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	<title>菩提樹　〜親鸞会ブログ〜</title>
	<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main</link>
	<description>旬な話題をお届けする気ままなブログです</description>
	<lastBuildDate>Fri, 09 Jul 2010 08:06:24 +0000</lastBuildDate>
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		<title>●悠々たるかな天壤　　親鸞会　菩提樹</title>
		<description><![CDATA[

　明治36年、旧制一高（現・東京大学）きっての秀才、16歳の藤村操が、華厳の滝に身を投げました。
　遺書は、こんな言葉で始まります。

「悠々たる哉天壤、
　遼々たる哉古今、
　五尺の小躯を以て此大をはからむとす」

　今日の天文学では、一つの銀河系の中に、太陽のような恒星が二千億個あるといわれています。そんな銀河系が、一千億、見つかっています。まさに「悠々たる哉天壤」宇宙の広大さは、無限といってもよいほどです。
「遼々たる哉古今」と藤村も言っているように、この宇宙には、何億、何十億どころでない、永い永い歴史があります。
　広大な空間と時間を、藤村は限られた人間の知恵で計ろうとしました。それを「五尺の小躯を以て此大をはからむとす」と表現しています。
　無限の時空間を、どうして有限の人智で推し量ることができるでしょうか。そこには絶望視かありません。しかし、考えずには生きられないのが人間です。

　広大な宇宙から見れば、人間など塵にもならない、取るに足らない存在であり、悠久の歴史から見れば、五十年ないし百年の一生など、「一瞬」にもなりません。こんな人生に、何の意味があるのでしょうか。
　生まれがたい人間に生まれたのは、人間に生まれなければ果たすことの出来ない、尊い目的があるからです。
　その、生きる目的を教えられたのが、仏法です。
　なぜ人命は地球より重いのか、人間に生まれた目的は何か、明らかに教えられた仏法を聞かせて頂いていることは、なんと有難いことかと、感謝せずにおれません。


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		<title>●１人のゴミ拾いが１０万人に　　親鸞会　菩提樹</title>
		<description><![CDATA[

　３年半前、荒川祐二さん（２４才）は、新宿でたった一人、ゴミ拾いを始めました。
　それが今は、全国１０万人の活動に広がり、この若者に、中学や高校から講演依頼が相次いでいるそうです。

　テーマは「一歩を踏み出す勇気」。

　延べ３００校を訪れ、この秋には絵本が出版される予定です。

　予想外のゴミの量もさることながら、一番つらかったのは、周囲の冷たい視線でした。目の前で吸い殻を捨てられたり、つばを吐きかけられたこともあったそうです。

　大阪市出身で、上智大に進学した荒川さんは、何不自由ない生活をしながらも、夢はなく、自信もありませんでした。授業をサボって飲み歩き、三年生になっても就職活動にやる気が出ない。このままではだめになる、何とかして自分を変えたいと考えたとき、思いついたのが、日本一汚い場所をきれいにすることでした。

　最初は嫌がらせを受け、帰り道に人目もはばからず泣いたりしましたが、徐々に支援が広がり、一緒にゴミを集めてくれるようになったといいます。

　手伝ってくれる人は、３か月後に５０人、翌年には１５００人に。０９年は１万５５３４人、今年は１０万３０３６人に膨らみました。

「あきらめない」「続ける」という、地道な種蒔きを三年半続ければ、想像もつかない、大きな結果を生むのだと、知らされました。
　地道にコツコツ、光に向かいたいと思います。
 


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		<title>●仏に成れると思った哲学者　　　親鸞会　菩提樹</title>
		<description><![CDATA[女流哲学者・池田晶子氏は、平成十九年二月、腎臓ガンのため46歳の若さでこの世を去りました。
生きる意味、死の意味について語り続けた本人が、あまりにも早い死を迎えたことが、よけいに同情を集め、今も書店には多くの著作が並んでいます。
遺稿となったコラムの最後には、自分を「一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書き」と記していました。
「生きても死んでも大差ない」と豪語していたこともありましたが、腎臓ガンの手術を受けたあと、知人への手紙には、反対のことが書いてあります。
「やはり、生きようとする意志を積極的に肯定することが大切なのだと思う。私は今まで生に対する執着がないから仏になれると思っていたけれども、生きることを全うしないと成仏しないのかもしれない、それに気づいてから前向きに病気と闘おうという気持ちになりました――」
ながめている他人の死と、眼前に迫った自己の死は、動物園で見ている虎と、山中で出くわした虎ほどの違いがあるといわれます。
生きるとは？　死ぬとは？　哲学者だけでなく、すべての人が、この問いに答えなければならないのではないでしょうか。

