これを知らねば『歎異抄』の“信心”は読めない (1/5)

自力の信心と他力の信心の2つの違い
親鸞聖人750回忌を来年(平成23年)に控え、世の中は空前の“親鸞聖人ブーム”。
書店には、親鸞聖人コーナーが設けられ、中でも『歎異抄』に関する本が人気だ。
しかし、“カミソリ聖教(しょうぎょう)”ともいわれる『歎異抄』は、仏教の素人が読むと大変な誤解をして“大ケガ”をする危険な書。
その『歎異抄』解説の決定版といわれている『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)についての座談会が、富山県射水市にある親鸞会の二千畳で開かれた。
座談会後、参加者同士、信心の沙汰(お互いの理解を語り合い、正しい教えの理解を深め合うこと)で、座談会の内容を振り返った時、『歎異抄』第1章の「ただ信心を要とす」の「信心」が話題になった。
その様子を紹介しよう。
司会
まず、今日の座談会の質問を確認しましょう。
親鸞学徒
「『歎異抄』の全18章は第一章に収まると、『歎異抄をひらく』に書かれています。それはなぜでしょうか」という質問でした。
親鸞学徒
『歎異抄をひらく』の139ページには、
「『歎異抄』全十八章の収まる第一章は、その聖人の教えの肝要を略説する極めて重要な内容を持つ」
と書かれています。
司会
そうですね。では、『歎異抄』第一章のどこに収まりますか。
親鸞学徒
「ただ信心を要とす」の8字です。
親鸞学徒
『歎異抄』一章が、「ただ信心を要とす」に収まるということは、『歎異抄』全章がその8字に収まることになりますね。
親鸞学徒
そうですよ。全18章は一章に収まり、一章は「ただ信心を要とす」に収まります。
親鸞聖人の『教行信証』も釈迦の一切経も、この8字に収まるといっていいのですね。
司会
では、「ただ信心を要とす」の「ただ」とは?
親鸞学徒
「コレ、ただでもらったのよ」という「ただ」は、「只」という字ですが、この「ただ」は、唯一の「唯」だと教えていただきました。
親鸞学徒
ここで、「ただ信心を要とす」の「要」とは何か、が大切だと思います。
親鸞学徒
カナメということで、二つとない大事なものです。
司会
この「信心」を説かれたのが『歎異抄』一章であり、全18章であり、『教行信証』です。
「信心」といっても、仏教では「自力の信心」と「他力の信心」の二つがあると教えられ、「ただ信心を要とす」の「信心」は、「他力の信心」だとお聞きしました。
この他力の信心を知るには、まず、自力の信心をよく知らなければなりません。
親鸞学徒
男ばかりなら「女」という言葉はなく、女ばかりだったら「男」という言葉はいりません。
「人間」でいいのです。
同じように、自力の信心といわれるのは、他力の信心があるから。
でも、一般には自力の信心しか知らないから、信心と言えば皆、自力の信心のことになります。
司会
世間でいわれる「信心」とは、どんなものですか。
親鸞学徒
神仏を信じることだと思っている人がほとんどですが、それだけじゃない。
「信心」とは、「心で何かを信じる」と書きます。「鰯の頭も信心から」といわれますよね。
イワシは今でこそ高価ですが、昔はたくさん取れて、あまって田んぼの肥料にするほどだった。
その"頭"ですから、さらに価値がない。
親鸞学徒
そんなつまらんものでも、価値があると信じていれば、その人の信心だということね。私は海の近くで育ったので、イワシは本当にたくさん取れたと記憶しています。
司会
皆さんは、何を信じ、頼りにしていますか。
親鸞学徒
命を信じています。明日も生きておれると、当たり前のように思っています。
親鸞学徒
私は、お金かな。お金がなかったら、困りますから。
親鸞学徒
私は、健康や。元気やったら働けるしさ。病気やったら働けないし、お金も入らない。一番は、健康。
親鸞学徒
やっぱり妻を信じたいですね。
親鸞学徒
宗教を否定するマルキスト(共産主義者)は、マルクスの主張した共産主義を信じている人たちです。
司会
これらの信心は、人それぞれ違います。1億人いれば1億とおり。これが、自力の信心の特徴ですね。
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