本願寺 なぜ説かぬ 信心一つの弥陀の救い(2/2)

親鸞会で分かる浄土真宗 親鸞聖人の教えは唯信独達の法門

戦後は既に間違った教えを説いていた本願寺

 ところが、冒頭の橘総長のような本願寺の不浄説教は、今に始まったことではない。

 龍谷大学元学長であり、本願寺派の勧学寮頭を務めた武邑尚邦氏が、昭和40年頃、ラジオ放送した説教記録にこんな発言がある。

「『名号をとなえるものを浄土に迎えとって仏にする』というのが、この仏様の本願であった」
(武邑尚邦著『自覚と信仰』より)

「お念仏をとなえても、また聞いても、それはすでに阿弥陀如来のお誓いのままに、となえさせていただいているのだ、お聞かせにあずかっているのだと、素直にお念仏を喜ばせていただくのが、親鸞聖人の喜ばれたお念仏であります」
(同)

「尊いお念仏が、もし私の口から称名として出ていただき、となえさせていただくことになりますならば、(中略)それこそ、『聞かさねば』の仏様のみ心のままにとなえさせられた他力のお念仏であると味わわざるをえないのであります」
(同)

 出てくるのは「念仏」ばかりで、親鸞聖人の教えの肝要である「信心」はどこにも出てこない。こんな説教を繰り返し聞かされれば、誰でも、念仏を称えることこそ救いの正因と思うだろう。

 続いて、高下恵(こうげ・めぐみ)氏の講義から。龍谷女子学園長や本願寺派の僧侶養成機関である中央仏教学院の講師を務めた人物だ。以下は、昭和30年代に、「青壮年のための正信偈入門」として話した記録の抜粋である。

「徳川家康の家訓に人生は重荷を背荷うて山坂を登るが如し、とあります。(略)
人間の一生はこれでいいということは一時的にはありえても絶対的にこれでよいということはない。これで安心大丈夫ということもない、実に重荷を負うて山坂を登るが如しであります。
幸せや不幸、喜びや悲しみのつみ重ね、不安と苦悩と孤独がまつわりついて一生をいろどっていく、そのような人生において一生涯念仏せよ、乃至十念、休むことなく忘るることなく『ネテモサメテモヘダテナク ナムアミダ仏ヲトナウベシ』そこに乃至十念のお心が光るのでございます」
「われわれの人生でよきことばまことのことばはお念仏であります。乃至十念、人間は一生涯念仏せよ。これが十八願の乃至十念というお心でありましょう」
(高下恵著『正信偈入門』より)

と語っている。「この世はどうにもならんもの。心から安心満足した、ということは一生ないけれども、念仏を称えていきましょう」という教えで、輝く未来に生きようとする「青壮年」は満足するのか。

 次に、聞真会という本願寺派有志僧侶の研修団体が昭和44年から発行している月刊伝道紙『慈眼』を見てみよう。これは、本願寺派総長だった豊原大成氏の責任で発行されているものだ。

「凡夫の私に向かって仏様が『南無阿弥陀仏!』と拝んで下さっているのです。私たちは、お念仏のみ教えが仏様の方から呼びかけて下さっていることを慶ばずにはおられません。仏様と私とが、私の称えるお念仏で一体にならせていただいていることを知らねばなりません」
(聞真会出版部 編著『慈眼法話集』より)

 死んで阿弥陀仏の極楽浄土へ往けるかどうかは、現在、弥陀より真実信心を賜っているかどうか一つで決することには、全く言及していない。これでは、読者は皆、
「念仏を称えている私は、すでに救われている」と思うに違いない。

 50年前にはすでに、勧学寮頭や総長などが「念仏」ばかりを強調し、「唯信独達」を少しも明らかにしてこなかったことがハッキリ分かる。末寺の僧侶は推して知るべしである。

 親鸞聖人の教えは、「信心正因、称名報恩」。信心一つで助かり、称える念仏は弥陀に救われたお礼である。

 この浄土真宗の根本教義を、本願寺トップが戦後ずっと、「念仏を称えて救われるのが親鸞聖人の教え」と説き、門徒をはじめとする大衆を誤解させ続けてきたのだ。

 そのような誤解を親鸞聖人のお言葉で正し、「唯信独達の法門」が本当の親鸞聖人の教えであることを明らかにされたのが『歎異抄をひらく』である。発刊後、本願寺は一冊の反論書も出せないまま4年が経過した。

 誤った教えを説き続けてきたところに本願寺凋落の真因があるのだが、親鸞会の度重なる警鐘にもだんまりを決め込んでいる。誤りを正さない限り、未来は決してないことを本願寺は覚悟しなければならないだろう。

 

あなたが仏教から学べるたった一つのこと

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マンガ『歎異抄をひらく』の衝撃度 「親鸞聖人の教えは唯信独達」|親鸞会

親鸞聖人が明らかにされた完成・卒業のある信心|親鸞会

「ただ信心を要とす」|親鸞会

 

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