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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=737</link>
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		<title>●『清貧の思想』再び  親鸞会　菩提樹</title>
		<description><![CDATA[

幸福は「足ることを知る」と説いたのは中国の老子でした。日本でもバブルの反省から一時、『清貧の思想』 という本が話題になりました。幸せになるには欲望を抑えねばならない、と考える人も少なくはないからでしょう。

　百年に一度の大不況で、ヨーロッパ各国にも「清貧の思想」が復活しているようです。

　ドイツでは、国民に倹約を勧める『出口──成長なき繁栄』という本がベストセラーになっていますが、この類の本が、花盛りだといいます。

　イギリスでは、今後の経済成長はあきらめ、労働時間を減らし、ムダな買い物を減らすために、テレビ広告を禁じる計画をまとめました。

「もっと働いてもっと稼げ」と国民を叱咤して政権についたフランスのサルコジ大統領も、ＧＤＰ（国内総生産）にかわる、新たな幸福の基準が必要だという考えを支持しています。

　世界が再び好景気になって、もっと豊かで、もっと華やかな生活になるとは思えません。これからは、「もっと多くの物が欲しい」という欲望は、抑えなければならないと考えるのは当然でしょう。

　しかし、経済の繁栄をあきらめた社会では、限られた資源をめぐって醜い争いが始まると主張する学者もいます。

　欲は広がるままにするべきか、抑えるべきか。どうすれば幸せになれるのか、あらゆる哲学、思想は、ここで行き詰まっています。

　ところが親鸞聖人は、欲や怒りの煩悩を、減らしも無くもしないままで体験できる、驚くべき幸福の存在を教えておられます。

　親鸞聖人の教えを世界中の人に伝えなければ、と思わずにおれません。
 


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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=743</link>
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		<title>●「私」って何？　と思っている私って？</title>
		<description><![CDATA[自分のことは自分が一番知っている、と思いがちですが、「汝自身を知れ」と古代ギリシアからいわれてきたように、もっともわからないのが自分自身ではないでしょうか。
そもそも、「私」を見たことのある人はいません。
「毎朝、鏡で見ているよ」と言われるかもしれませんが、鏡に映っているのは「私の顔」であって、「私」そのものではありません。
「私の身体」は、「私の財布」や「私の時計」と同じで、私の持ち物ですから、「私」ではありません。本当の「私」は、どこにいて、どんな顔をしているのでしょうか？
私とは何か？
これが、いかに大変な問いであるか、昨年の芥川賞を受賞した、ミュージシャンでもある作家、川上未映子は、『わたくし率　イン　歯ー、または世界』出、次のように表現しています。
「化粧ばっかりしやがって、人の目ばっかり気にしやがって、そんなんちゃうで、そんなもんちゃうんじゃほんまのことは、自分が何かゆうてみい、人間が、一人称が、何で出来てるかゆうてみい、一人称なあ、あんたらはなにげに使うてるけどなこれはどえらいものなんや、おっとろしいほど終わりがのうて孤独すぎるものなんや、これが私、と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私!!」
この謎に満ちた「真実の自己」を、二千六百年前に解明されているのが、仏教なのです。

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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=732</link>
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		<title>「誘拐サービス」！？　　親鸞会・菩提樹</title>
		<description><![CDATA[エキサイトニュースによると、今年１月、フランスの会社が、
風変わりな商売を始めたそうです。
その名も、
「誘拐サービス」！？
文字どおり、客と筋書きを詰め、契約を交わしたあと、
その客を誘拐するというのです。
究極のスリルを味わうために、いつ誘拐犯が現われるかは知らされないのだとか。
「さらわれて縛られたり猿ぐつわをかませられた上で４時間監禁、
という『基本パッケージ』が９００ユーロ（約１１万円）。
このほか、追加料金で脱走やヘリコプターによる追跡などを加えることも可能」
とのこと。
開始以来、１日に２件の注文が入ることもあり、人気は上々。
利用者の多くは、
〝バンジージャンプやスカイダイビングでは物足りなくなった
大手企業の幹部〟
だと報じられていました。
「何か面白いことな～い？」
大学時代、周囲でよく耳にした言葉ですが、
変わりばえのしない日常にあきあきしているのは、
地位や財を築いた大会社のエリートたちでも同じなのですね。
会社と家との往復を繰り返す単調な毎日。
そのやりきれぬ思いを、大金をはたいてでも、
少しでも珍しい体験をして、何とかしたいとしているのでしょうか。
しかし、誘拐のスリルを一時、楽しんだとしても、
（自作自演で、本当に楽しめるのか、疑問が残りますが）
それが終われば、つまらない日常に逆戻り。
真の人生の目的を知らなければ、
「人間に生まれてよかった！」という心からの歓喜は、
決して味わえないのだと知らされます。
 

