徹底検証 三業安心と十劫安心

 浄土真宗の歴史を振り返れば、「十劫安心」と「三業安心」という二つの異安心が、いつの時代も大勢を占めていたといえよう。
 十劫安心を正そうとすれば、三業安心に偏り、三業安心を破れば、十劫安心に傾く。
 ちょうど、時計の振り子が真ん中で止まらぬように、自力の信心は、どちらかの異安心に振れるのである。

 今も変わらず、浄土真宗の振り子は、大きく揺れ動いている。二つの異安心はどこが誤りかを知らねば、先人と同じ轍を踏むことになろう。

 平成の親鸞学徒は、強く自戒すべきである。

 今は「三業安心」とはどんな異安心かを学びたい。

なぜ三業安心に陥るのか
本会結成の目的と十劫安心

 戦後、浄土真宗を席巻していたのは、「十劫安心」の異安心であった。

“一劫”は四億三千二百万年のこと。十劫の昔に、阿弥陀仏が、すべての人をいつ死んでも浄土往生間違いない身に救い摂る力のある「南無阿弥陀仏」の名号を完成なされた。
 それを親鸞聖人は、

「弥陀成仏のこのかたは
 いまに十劫をへたまえり」(浄土和讃)

とおっしゃっている。

「十劫安心」とは、弥陀が名号を成就なされたその時すでに、我々は助かってしまっている。それを知らないだけだから、今更求めることも聞き歩くこともいらぬと言う者たちの信心だ。
 この異安心は、薬(名号)のでき上がったのを、病気の治ったこと(助かった)と早合点した間違いである。
 薬ができていても、のまねば病気は治らない。こんなことが分からないところから起きる異安心である。

 十劫安心の三つの誤りを、順次、親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人のお言葉で正そう。

(1)求める必要はない

「今更求めることも聞き歩く必要もない」という十劫安心は、

「たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり」(浄土和讃)

「火の中を 分けても法は 聞くべきに
 雨風雪は もののかずかは」(蓮如上人)

 など、真剣な聞法を勧めておられる善知識方の教えと全く反する。

(2)弥陀の救いは「いつとはなし」

 十劫安心の人は、すでに助かっていることに気づいたのが「信心」だという。
 それは、日本に生まれても、自分は日本人だと自覚するのは“いつとはなし”であるように、弥陀の救いも“いつとはなし”に気づかされるのだという。
 果たしてそうか。

「真実の信楽を按ずるに、信楽に一念有り。『一念』とは、これ信楽開発の時尅の極促を顕す」(教行信証)

「たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」(御伝鈔)

「この大功徳を一念に弥陀をたのみ申す我等衆生に廻向しまします故に、過去・未来・現在の三世の業障一時に罪消えて、正定聚の位また等正覚の位なんどに定まるものなり」 (御文章)

 善知識方はいずれも、弥陀の救いは一念でハッキリすると明示なされている。
「いつとはなし」のぼんやりした信心は、断じて他力真実の信心ではないのである。

(3)「この世で助かった」ということはない

「すべての人はすでに助かってしまっているのだから、『この世で助かった』ということはない」とも彼らは言う。
 しかし、

「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す」(教行信証)

 親鸞聖人は建仁元年、ハッキリ救われたとおっしゃっているし、

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」(執持鈔)

「他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至今こそ明かに知られたり」(御文章)

と覚如上人も蓮如上人も現在明らかに救われたことを仰せである。 

この世で助かったということがなければ、親鸞聖人の教えを、
「平生業成」
「現生不退」
「不体失往生」
といわれるはずがない。

………………………………

 蓮如上人時代にも、十劫安心がはびこっていたと見え、『御文章』にはこう摧破なされている。

「『十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまえることを忘れぬが、すなわち信心のすがたなり』といえり。これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし」(2帖目11通)

 高森先生が本会を結成なされたのは、蓮如上人のように、親鸞聖人のみ教えを、正確に、迅速に、自他に徹底する、これ以外になかった。
 当時の浄土真宗がほぼ十劫安心だったことを考えれば、この異安心を正すことが、親鸞会結成の大きな使命であったと言ってもよかろう。

 それから半世紀、身を粉に骨砕きてのご布教により、
「この世で弥陀の本願に救い摂られた、信心決定、信心獲得、ということがある」
「弥陀の救いは一念でハッキリする。“いつとはなし”に助かるのではない」
「その身になるまで、真剣な聞法をせよ」
という親鸞聖人の本当のみ教えが浸透していった。

ところが、
「信心獲得せよ」
「弥陀をたのむ一念が肝要」
と徹底されると、反動が起きてくる。

「じゃあ、どうすれば信心獲得できるのか」
「たのむ一念とは、どうなったことか」
と求める声である。

 ここに大きな問題をはらんでいる。

「どうすれば」と焦る心に付け込んで、
「獲信の近道がある」
「信心を頂くコツがある」

と忍び寄ってくる者がいる。

 そして、
「いつ」
「どこで」
「どなたのもとで」
「どのように」
獲信したか、を詮索する輩である。

 これらは、各人各様の身口意の三業で、信心を語るから、「三業安心の異安心」といわれる。

 信心獲得を強調するのは当然だが、どうなったのが獲信か、三業で決めようとするところに大きな誤りがあるのだ。

 親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は、「いつ」「どこで」「どの知識のもとで」「どのように」救われた、などとはどこにも記されていない。
 弥陀より賜る他力真実の信心は、そのような各人各様異なる三業では語ることができないからである。
 できると思っているのは、その程度の信心だからである。

 50年前の真宗は、十劫安心一色だったが、時計の振り子はまたもや、三業安心へと振れるかもしれない。
 平成の親鸞学徒は、そのために、この三業安心の実態をよくよく知らなければならない。

「獲信の近道がある」
「信心を頂くコツがある」
こんな言葉で言い寄ってくる三業安心の者が、あなたの近くにもいるかもしれない。

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