飛行する高度ですが、8000メートルを超えるヒマラヤ山の上を飛ぶアネハヅルは、ほとんどこの成層圏を飛んでいることになります。
人間がヒマラヤに登る時には酸素ボンベが必要ですが、アネハヅルは何の装備も持たずに越えていきます。
渡り鳥が飛ぶ高度は、ほとんど1500メートル以下で、8000メートル上空を渡る鳥は、今のところアネハヅルしか見つかっていません。
なぜこのような超高空飛行ができるようになったのかは諸説ありますが、恐らくアネハヅルは、ヒマラヤが高くなる前から、この地域で渡りをしていて、それからヒマラヤが徐々に隆起するとともに、高度を少しずつ増していったのではないかと考えられています。
少しずつ向上しているうちに、前人未到ならぬ前鳥未到の成層圏まで飛べるようになったのです!
地道な向上が、他の追随を許さぬ結果を生むのだと、ツルから教えてもらいました。
人間の私も頑張ります! o(^o^)o
(R)
「まるで美術館みたい」……親鸞会館へお立ち寄りください
6 月 18, 2008 on 1:23 pm | In 参詣者の声 | No Comments
小雨そぼ降る5月末の土曜、最近、地元の講演会に参詣された方お二人と、親鸞会館を拝観しました。
館内をぐるりと回ると、各所にある書や絵画が目に留まります。
「素晴らしい書ですね〜!」
と60代の男性。
それもそのはず、掲げてある書のほとんどは、富山県書道連盟相談役、書道芸術院副会長などを歴任された故・深松賢雄最高顧問と、日本書道振興協会常務理事、招待作家・実用細字部達人・かな部達人・詩書部達人、ほか全部門師範位の木村泰山師(親鸞学徒)によるもの。
分かる人には、その凄さが分かるのでしょう。
言葉の意味も説明されました。
例えば、
難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり
(教行信証・親鸞聖人)
については、
「阿弥陀仏の本願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。この船に乗ることこそが人生の目的である、と教えられた親鸞聖人のお言葉です」
と解説されました。
「まるで美術館みたいね」
とは、もう一人の70代の女性。
館内の至るところに、油絵、墨絵、大小さまざまな絵が掲げられています。
圧巻は、正本堂3階ロビーの『松柏天ぴょう』(しょうはくてんぴょう)でしょう。
横約30メートル、縦3.5メートルの世界最大級の壁画です。
しばし、見ほれておられました。
(壁画紹介の動画はこちら)
二千畳の大講堂に、入った途端、
「いやあ、広いですねえ」。
こんな畳敷きの会場は、ほかにないですから、驚かれるのも無理はありません。
緞帳の海の絵は、親鸞聖人の御臨末の書から、デザインされたもの。
そのお言葉の説明もあり、大映像で親鸞会紹介の映像も流されました。
(緞帳紹介の動画はこちら)
「どこもかしこも、きれいねえ」
「こんな立派な建物があったとは、富山にいながら、今まで知らんかったなあ」
感嘆しきりのお二人は、
「今度のご法話に、また来させていただきますね」と、喜んで帰っていかれました。
まだ、親鸞会館をごらんになったことのない方、ぜひ一度、お立ち寄りください。
若い受付嬢が、笑顔で案内してくれますよ。
(E)

秋葉原無差別殺人の本当の原因
6 月 17, 2008 on 1:10 pm | In 社会 | No Comments
6月8日に秋葉原の歩行者天国で、25歳の青年が17人を無差別に殺傷した事件が起き、全国に衝撃が走りました。
容疑者は携帯電話によるネット掲示板への書き込みを、2月から5000回も行っていたことから、「仮想の世界に生きていた」ことが原因と考え、インターネットやゲームを批判する人もいました。
「格差社会」が悪いという意見もあれば、本人が掲示板に「彼女がいれば夜逃げする必要なかった」「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」「一人の虚しさは異常」「友達もできない俺に彼女ができるわけない」と書き込んでいたことから、孤独が原因と指摘する人もいました。
ほかに「不細工な俺は存在自体が迷惑なんだっけ」という書き込みもあります。
自分の存在に価値がないと思えば、他人の存在も価値があるとは思えないでしょう。