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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=729</link>
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		<title>欲に動かされていたら</title>
		<description><![CDATA[
生まれてから死ぬまで、人間を動かすものは何か、ルソーは次のように言っています。
「十歳にしては菓子に動かされ、
二十歳にしては恋人に、
三十歳にして快楽に、
四十歳にしては野心に、
五十歳にして貪欲に動かされる」
また、イソップ物語には、こんな話があります。
「蔵の中に置いてあった壺が倒れ、蜂蜜が流れ出した。
金色に光る液体が、床の上に広がっていく。
いい香りに誘われて、ハエたちが集まってきた。
“こんなにおいしいごちそうはめったにない…”
蜜の甘さのとりこになって、夢中に食べ始める。
そのうちに、彼らの足が、ねばねばした蜜にはまって、
飛び立てなくなってしまった。
もがけばもがくほど、体が、蜜の中に沈んでいく。
やがて息もできなくなってしまった。
甘い蜜におぼれながら死ぬ時に、ハエたちが言う。
 “あぁ、哀れなものだ。こんな短い快楽のために、身を滅ぼすなんて……”」
欲望に突き動かされているだけでは、このハエを嗤えないのではないでしょうか。人間が「万物の霊長」といわれるのは、ただ生きるのではなく、「なぜ生きるか」を考える力があるからでしょう。その「人生の目的」を教えられたのが仏法ですから、人間にとって最も大切なことを教えられた仏法に遇えたことに感謝せずにおれません。
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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=659</link>
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		<title>浄土真宗親鸞会 同朋の里・F館状況（H22.2.24）</title>
		<description><![CDATA[親鸞会の同朋の里F館の工事最新状況です。 
親鸞会のF館に赤絨毯や畳が敷かれました。
親鸞会F館完成目前です。

]]></description>
		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=726</link>
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	<item>
		<title>宝くじ悲喜こもごも　　　親鸞会ブログ</title>
		<description><![CDATA[エキサイトニュースによると、
南アフリカの清掃作業員・スタンリー・フィランダーさんが、
宝くじで、９１００万ランド（約１０億６０００万円）を当てたそうです。
１０億とは、何ともうらやましい……と思われる方も多いでしょう。
ところが…………！！
その分け前をもらおうと、親類や友人、見知らぬ人までが
家に押しかけてきて、本人とその家族までもが、逃げる羽目に。
スタンリー夫妻は、どちらも耳が不自由で、親類の家の裏庭にある小屋で
生活していたのですが、その小屋にさえいられなくなったのです。
仏教に、「有無同然」というお言葉があります。
有る人は金の鎖に縛られて、苦しんでいる。
無い人は鉄の鎖に縛られて、苦しんでいる。
有る人も、無い人も、苦しんでいることに変わりはない、
とのご金言です。
まさに、このご金言どおり。
当たらないほうがよかったのでは……
とも思える実話です。
このニュースには、後日談があります。
その翌日、フィランダーさんの当選は、誤解だったことが報道されたのです。
実際に当選していたのは、４３歳の女性で、
フィランダーさんは、当たっていなかったとのこと。
今ごろは、
「これでやっとわが家に帰れる……」
と、胸をなでおろしていることでしょう。

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		<link>http://www.shinrankai.or.jp/blog/main/?p=718</link>
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		<title>信用ほど大事なものはない</title>
		<description><![CDATA[孫子に、こんな話が伝わっています。ある弟子が孫子に聞きました。
「国を治めるために、必要なものは何でしょうか？」
孫子は「『食』『兵』『信』」と答えます。
中国では、食糧不足が起きやすく、暴動がよく起こっていたので、
「食」を保障してくれる指導者が、素晴らしい人だと思われていたのです。
「兵」は国を守るための武力、「信」は人々の信用です。
弟子は、さらに尋ねます。
「これらの中から、どうしても１つだけ削らなければならなくなったら、
どれを削ればよいでしょうか？」
「それは『兵』である」
「それでは、どうしてももう１つ削らなければならなくなったら、どれでしょうか？」
孫子は「『食』」と答えています。
「食」が無ければ生きていけないのですから、「食」が第一ではないかと
思われますが、孫子はこう言っています。
「『信』がなくなれば、『食』は争いの種になり、すぐさま国が滅びるだろう」
「信用」がいかに大事な資産か、考えさせられました。
信用される人間になれるよう、光に向かいたいと思います。

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