「自分の技術を磨くこと」を、「キャリアアップ」というそうです。中谷彰宏著『35歳までにやめる60のこと』には、キャリアアップに大事なのは、日々の小さな積み重ねだと書かれています。

キャリアアップは、自分をいかに成長させるかです。

1秒前より1秒あとの自分を成長させるのが、キャリアアップです。

勉強を続けていると、自分がなかなか成長している気がしません。

でも、まわりの人は、「すごく変わった」と感じています。

自分の成長は、自分が一番感じにくいのです。

自分自身と距離が近いからです。

自分を毎秒見ています。

ところが、久しぶりに会った人は、成長を感じます。

本人に変わった実感はなくても 、

次の授業で会う人は、「変わった」と感じます。

教える側は、もっと大きい距離感で進化していると感じます。

まわりの仲間も、同じように「変わったね」と感じます。

これがキャリアで大切なことです。

自分の進化と同じように、退化も、

自分よりまわりのほうが、先に気づきます。

先生はもっと気づきます。

自分で頑張って気づいていくしかないのです。

日々進化、退化しています。

進化していなければ、退化しているのです。

退化に気づかないのは、

進化に気づかずにイライラすることよりも、もっと怖いのです。

何かをしていれば、昨日と変わらなくても退化はしていません。

何もしなければ、退化します。

頑張っていれば、退化はしないのです。

焦らないことです。

焦ると、やめたくなります。

「キャリア」とは「続けること」です。

乗りかえることではないのです。

続け、つなげていくことで蓄積がきくのです。

「何もしなければ、退化します」と書かれていますが、〝現状維持は後退〟といわれるように、日々の積み重ねで、五年後、十年後には、大きな差がついてしまうのでしょう。

蒔いたタネは必ず生えます。自分の「進化」が目に見えないからとイライラせず、焦らず着実に、一歩一歩、前進したいと思います。

平成23年4月21日に、キャンディーズの元メンバーで女優の田中好子さんが、乳がんで55歳の生涯を閉じました。告別式では、病床で3月29日に録音された、最後の肉声が公開されました。
「映画にもっと出たかった。テレビで、もっと演じたかった。もっともっと、女優を続けたかった」と無念をにじませながらも、周囲への厚い感謝の言葉を残しています。
 震災や病気で、生きたくても、生きられない人がいる一方で、その貴重な命を自ら絶つ人もあります。

 NHK連続テレビ小説「凛凛と」に主演するなど、多くのドラマや映画で活躍した俳優が、4月25日午後、自宅で首をつって死亡しているのが発見されました。仕事も順調だったのに、44歳という若さでこの世を去ったのです。
 4月14日に更新したブログ日記「のぞみ」が、辞世の句となってしまいました。それは、こんな内容でした。

「空を見上げて考える時は
何か良い事ありそうな気分

下を向いて考える時は
どこか気持ちが沈んでるような…

考えるから人間だって
言っていたのは誰だっけ
考えるのは大好き
空を見上げて考えたい
空を見上げて考え続けたい」
(※トキトトキ「のぞみ」より)

 不安な気持ちだったことがうかがえますが、「もっと頑張って生きて欲しかった」と思わない人はないでしょう。苦しくとも、なぜ生きねばならないのか。人生の目的が明らかにされない限り、悲劇は止まらないでしょう。

 人生の目的は何か。
 親鸞聖人の答えは、簡潔で明快です。
「生きる目的は、金でもなければ財でもない。名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち切られ、〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟と生命の歓喜を得て、未来永遠の幸福に生きること」
 これを『歎異抄』では、「摂取不捨の利益を得る」とも「無碍の一道」ともいわれています。
 この生命の大歓喜を知ることが、自殺や暴力、戦争など私たちが直面している問題の、根本解決なのではないでしょうか。

アップル社・元CEOスティーブ・ジョブズは2005年6月、米国スタンフォード大学の卒業式に招かれ、スピーチをしました。
その中で「自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具」と述べています。
その一節を紹介します。

「17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。

自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である」

死を前にすれば、人生のささいな問題はすべて消えてしまいます。誰もが嫌がる死を見つめてこそ、人生で最も大事なことが知らされ、正しい決断ができるのではないでしょうか。

