『歎異抄をひらく』後、2年の沈黙
異端を徹底排除した歴史
反論のない事実は、浄土真宗の歴史をかんがみると、全く異常であり、ありえないことだと、まず指摘しておこう。なぜなら、これまで浄土真宗の正統派を自認してきた人たちは、自らの“正統”の証として、異なる主張に「異端」のレッテルを張り、徹底的に追及弾劾してきた長い伝統があるからである。

昭和31年発刊の『真宗異義異安心の研究』(勧学寮頭・大原性実著)は、全国に伝播する何十もの異安心グループを精緻に調査し、その邪義を正した400ページに及ぶ労作である。それを読むと、当時はまだ広範な情報収集力と、邪義を正す意欲があったことをうかがわせる。
それ以前にも、勧学寮発刊の『異安心解説』(昭和27年刊)など、異端を弾劾した書は何冊もある(※3)。
明治以降、急速に凋落していく浄土真宗を憂え、“正統派”を批判し、改革の狼煙(のろし)を揚げた先覚者は何人もあった。一時は大衆運動となるほど熱烈な盛り上がりを見せたものもあったが、ことごとく「異端」の烙印を押され、今日、その形跡すら残っていない。
その根本原因は、彼らが親鸞聖人の正統な教えを説き切れなかったためだが、当時の“正統派”に「異端」を直ちに排除する、生殺与奪の大きな権限があったことも一因している。
異義・異安心を許さぬ姿勢は、それだけ親鸞聖人の教えを正確に伝える責任を担っていた証であり、当然の態度ともいえよう。
だが問題は、その“正統派”の教えが、本当に親鸞聖人の正統な教えだったのか、という点にある。
※3
明治から昭和31年までの間、異安心を弾劾した主な研究書は以下のとおり。
・異安心史
(中島覚亮・明45)
・異安心史
(鈴木法◎・大9)
◎は、“深”の「さんずい」が「王」偏になったもの
・異安心史の研究
(水谷 壽・昭9)
・異安心の種々相
(中井玄道・昭14)
・異安心
(石田充之・昭26)
・異安心解説
(勧学寮・昭27)
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