だから「『誰でもよかった』なんかわかる気がする」とも書いています。
自分の命の大切さを知らねば、他人の命も尊重できないでしょう。
「死んでもいいじゃん」の無知が、「殺してもいいじゃん」の暴論に、すり替わっていくのではないでしょうか。
自分の人生に、意味や価値を感じられない人が増え、それが種々の事件や問題の起因だと、強く指摘する人もあります。
なぜ人命は尊いのか、この問題が明らかにされない限り、インターネットや格差社会がなくなっても、無差別殺人はなくならないのではないでしょうか。
(R)
時に言葉は刃物以上に鋭利な武器になる
6 月 16, 2008 on 1:07 pm | In 社会 | No Comments
6月に入って早々、北九州市内の女子高生が自殺したというニュースが飛び込んできました。
「ブログに『死ね』と書き込みされた」と綴った遺書を残していたそうです。
刃物を使わなくても、時に言葉はそれ以上に鋭利な武器になるようです。
こんな話を読んだことがあります。
丹波の国(京都府)に、120歳をこえた老婆がいた。
ある人が、老婆を訪ねてきいた。
「長い一生にはどんなにか、珍しいことや、おもしろいことが
あったでしょう。その思い出の一つをきかせてくださらんか」
老婆は、首を横にふりふり答えた。
「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた」
120歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、
「それでもなにか一つぐらい、思い出がおありにならんか」
再度、たずねた。
「そんなにまで言われれば、話そうか。24度殺された、
つらい思い出だけは、あるわいな」
しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。
現に生きている人が、24度殺されたとは、いったい、どんなことか、
とたずねると、ポツリポツリと老婆は語り始めた。
「この年になるまで私は、たくさんの子供を産み、多くの孫ができ、
ひ孫もできた。ところが老少不定のならいで、子供が先立ち、孫が死に、
ひ孫が死んで、内より24人の葬式を出した。そのたびに、
悔やみにくる人たちは、私の前では言わんが、
隣の部屋で”ここの婆さんとかわっておればよかったのに”と
言っているのが聞こえてくる。他人さまは、
まだ遠慮して陰で言っとるが、孫やひ孫は面前で言いよる。
そのたびに、私は殺されたんじゃ」
しみじみと、老婆は物語るのであった。
ネット上の書き込みが原因の自殺や未遂事件は、過去にも、いくつも起きています。
平成18年10月 「うざい」と書かれた山梨の女子高生が自殺未遂。
平成19年7月 「キモイ」と書かれた神戸の男子高校生が飛び降り自殺。
平成19年10月 ブログで同級生から中傷された中学生が列車にはねられ、自殺。
ほかにも、報道されずに隠されている事件もあることでしょう。
言葉で相手の心を傷つけることを、仏教で「語殺(ごさつ)」といいます。
言ったほうは自覚がなくても、言われたほうは死ぬまで忘れられないもの。
不用意に言った言葉が、どれだけの人を苦しめ傷つけ、殺してきたかしれないとわが身を振り返り、愛の言葉で、暗い世の中を明るくしたいものですね。
(E)
返事ハキハキ 挨拶キラリ
6 月 11, 2008 on 1:33 pm | In 参詣者の声 | No Comments
今春、大学院を修了し、社会人となり大手企業に勤める親鸞会会員に話を聞きました。
入社してから3週間、毎日のように研修で強調されたのは、挨拶・返事・メモ・機敏な行動の四つでした。
どれも親鸞会の先輩たちが、模範を示して教えてくれたことばかりで、当たり前のことを、なぜ今更……とも思いました。
しかし同僚たちを見ていると、初めこそ大きな声で挨拶するものの、一月もすれば声は小さくなり、挨拶をしなくなる人さえあります。
大学を卒業して、豊富な知識があっても、当たり前のことができる人は少ないんだと知りました。
明るい声で挨拶し、まめにメモを取っていると、上司や同僚は「すごいね」と声をかけてくれます。
また、4月初めに行われた、新入社員によるプレゼンテーション大会では、80人中2位でした。
発表したテーマは、『手帳と「やるべきことリスト」を使った時間管理』。