『富山新聞』に、「毎日が日曜日 仕事が欲しい」という、60歳男性の投書がありました。

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仕事へ行かなくては、と思うとなかなか寝床から
抜け出せない。けれど、毎日が日曜日になると、
はじめは楽しくてしょうがないけれど、それが
ずっと続くとなると、これがまた布団から出られない。
最初のうちは前の晩から明日はこれをしよう、
あれをしよう、と箇条書きにしておくのだけれど、
それがだんだん少なくなってきてしまう。する事が
ない。こんな辛いことはない。お金云々ではなく、
毎日するべき仕事がある、やる事があるということは
生きる上で一番大切だと思うようになった。(中略)
趣味、ボランティア…、もう少しで畑仕事も冬仕舞。
さて何をしようか。
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 仕事から解放され、「毎日が日曜日」となったら、好きなことが自由にできる夢の生活に聞こえます。しかし実際は、何をすれば分からなくて、仕事でも何でもよいから、とにかく何かをやって時間を埋めたくなるようです。
 ゲーテは『若きウェルテルの悩み』で、こう言っています。

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人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。それでもいくらか手によどんだ自由な時間が少しばかりあると、さあ心配でたまらなくなって、なんとかしてこいつを埋めようとして大騒ぎだ。まったく奇妙なものさ、人間というやつは。
(高橋義孝訳)
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 私たちに一番必要なのは、毎日を日曜日にすることではなく、生きて何をすべきかを知ることではないでしょうか。人生の目的がわからなければ、せっかくの自由な時間も、生かすことはできないでしょう。

『正信偈』は「世界の光」

 親鸞聖人の書き残された「正信偈」には、聖人九十年の教えのすべてが収まっています。
 正信偈には、「正しい信心」が教えられています。

「信心」と聞くと、自分とは何の関係もないことだと思われる人もあるかもしれませんが、私たちは何かを信じなければ、一日たりとも生きてはゆけません。
 例えば、明日も生きておれると、命を信じています。いつまでも達者でおれると健康を信じています。夫は妻を、妻は夫を信じ、子供は親を、親は子供を信じています。金の信心もあれば、名誉や地位の信心もあります。
 何を命として信ずるかは、人それぞれ違いますが、すべての人は何かの信心を持って生きているのです。
 ところが私たちは、信じていたものに裏切られた時に苦しみ悩みます。しかも深く信じていればいるほど、それらに裏切られた時の悲しみや怒りは大きくなります。
 7月12日、タレントの宮尾すすむさんが癌で亡くなりました。宮尾さんは平成6年7月に、妻の明美さんが46歳で急死した時、「2度と経験できない幸せを与えてくれました。そして最高のつらさも……」と号泣しています。
 親鸞聖人は、やがて必ず裏切るものを信じて生きているから、苦しみ悩みが絶えないのだ、本当の幸福になりたければ、絶対に裏切ることのない正しい信心を持ちなさいよと、教えられています。
 絶対に崩れない「正しい信心」を獲て、「人間に生まれて良かった!」と生命の大歓喜を獲ることこそ、全人類が求めている、人生究極の目的なのです。

読売新聞によると、東北の被災地に、無力感が広まっているそうです。

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「何もする気が起きない」「もういいやと諦めている」「前向きになれない」。大震災から4か月半、被災地に無力感が広がりつつあります。生活は再建できるのか。働き口は見つかるのか。不安、苛立ち、絶望感は、家庭内のいさかいや、被災者同士の感情のもつれも生んでいます。今、必要なのは将来の展望です。(『読売新聞』平成23年7月26日)
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 今は苦しくても、「将来の展望」があれば、頑張ることが出来ます。被災された方だけでなく、全ての人に必要なのは、「自分はどこに向かって生きるのか」という「目的地」ではないでしょうか。
 生きる目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、
「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」
と〝生きる力〟が湧いてくるのです。

 人生の目的を明示された親鸞聖人のみ教えは、全人類に「生きる力」を与えます。まさに「世界の光」といわれるに、ふさわしいでしょう。

インターネットで情報が氾濫する現代は、私たちの情報を見る「目」が問われます。

 昔、中国で魏の太子が人質として、趙へ送られることになった時、太子を守って一緒に行くことを命じられた家臣が、王に尋ねました。

「『市場に虎が出た』と、一人の人間が言ったら、王様は信じられますか」

「いや、信じるわけがない」

「では、二人が、同じように言ったら、どうでしょうか」

「やはり、疑わしいな」

「しかし、三人が、『市場に虎がいる』と言えば、信じられるでしょう」

「それは信じるさ」

「そもそも町の中に虎が出ることなど、ありえないことです。
 しかし、三人もの人が言うと、町の中に虎がいたことになってしまうのです。
 私が趙へ行ったあと、私の悪口を言う者が出てくると思います。
 三人どころではないでしょう。王様、くれぐれも、ウワサに惑わされないようにお願いいたします」

