歴史 一覧

アインシュタインは訴える

4月18日で、アインシュタインが死んでから、ちょうど60年になります。

ドイツ生まれのユダヤ人だったアインシュタインは1932年、ナチスの迫害から逃れアメリカに脱出しました。ナチスはアインシュタインを反逆者とみなし、懸賞金を掛けています。

やがて1938年、ドイツの物理学者がウランの核分裂を発見したというニュースが流れ、アメリカに衝撃を与えました。科学者は、ナチスドイツが、この原理を悪用して核兵器を製造するのではなかろうかと恐れました。

その懸念をアインシュタインが、アメリカのルーズベルト大統領に伝えたことから、原爆開発が急ピッチで進められ、敗戦迫る日本の広島、長崎に投下されたのです。

戦争が終わって1947年、アインシュタインは「もしドイツが原爆を開発していないと知っていたら、ルーズベルトに書簡を出さなかっただろう」と語っています。運命に翻弄された天才物理学者は、科学を何に使うか、その目的を教えるのが宗教の役目だ、と訴えました。

『私の世界観』 という本には、「人生の意義に答えるのが宗教だ」とも書いています。21世紀が「宗教の時代」といわれるのは、もっとも大事な人生の目的を、はっきり指し示す「真の宗教」が、希求されているからでしょう。


お釈迦様の生誕に考古学が迫る

お釈迦様が生まれられたと伝えられている、ネパール南部ルンビニで発掘調査が行われ、紀元前6世紀のものとみられる、木造の寺院の跡が見つかりました。
イギリスのダラム大学などの研究チームが、11月25日に発表しています。

お釈迦様が生まれられた時期については、物的証拠は、ほとんどありませんでした。今回の発見は、お釈迦様の誕生時期を、初めて考古学的に示すものと期待されています。

このチームの説が正しければ、お釈迦様が約2600年前、紀元前563年に生まれられ、483年にお亡くなりになったという説が、裏づけられることになります。

お釈迦様が活躍された時期については諸説ありますし、これからも議論が果てることはないでしょう。しかし一番、大事なのは、お釈迦様がこの世に生まれられて、仏教を説かれた目的は何か、ということです。

それについて親鸞聖人は『正信偈』に、「釈尊が、この世に生まれられたのは、ただ弥陀の本願を説かんがためであった」と仰せになっています。

釈尊は、弥陀の使いとしてこの世に現れ、弥陀の本願を説かれたのです。

この考古学の発見をご縁に、一人でも多くの人に弥陀の本願を知ってもらいたいと念ぜずにおれません。


親思う心にまさる親心

親心

「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん」(吉田松陰)

 幕末の思想家、吉田松陰が、29歳で処刑される1週間前に詠んだ歌です。

 本人は信念を貫いたのですから、悔いはないでしょうが、息子の死を聞いた親はどう思うか。
 子供は親を忘れても、親は子供を忘れません。

 松陰は、長州藩士の貧しい家に生まれました。
 22歳の時、10年間諸国遊歴の許しを受けて旅に出ます。著名な人物を訪ね、勉学に励もうとする松陰に、母は驚くほど多額の旅費を渡しました。

 息子の万一の時の備えにと、貧乏の中から両親が、少しずつ節約して、お金を貯めてくれていたのです。
 この親心で勉学に励んだ松陰が、日本の歴史に重大な影響を与えたのです。

 松陰が江戸に滞在中に、ペリーがアメリカの軍艦を率いて浦賀に入り、開国を迫ります。
「今や、世界情勢を学ぶことが急務」と考えた松陰は、小舟で軍艦へ近づき、アメリカへの密航を頼みました。

 しかし交渉は失敗し、松陰は幕府に捕らえられ、長州へ送られました。長い牢獄生活の始まりです。

 両親は、温かい着物や食べ物の差し入れを続け、退屈しないようにと、書物や筆、紙に至るまで届けています。
 牢獄は湿けが多く不衛生なので、衣類には、すぐシラミがわくので、母はよく洗濯に訪れたといいます。

 両親の深い恩によって育てられた松陰は、臨終にいよいよその恩の深さに感泣したことでしょう。

 お釈迦さまは「父母の恩の重きこと、天の極まり無きが如し」と説かれ、両親から受けたご恩は山よりも高く、海よりも深いのだと教えられています。
 この深い恩を決して無駄にしないよう、命を大切に使いたいものです。

(R)

>>浄土真宗親鸞会 親子ネット