学生のころ、親鸞会の顕真学院の体験入学で学び、今も実践していることを、そのまま話した結果です。
新人研修は7月まで続きますが、因果の道理の実践が、社会においても大事であると身にしみています。
何より、生きる目的を知らされたことが、あらゆる自信につながっているんです。
成人2割が自殺を「本気で考えた」
6 月 4, 2008 on 1:18 pm | In 社会 | No Comments
内閣府が5月16日に発表した「自殺対策に関する意識調査」によると、成人男女の19.1%が本気で自殺を考えた経験があることがあるそうです。そのうち20.8%は「最近1年以内に自殺したいと思った」と答えています。
国語の教科書にも載った、三田誠広著『いちご同盟』には、主人公の良一(中学3年生)が、自殺への誘惑に似た感情を抱え、悩む気持ちが次のように描かれています。
つまり、こういうことだ。
人生というものに関して、
ぼくは三つほど、疑問があった。第一は、
ピアノを弾くのは好きだけれど、
いまのぼくの技量では、
とてもピアニストなんかには
なれそうもないということ。第二は、
たとえピアニストになったとしても、
それが仕事になってしまうと、
いい気分でピアノが弾けなくなる
のではないかということ。そしてもう一つ、
ものすごい苦労をして、
有名なピアニストになったとしても、
死んでしまえば、
それでおしまいではないかということ。どうせみんな
死んでしまうんだ。自殺した小学生のメッセージが、
頭の中でこだましている。
あの少年は、十一歳で、
世界を見通してしまったのだ。
生きていたって、ろくなことはない。
世界に向かって、ばかやろう、
と罵声をあびせた少年に対して、
いったい誰が反論できるだろうか。結局のところ、
ぼくの疑問は、その一点に収束する。
子供も若者も、なぜ苦しくても自殺してはいけないのか知らず、悩んでいます。
「なぜ生きる」は、国や時代、年齢を問わず、すべての人が知りたい問題ではないでしょうか。
光に向かって、幸せな人生を。
(R)
親鸞聖人の慈愛あふれるメッセージ
6 月 3, 2008 on 1:01 pm | In 参詣者の声 | No Comments
親鸞会館でのアニメ解説で、「賽の河原」に触れられました。
「賽の河原」は、三途の川のほとりにあるという。
大勢の子供たちが、そこに集まり、一生懸命、河原の小石を積んで、塔を作る。
しかし、塔ができ上がった途端、獄卒(鬼)がやってきて、作った塔を無残にも突き崩してしまう。
獄卒が去ると、幼子たちはまた、塔を作り始めるが、完成すると、再び獄卒が現れ、塔を壊す。
人々の営みは、ちょうどこの子供の石積みのようなものではないでしょうか。
中国やミャンマーの災害を思い出さずとも、日々、私たちの身に起こっている現実です。
手に入れたと思った幸福も一時のことで、すぐに掌からすべり落ちていく──。
この日、参詣していたある司法関係の方が、こんな実話を聞かせてくれました。
ある人が、額に汗して一代で大きくした事業を、年老いて、いよいよ子供に譲らねばならなくなりました。
すると息子たちは、跡を継ぎたいあまり、親の信任を得ようとして、互いにののしり合いだしたのです。
「兄弟は金目当てだ。オレこそが心配をしているから、一緒に暮らそう」と言って、親の取り合いをするようにまでなりました。
子供同士で、「年老いた親の面倒を見ろ」と、押しつけ合いをしているのと比べると、一見、幸せそうですが、その人は、息子たちの財産目当ての本心を悲しみ、「だれの世話にもならない」と言って、かえって一人寂しく暮らすことにしたのです。
事業を大きくすれば、子供も安心して生活できるだろうと思い、一生懸命働いたあげ句が、兄弟間の不和と寂寥の老後とは。真実当てになるものはないと教えられる仏説はまことですね。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します」(歎異抄)
ただ弥陀の本願のみが、まことなのだよ。
親鸞聖人の慈愛あふれるメッセージです。
裏切りばかりの世の中で、永久に変わらぬ弥陀の真実(まこと)を知らされた親鸞学徒は幸せだと、つくづく思います。
(E)
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