王は、この家臣を信頼していたからこそ、太子の随行を命じたはずでした。

しかし、権力争いから、彼の悪口を言う者が出てくると、最初は真に受けなかったのに、次第に、疑いの心がふくらんでいきました。

結局、任務を果たして帰国したあと、王は、二度と彼に会おうとしませんでした。

この故事から「市に虎あり」が生まれました。事実でないことでも、多くの人のウワサになれば、信じられてしまうことの例えに使われています。

インターネットに、どれだけ無責任な噂が流れているか、想像もできません。親鸞聖人は、そらごと、たわごとばかりの世の中で、弥陀の本願だけが真実なのだよ、と教えておられます。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄)
(意訳:火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ。)

国語教科書『新しい国語 一』(東京書籍)に、『人はなんのために生きるのか』と題した山主敏子の、こんな文章が載っていました。

「『人間は、なんのために、生まれてきたのでしょう。オギャアと生まれて大きくなって、働いて、年を取って、やがてだれでも死んでしまう――。
そう思うと、むなしい気がします。
人生の目的は、なんでしょうか。
いくら考えても、あまり難しい問題で、頭が痛くなってしまいます。友達に話したら、『そんなこと、分かりっこないじゃないか。考えるだけ損だから、やめろよ。』と笑われてしまいました。
でもやっぱりぼくの心の底には、人間は、なんのために生きるのか……という問題がつきまとっていて、なんでも、はりきって取り組もうというファイトがわいてこないのです。(中学1年・男子)』
あなたはたいへん重要な、難しい問題につかまってしまいましたね。
古今東西の哲学者たちは、例外なく、この問題について考えたり書いたりしてきました。そしてまだだれも、『なるほど!』と、万人がうなずくような答えを、出してはいないのです。」

 人はなんのために生きるのか。
 
 どこにも明答を聞けない中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はおられません。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、〝よくぞこの世に生まれたものぞ〟の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかありませんでした。この中学生にも、親鸞聖人のメッセージが届くことを念じています。

 1997年、酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年による小学生連続殺傷事件で犠牲となった、山下彩花ちゃんの母親、山下京子さんは、その著『彩花へ―「生きる力」をありがとう』で、人生の目的を考える大切さを訴えています。

「学校の成績だけで人間に優劣をつけ、何のために生きるのかを誰も自信をもって教えない社会。『事件』を起こした少年だけでなく、日本中で若い少年たちが狂犬のような眼で街を徘徊し、人生で一番美しい年代の少女がお金のために体を売る時代。
 何のために生きるのかを問わない生き方は、動物と変わりません。いや、知恵がついているぶん、人間は最悪の動物にさえなります。(中略)
 昔であれば、その善悪は別として、”お国のため”という大義がありましたし、庭付きの一戸建てを手に入れることは、人生を賭けてもいいくらいの夢に思われたのでしょう。しかし、時代が成熟して、そういう目標が意味を失ってきた今、子供たちはより真剣に『何のため』に生きるのかを知りたがるはずです。その思索を、大人たちが十分にしているでしょうか。親や教育者である前に、一人の人間として、真剣に自分自身の生きる意味を問いかけているでしょうか。この問題を克服していくカギは、結論から言えば『死』をきちんととらえ直すことから始めるしかない。それが、私たちの一致点でした。
『死』から目をそらす時代に終止符を打ち、真剣に『死』の意味を探り、そこから『生』の深い意味を見出さなければ、『何のため』に生きるのかという答えは出てこないはずです。さらにいえば、『死』を見つめられることが人間の唯一の特権であり証であるならば、私たちは勇気を出して挑戦しなければなりません」

 やがて死ぬのに、なぜ生きるか。「死」から目をそらすのではなく、「生と死」を真面目に見つめて、「なぜ生きる」を考えてこそ、人間らしい人生といえるでしょう。

大学生の就職したい企業ランキング入り常連企業”ワイキューブ”の代表、安田佳生の『採用の超プロが教える 仕事の選び方 人生の選び方』に、こんなことが書いてあります。

「生きるということ自体も手段であって目的ではない。
本当の目的はほかにある。それを明確にすべきなのだ。

これは、難しい作業であって、明確にすることができないかもしれない。しかし、やはり、『何のために生きているのか』という命題は、人間として毎日考え続けなければいけない課題なのではないだろうかと私は思っている。
(中略)『何のために就職活動をしているのか』『何のためにその業種を選ぶのか』『なぜ安定したいのか』という自分への問いかけは、すべて、『何のために働くのか』『何のために生きるのか』という問いかけなのである。そのことに気づいてほしいと思う。」

「超就職氷河期」といわれる時代ですが、一歩立ち止まって、『何のために就職活動をしているのか』『何のためにその業種を選ぶのか』『なぜ安定したいのか』を振り返ることが、大切なのではないでしょうか。それらの問いは、実はすべて「なぜ生きる」という問いなのです。
「そのことに気づいてほしい」と訴える〝採用の超プロ〟とともに、悩める若者を応援したいと思います。

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